第三章
Fly Me To The Moon;07




 二人してすっかり無言になってしまい、どこへともなく、とぼとぼと歩いた。
 楽しそうな人の流れに乗ってなんとなく移動していく。映画館から連絡がくるはずの携帯を開いてみたけど、エマちゃんから《デートどう!?》というメールしかきていなかった。《最悪》なんて返事をするわけにもいかないので、見なかったふりしてぱたりと閉じる。

「あ」

 マイキーが声を洩らす。
 つられて顔を上げると、人混みの向こうに、キラキラ光る大きなクリスマスツリーが聳え立っていた。

 すっかり陽の落ちた夜空を背景に、そこだけ別世界のように浮かび上がる。
 周りの人たちの感嘆の息に紛れて、マイキーが小さく「キレーだね」と言ったのが聞こえた。

「ふふ」
「なに」
「ううん。マイキーもああいうのきれいだと思うんだなーって、ちょっと変な感じ」
「失礼だなー」

 ぷくっと頬を膨らませた彼は、しかし次の瞬間「そーだ」とまた表情をころりと変えて、ズボンのポケットから小さな袋を取り出した。袋の口を閉じてあったシールを剥がして、なかの透明なビニールを掌に載せる。
 ピンクゴールドの鎖がちらりと見えた。

「場地のハンカチの代わりにはならないけど、オレからもプレゼント」

 細身のチェーンに、宇宙の色をした丸いガラス玉が通されたペンダントだった。夜空を思わせる濃紺の奥深くで、赤い炎が燃えている。
 ‥‥‥蠍の火だ。
 “ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく”、まことのみんなの幸いを願って美しく燃え上がる、蠍の火。


 ──どうか神さま。
 ──私の心をごらん下さい。
 ──こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。


 マイキーは少し手こずりながら金具を外して、わたしの首に両腕を回した。慌てて髪の毛を掻き上げると、これまた悪戦苦闘しつつ金具をつけて、「ん」と満足げに笑う。

「メリークリスマス。イブだけど」
「‥‥‥きれい。ありがと」
「場地もさー、怒ると思うよ? せっかくクリスマスなのにハンカチなくしたくらいでベコベコへこむんじゃねぇ! ってさ」
「ふふ、似てる。そだね」

 他の誰でもないマイキーがそう言ってくれたから、本当にそうやって怒るかもしれないな、って思えた。

 蠍の火を胸に、陽の落ちた帰路をゆっくりと辿ってゆく。
 どちらからともなくつないだ手はなんとなく放さないままだった。指先を引っ掛けただけのゆるいつなぎ方だったけれど、元気出して、と慰めてくれているような気がする。

 あっという間に家の前まで帰ってきた。

「楽しかった。ありがとうね」
「うん」
「色々迷惑かけて、振り回してごめん‥‥‥」
「いーよ、べつに」

 本当にこれっぽっちも気にしていなさそうなマイキーに、「ちょっと待ってね」と言いおいて玄関のドアを開ける。今朝出掛ける前にちゃんと準備しておいた紙袋は、変わらず靴箱の上に置いてあった。
 門の外でぽけーと立っている彼のもとまで戻って、勢いに乗って紙袋を突き出す。

「わたしもっ、プレゼント‥‥‥」
「ワーイ。‥‥‥」
「‥‥‥‥」
「‥‥‥あき、手放してくんないともらえないんだけど」
「‥‥‥やっぱ無理」
「なんで」
「やっぱ買い直す」
「は? 意味わかんねー」


 冷静に考えて、ちゃんとつきあってるかどうかも怪しいのに手編みってキモくない?


 急にネガティブ思考に襲われてちょっと泣きそうになっていると、マイキーは問答無用でわたしの手から紙袋を奪い取った。力比べで勝てるわけがなかった。
 しかも容赦なくラッピングを開けていく。わたしの目の前で中身を確認するつもりだ。なんて鬼畜なんだ。

「マフラーだ」
「‥‥‥はい‥‥‥」
「その反応もしかして手編み?」
「‥‥‥さようでございます」

 マイキーは黙った。
 いつもの、何を考えているのか読めない厄介な無表情で、黙った。

 無言でひたすらわたしの手編みのマフラーを見つめている。練習し始めた頃はちょっと下手だったけど、次に編んだ本番は三ツ谷くんも「上手じょうず」って褒めてくれたし、目も飛んでいないはずから、そこまで不格好でもない、と、思うんだけど。

「やだ、もう、なにか文句あるなら言ってよ‥‥‥」
「‥‥‥最近ずーっと三ツ谷と内緒の話してたのって」
「タカちゃん先生にはたいへんお世話になりました」
「フーン‥‥‥」
「あの、マイキー? 気に入らなかったらやっぱり買い直すから」
「ダメ。もー貰ったから。あきにはあげない」

