「じゃ行ってきまーす」

 ペコリと頭を下げるマイキーに、お父さんとお母さんは「あきのことよろしくね」とほほ笑んだ。
 迎えに来てくれた彼も、門の外に待っているドラケンくんもエマちゃんも、ビシッと和装で決めている。毎年思うけど東卍のみんなはどうしてこんなに二年参りに気合いを入れているのだろう。私服じゃだめなのかな。かく言うわたしも、中一の冬は袴軍団に一人コートで残念な目に遭ったので、昨年から振袖を着ることにしているけれど。

「あき、手」
「え?‥‥‥あ、うん」

 一瞬ぽけっとしてしまった。
 手、なんて言われたの子どもの頃以来じゃないだろうか。


第三章
My Foolish Heart;01




 中学一年の冬、初めて圭ちゃんに誘われて、わたしは神社で年を越した。
 あのときはカズトラくんを除く創設メンバー五人で一緒に行ったんだった。みんなやる気満々で袴や着物をキメていて、私服にコートのわたしがなぜか浮いていた。
 いや普通さぁ、中学生の年越しが和装だなんて思わないじゃない。
 なんでだ。不良だからか?

 神社に辿りついて列に並んでいたら、結局いつも通りみんな集合してしまった。
 わたしたち四人に加えて、ヒナちゃんと来ていたタケミっち、三ツ谷家の三兄妹と柴家の姉弟、副隊長組の千冬くんとぺーやん。肆番隊のナホヤくんと、伍番隊隊長のムーチョくんまで揃いも揃ってみんな着物姿だ。
 年越しの瞬間はマイキーの合図でジャンプして、それからみんなでお参りをした。

 お賽銭を転がし、二礼に二拍手、手を合わせて目を閉じる。
 作法に則るわたしの横でギャーギャー騒ぎながら適当な参拝をする東卍やんちゃ坊主一同。これだけ人数が揃っていると、もうキリがないから止めない。他人のふり。


(‥‥‥神さま)

 去年も一昨年も、わたし、東卍のみんながなるたけ怪我しませんように、ってお願いしました。
 それでもたくさんの血が流れた。パーちんとカズトラくんが凶器を使い、圭ちゃんにはもう二度と会えない。

 わたしはたまに、圭ちゃんがいないということがどういうことなのか解らなくなってしまう。
 そのとき多分わたしはマイキーにとてもよく似た眸をしているのだと思う。
 上も下も、右も左も、善も悪もない深い闇。
 これがマイキーを苦しめる闇に似たもの。

 だからもう神さまにはお願いしない。



 何者にも、マイキーからわたしを奪わせはしない。



「‥‥‥結局、これしかないんだよね」

 そっと瞼を上げると、いつの間にか隣に立っていた三ツ谷くんが「あきちゃん、済んだ?」と声をかけてきた。
 気づいたらみんな列を捌けて、離れたところでわいわい騒いでいる。

「わ、三ツ谷くん待っててくれたの」
「長いことナムナム念じてたな。なにお願いしてたの」
「ナムナムは神社じゃなくてお寺でしょ」

 三ツ谷くんの額にはまだ絆創膏が貼ってあるし、傷跡も残っている。
 クリスマスの深夜に行われた盛大な兄弟喧嘩。暴力を揮う兄を殺そうとした八戒くん、彼を止めようとしたタケミっちと千冬くんは、黒龍十代目総長に必死で立ち向かった。三ツ谷くんも、自分で結んだ和平を破ってまで弟分を守ろうとした。──最終的にはマイキーとドラケンくんが、冗談みたいな強さで黒龍を潰してしまったらしいけど。

「『みんなが怪我しませんように』って」
「‥‥‥アー」
「わたしの知らないとこで辛い思いしませんように。誰も無茶して突っ走りませんように。わたしの傍からいなくなりませんように。東卍がまた昔みたいに平和な日々を送れますように」
「‥‥‥耳が痛てーな‥‥‥」

 チクチク攻撃すると、三ツ谷くんはばつが悪そうに頬を掻いた。
 いつも余裕のある彼がこんな表情になるなんて珍しい。それほど無茶なケンカだった自覚があるのだろうな。

「‥‥‥新年一発目の全体集会、あきちゃんも呼ぶってマイキーが言ってたわ」
「うん。おいでって言われた」

 壱番隊隊長が場地圭介でなくなった東京卍會を見て、正気でいられる自信がなかった。
 マイキーはきっと、そのことを解っていて猶予をくれたのだ。
 だから、年末に佐野家を訪れたときに「新年一発目はあきもおいで」と言われて、うん、と思いのほか素直にうなずくことができた。変わっていく東卍を受け入れられずにいつまでも駄々をこねるのはやめようと思えたから。

「大丈夫か?」
「こればっかりは行ってみないとわからないかな。でも、いつまでも逃げてるわけにいかないもんね。パーちんはもしかしたら戻ってきてくれるかもしれないけど、どうやったって圭ちゃんだけはもう帰ってこないし、千冬くんはタケミっちを択んで、マイキーもそれを認めた」

 三ツ谷くんは目元を優しく和らげて、わたしの背中を撫でる。

「‥‥‥クリスマスの夜のタケミっち、あきちゃんにも見せてやりたかったな」
「カッコよかった?」
「ああ。さすがウチの隊長、って感じだったよ」

 マイキーの決めたことに誰かが文句を言うわけがない。ドラケンくんも、三ツ谷くんも、千冬くんも八戒くんも、他にも大勢がタケミっちを壱番隊隊長として認めはじめている。わたしの気持ちは措いたとしても、彼にそれだけの人望がある事実は無視してはいけないのだ。

