期末テストの結果が全部返ってきて一喜一憂し終えた頃、マフラーは半分ほど編み終わった。
 このまま頑張っていればクリスマスまでには間に合うはず。そう考えたところで、はたと気がついた。

 わたし、マイキーのクリスマスの予定、知らないや。

「えっ、デートの約束とかしてないんスか!?」

 十二月に入ってすぐの集会で壱番隊隊長がタケミっちになった翌朝から、わたしはまた千冬くんと一緒に登校するようになっていた。
 圭ちゃんの死後ひとつの区切りを迎え、お互いに前に進もうと、どちらからともなく。

 少女マンガ好きな千冬くんなので、わたしがマイキーにマフラーを編んでいると聞いたとき、顔を真っ赤にしてキャーキャー喜んでいた。かわいかった。

「よく考えたら毎年そうなんだよね‥‥‥。みんなで集まることが多かったからさ」
「つきあってんのに!? でもそっか、マイキーくん総長だし難しいっすよね」
「まあ、プレゼント渡すだけだし、わざわざ約束しなくてもいっか。最悪家まで行けばいいや」
「家かぁ‥‥‥クリスマスに‥‥‥」
「千冬くんなんかヘンなこと考えてるでしょ」
「いやべつにそんなこと!」

 男の子ってすぐそういうほうに持っていくんだから。
 ムッと唇を尖らせると、千冬くんは「すんません」「ホント違うから」「あきちゃーん!」とわたしのカバンに縋りついてきた。たまぁにわたし仲間外れにして、みんなでやらしい本読んでるの知ってるんですからね。

 学校に到着したところで、下駄箱の場所の違う千冬くんとは分かれる。
 クラスメイトたちと朝のあいさつをしながら上靴を取り出すと、折り畳まれた小さな紙がぽとりと落ちてきた。
 一瞬どきりとして、なんとなく周りに見られないようこそこそ拾って、ポケットに突っ込む。

 ‥‥‥なんだろう。
 小学生の頃はマイキーや圭ちゃんと一緒に多少目立つ生活を送っていたけれど、中学に入ってからは至って地味な毎日を過ごしているし、実際不良に絡まれたら大体「地味子」って言われるし、うちのギャルたちにいじめられる心当たりもない。
 なんの呼び出し? それとも単純に嫌がらせ?
 可及的速やかに内容を確認して、妙な感じだったら早めに千冬くんに相談しよう──と、そのままトイレの個室に駆け込む。嫌な緊張感で手汗が滲んだ。


《好きです》


「‥‥‥あっ?」


《よかったら三日後の放課後、返事をきかせてほしいです》


「よ‥‥‥よかった、呼び出しでも決闘でもなかった‥‥‥」


第三章
Fly Me To The Moon;03




 手紙の差出人の名前は、同じクラスの男の子のものだった。
 わたしがクラスで仲のいい男女数人グループのなかの一人だ。みんなと一緒にカラオケに行ったり、放課後の教室でだべったりするような関係。手紙のことは誰にも言わずにいたのに、その日の昼休みには友だちに「告られたんじゃないの?」と絡まれた。

「なっ、なんで知ってるの」
「うちら相談受けてたもーん。あきちゃんが場地くんのこと好きなんじゃないかって訊かれたから、探り入れたりしてさ!」
「二学期始まってすぐの頃でしょ。あきちゃん全然気づいてないから面白かった。今日一日ずっと挙動不審だったし」
「も〜〜面白がらないで」

 これまでの短い十数年、基本的にマイキーに振り回される人生だったので、男の子から告白されるなんて初めてだ。正直どうしたらいいのか全然わからない。
 困りきって机に突っ伏すと、友だちは「いやホント」とけらけら笑った。