 と言いつつ、手にしたマフラーをわたしに突っ返してくる。
 なんだなんだと身構えながら受け取ると、マイキーは今の今まで巻いていたネックウォーマーを豪快に外した。
 あーあ、髪、ボサボサ。ドラケンくんがいないと身なりに全然気を遣わないんだから。

「巻いて」
「‥‥‥いいの? あの、正直手編み感満載でちょっとダサい感じがしないでもな」
「いーから巻いて」
「ハイ」

 わたしがあんまりにもウダウダ言うから若干総長モードに入りつつある。
 まあ、本人がいいって言ってるから、いっか。恐る恐るマイキーの細い首をマフラーで覆い隠していくと、彼はにひっと悪戯っぽく笑った。

「‥‥‥メリークリスマス、マイキー。イブだけど」
「イブだけどね」
「ふふ」
「明日さ」

 気配を静めた彼は、つめたい両手で、わたしの両手を握りしめる。
 お互いの白い吐息が混じり合い、街頭に照らされてキラキラ光るのが見えた。

「場地のお守り持って、兄貴の形見に乗って走るんだ」
「‥‥‥いいな」
「あきも一緒に連れてくから」

 それが、わたし自身を後ろに乗せるということではないことくらい、さすがに解った。

「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「‥‥‥うん」
「ヘルメットは、ちゃんとしてね」
「‥‥‥あき、最近、後ろに乗せてって言わなくなったね」

 マイキーは懐かしい話を引っ張り出してきた。
 みんなが真一郎くんの真似をしてバイクに乗り始めた頃、ちょうど中学に入ったあとだっただろうか、わたしも乗ってみたいって我が儘を言ったことがある。もちろん真一郎くんは「ダメ!!」と断固拒否。
 マイキーだけは原チャリだったけど、そのときからずっと「あきは乗せない」って言われ続けていたのだ。
 真一郎くんの死後、その形見としてバブを受け継いだときも。


 キラキラと輝くバブは確かに格好良くて、真一郎くんがマイキーのために整備していたんだと思うと悲しくて、こんなもののためにあの事件が起きたんだと考えると忌々しかった。
「これがマイキーの欲しがってたバイク?」と訊ねたわたしに、マイキーは少しだけ口角を上げて「そう。かっこいーだろ?」とうなずいた。つらくて、いたくて、ぐしゃぐしゃになりそうな心の傷を無理やり誤魔化すみたいな表情だった。

「運転、慣れたら後ろ乗っけてくれる?」

 案の定「やだよーだ」とマイキーはそっぽを向く。「そろそろ乗せてやりゃいーじゃねーか、あきちゃんなんだから」そう呆れたように言ったのは確か三ツ谷くんだった。

「だって転んだら怪我するじゃん」
「マイキーのけち」
「オマエらも絶対あき乗せんなよ!?」

 別にマイキーが意地悪で言っているとは思っていなかったけど、あのときはその意味がちゃんと解っていなかったから、しばらく拗ねていたような気がする。東卍結成にあたって仲間外れにはされなかったけれど、やっぱり男女では関わり方が違うから、疎外感みたいなものもあったかもしれない。

 ドラケンくんだけが、察したような表情で「気にすんな」と頭を撫でてくれた。


 今ならちゃんと解る。
 マイキーはずっとずっと、わたしが怖い思いや怪我をしないために動いてくれていた。


 だから、「乗せて」なんて言えなくなっただけ。


「乗せてくれないこともマイキーの愛のひとつなんだなぁ、ってわかったから」
「‥‥‥‥」

 一瞬だけ、マイキーのふしぎな眸が、ぽかんと単純な光を宿した。

「‥‥‥なんで、そういうこと言っちゃうかなぁ」
「マイキー?」

 あれっと思った次の瞬間、ペンダントをつけてくれたときと同じように、けれどもっと強い力で抱き寄せられる。
 こつんと軽く額が重なった。
 マイキーの伏せられた睫毛や、はにかんだ口許が見える。


「だいすき。あき」


「‥‥‥、‥‥‥え?」
「しー。黙って」
「え」

 唇が、重なったのは一瞬だった。

 間抜けな顔で間抜けな声を洩らすことしかできないわたしからそっと離れると、マイキーは何事もなかったかのように「おやすみ」と笑う。マフラーにぽふっと顔を埋めて、ネックウォーマーを入れた紙袋を片手に、小さな後ろ姿はぽてぽてと暗がりのなかに紛れていった。


「な‥‥‥い‥‥‥ど」


 なに、いまの、どういうこと。

 わたしは両目を見開いたまま、白い雪が肩に積もりはじめてもまだしばらく、その場に立ち尽くしていた。


***
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』角川文庫

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