「あいつさー、本当はもっと前から告白しようとしてたんだよ。でもほら、場地くんがあんなことになっちゃって、しばらくあきちゃんしんどかったじゃん。だからこんなクリスマス直前のぎりぎりになったわけ」
「そ‥‥‥なんだ」
「もう言わないほうがいいんじゃないかとかウジウジしてたから、うちら二人で『行け! いいから言え!!』って急かしちゃった」

 圭ちゃんがいなくなってすぐのわたしは、それはもう酷い顔色だったという。
 彼が亡くなったことも、わたしと仲が良かったこともクラスのみんなは知っていたから、たくさんたくさん気遣ってくれて、それがまた辛くて、教室で元通りの自分を心掛けられるようになるまで二週間はかかった。
 さらに二週間かけて千冬くんと登下校できるようになり、友だちはその姿を見て『イケる』と判断したらしい。

「‥‥‥心配かけてごめんねぇぇ」
「うんまあ場地くんのこと詳しくは知らないけどさ、あの人ってあきちゃんが平和な顔で笑ってんのが好きだったじゃん」
「そうそう。だから早く彼氏作って、天国の場地くん安心させてあげな!」

 いや、一応、“彼氏ということになっている”人はいるんだよね。圭ちゃん推薦の。
 とは言えなかった。




「そもそも圭ちゃんって天国行けてるのかな‥‥‥」

 小学生の頃からだいぶぶっ飛んでいたから、重ねた悪行は数知れない。こう言っちゃあなんだけど、東卍メンバーの大半は地獄行きだ。主に傷害の罪で。
 と、マフラーを編み編み、そんなことを考える。

「うー、首痛い‥‥‥」

 ぐりぐりと首を回しながら、枕元で充電していた携帯電話を引っくり返す。裏返していたから気づかなかったけれど、メールがきているようだった。
 マイキーからだ。
 三十分も前に。
《まど》と、それだけ。

 通りに面したほうの窓を開けると、門の前に突っ立っていたマイキーが振り返る。

「なっ‥‥‥なんでいるの? インターホン鳴らしなよもうっ、バカ!」

 返事はなかったけれど、薄く微笑んだのがなんとなくわかった。

 大慌てで外に飛び出し、長袖シャツに特攻服を羽織っただけのマイキーにマフラーを巻きつける。ああ、わたしのバカ、もっと早く気づくべきだった。家にいるときはちゃんとマナーモードを解除しておかなくちゃ。

「ほらも〜ほっぺたキンキンに冷えてるじゃん! 三十分も薄着で外突っ立って、風邪ひいても知らないんだからね!」
「あきの手あったかーい」
「当たり前でしょー!」

 あわあわと彼のほっぺたを温めたり両手をさすったりと忙しいわたしに、マイキーはくすっと笑う。

「笑いごとじゃないっ」
「だって、あきが全然いつもと変わんねーからおかしくて」
「意味わかんない! なんなのもう!」

 けろっとしているマイキーにいっそムカついてきて、ほっぺたを両手でぎゅっと抓った。東卍の子に見られたら飛び上がって怒られそうな光景だけど、彼はくすぐったそうに肩を揺らしながら、冷え切った両手をわたしの手に重ねる。

 ‥‥‥ああ、わたしのバカ、もっと早く気づくべきだった。


 今のマイキーは、ぐらぐら揺れてるほうのマイキーだ。


「また‥‥‥、わたしの顔、見たくなったわけ」
「そーだよ」
「‥‥‥なにかあったの」
「んー。八戒が東卍辞めるって言いだして、三ツ谷が止めて、大寿と話して、和平になった」

 危ない、ドラケンくんに事情を聞いていなければ「日本語ちゃんと喋って」って突っ込むところだった。
 差し詰め、黒龍総長の弟である八戒くんが、それを黙っていた責を取って東卍を脱退すると言いだしたのだろう。
 八戒くんのよき兄貴分である隊長の三ツ谷くんがそれを認めず、柴大寿と話し合いをして和平協定が結ばれたということでいいのだろうか。それならそれで、悪い話ではないはずだけど。
 和平にも裏がありそうなの?
 だからこんなにもマイキーが不安そうなの?

 ごち、と額を重ね合う。
 浅い呼吸に混じった白い吐息が混ざり合って、溶けて、消えた。

「マイキー」
「‥‥‥うん」

 なんにもできなくて、ごめんね。
 名前を呼んで、傍にいることしかできなくてごめんね。無力で、守られて、心配かけてばっかりでごめんなさい。わたし、もっと強かったらよかった。
 マイキーを、ドラケンくんを、圭ちゃんを、三ツ谷くんを‥‥‥みんなを傷つけるもの全部追い払ってしまえるくらいの力が、一緒に戦えるだけの力があればよかったのに。


 脳裡に半間の笑みが明滅する。
 ‥‥‥机の抽斗に仕舞ったままの、黒いナイフ。


 ──違う、そうじゃなくて。


 わたしの両手に、動物みたいな仕草で頬を摺り寄せたマイキーが、ぱちりと両目を開ける。

「‥‥‥だーってさ、最近さぁ」
「うん」
「遊ぼって言ってもあき全然遊んでくんないし、そのくせ三ツ谷の学校には行ってるし、休みの日も全部予定あるとか言って、そのくせ場地の墓参りは欠かさないし、しかもこの間はケンチンとデートでしょ」
「‥‥‥う、うん? デート?」

 話の路線とマイキーの声が変わった。
 なんだなんだと顔を離すと、彼はぷくーっと頬を膨らませて子どもみたいな顔になる。
 最近はシリアスな表情が多かったからあんまり見なかった、駄々っ子モードだ(主にファミレスで注文したオムライスに旗が立っていなかったときや、たい焼きのあんこが端っこまで詰まっていなかったときに見られる)。

「スゲェ話回ってくんだけど。ゲーセンでイチャイチャしてたって」
「してなぁぁぁい!」
「いでっ」

 勢いあまって頭突きをかましてしまった。
 それなりにイイ感じに入ってしまったみたいで、どんなケンカのあとも平気な顔をしているマイキーが頭を抱えてうずくまる。

「それは、タケミっちがボコられたとか八戒くんのお兄さんのこととか、黒龍ともめそうだからしばらく渋谷出ないようにとかそういう東卍の話をしてくれてたの!」
「じゃー三ツ谷はなんなんだよ」
「三ツ谷くんには用事があるの! ちょっと教えてほしいことがあったから!」
「へーぇ?」
「なんだその顔! やきもちか!」
「そーだよだってあきはオレのだもん」
「だっ‥‥‥」

 言葉に詰まってマイキーを見下ろすと、うずくまったまま彼はこちらを見上げた。
 頭を抱える腕の間から、ふしぎな色の眸が覗く。

 他意なんてない。どうせこの人のことだから。
 大体「あきはオレの」なんて、昔からずっと主張されていて、今更なのに。なんでこんなに動揺しちゃうんだわたしのバカ!

「違うの?」
「ちが‥‥‥わ、ない、けど」
「じゃあイブは空けてくれる?」

 ぱち、と瞬きの音が聴こえた気がした。

 マイキーはじっとわたしを見つめている。
 世界にこれっぽっちも興味なさげな、それでいてわたしの気持ち全部お見通しみたいな、とうめいな目で、わたしだけを。

「あ、‥‥‥あける」
「ウン。武蔵祭りドタキャンしたあと埋め合わせしてなかったし」
「そんな前のこと‥‥‥でも、うん」
「二十四日の、十一時にハチ公前。ハイ小指」

 ずいっと差し出された右手の小指に、わたしも小指を絡めた。指きりげんまんなんて、子どもの頃みたいだ。
 あんまり抑揚のない調子でマイキーが歌いだす。

「ゆーびきーりげんまん、嘘ついたら針千本飲ましてバイクで市中引き回しの刑っ、ゆーびきった」
「物騒すぎるわ!!」



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