 場地圭介という人を忘れるわけではない。
 わたしたちの心のなかにはいつでも彼がいて、東卍が続く限り、彼の生きた証はこの世に残る。仲間のために命を張れるチームにしたい、そう言ったあの日の圭ちゃんの魂は。
 その灯火をいまも絶えず燃やし続けてくれるのは、千冬くんであり、タケミっちだ。

 甘酒を飲もうだの屋台で何が食べたいだのと賑やかなみんなのもとに戻ると、このメンバーのなかでただ一人面識のなかった、柚葉ちゃんが近づいてきた。
 目の大きなギャル系美人だ。中学校が同じだったら確実に違うグループに属するタイプの、スクールカースト最上位のキラキラオーラを感じる。

「この子が三ツ谷のオヒメサマかー。確かに日本人形みたい」
「柚葉! 何言ってんだ!!」

 みつやのおひめさま?
 日本人形みたいというのは、多分髪の毛のせいだろう。今日は振袖を着るのに気力体力を使い果たして、髪の毛のセットまでできなかったのだ。鎖骨下まで伸びた黒髪はハーフアップにしている。

「いや話だけはずっと聞いてたんだけどさ。前に“マイキーの女”ってどんな子なのって訊いたら『お姫さまみたいな女の子』って答えたから、ずっと心のなかで三ツ谷のオヒメサマって呼んでる」
「柚葉ッ! 何度も言ってんだろお姫さまじゃなくてお雛さまだって!!」

 ああ、そういうことか。
 三ツ谷くんと初めて会ったのは小学五年生のときだ。もともと知り合いだった三ツ谷くんとドラケンくんが渋谷駅前で遊んでいたときに、親戚の結婚式帰りで着物姿のわたしと遭遇した。その恰好が雛人形に似ていると感じたのだそうだ。お雛さまは十二単だけどね、男の子だし区別つかなかったんだろうね。
 ドラケンくんと話すわたしをぽーっと見つめながら「スゲェ、お雛さまみてぇ」ってつぶやいていたのをよく憶えている。
 あの頃の三ツ谷くん可愛かったな。髪型にはモヒカンの名残があって、こめかみにはドラケンくんとお揃いの刺青が入っていて、今より幼かったけど今よりガラ悪くて‥‥‥。

「アタシ柚葉。八戒の姉貴」
「成瀬あきです。わたしも柚葉ちゃんのお話たまに聞いてるよ。今度飛び蹴り教えてください」
「あきちゃん余計なこと教わらなくていいから‥‥‥!」

 べりっと柚葉ちゃんから引き剥がされ、タケミっちとお話していたマイキーのところまでぐいぐい肩を押された。
 あとで八戒くんに柚葉ちゃんのメールアドレスを聞いておこう(女の子が苦手な八戒くんは、対面だと喋ってくれないけど、最近ようやくメールを返してくれるようになった)。

「わたし柚葉ちゃんスキだな。キレイでかっこいい」
「‥‥‥まあ、二人、ちょっと似てるトコはあるかもな」

 眉を下げて笑った三ツ谷くんの表情には何やら含むものがあったけれど、嫌な感じはしなかった。どちらかというと懐かしいものを思い出しているような表情だ。
 スクールカースト上位に位置していそうな柚葉ちゃんとわたしが、似ているとは思えないけど。

 時刻は深夜一時に近づいてきている。
 小さく欠伸を零すと、マイキーが顔を覗き込んできた。

「あきなんか眠そう」
「んー、まあ、いつもなら寝てるもん。みんなまだ遊ぶの?」

 逆にいつも寝てばっかりのマイキーがなんでこんなに元気なのか謎だ。
 いや、普段は夜遅くに集会をやって、昼間の学校では居眠りしているらしいから、単純に夜行性なのか。

「初日の出でも拝みたいって話はしてるけど。去年どうしたっけ?」
「去年はみんな結局バイク転がして初日の出に行っちゃったよ。わたしは眠かったから帰ったけど」
「そういやそうだっけ」
「あきちゃんも連れていくんじゃダメなんスか? そういえばオレあきちゃんがバイクに乗ってんの見たことないや。いつも場地さんのチャリの後ろでしたね」
「千冬知らねーの。あきちゃんはバイクに乗せちゃダメなんだよ」

 きょとんとしている千冬くんの背中を叩いたのはナホくんだった。
 肆番隊の隊長である河田ナホヤくんと、副隊長である河田ソウヤくんは、双子の兄弟だ。
 いつもニコニコ笑っているのにすぐ「殺す」とか「潰す」とか物騒なこと言う兄ナホくんと、いつも怒ったような顔をしているのにとっても気遣い屋さんの弟ソウヤくん。スマイリーとアングリーとか、目黒のツインデビルとか、色んな綽名を持つコンビだ。
 ちなみに昔「ナホヤくん」が言えなくて「ナオヤくん」になってしまっていたので、いまは諦めて「ナホくん」と呼んでいる次第。

「そーなんすか!? やっぱ危ないからっすか?」
「んー」

 マイキーはこてーっと首を傾げた。
 そしてにやーっと人の悪い笑みを浮かべる。嫌な予感に口の端を引き攣らせたのは三ツ谷くん。

「あきは“オヒメサマ”だからね」

「マイキー‥‥‥聞いてたのか‥‥‥」
「なにがー? 三ツ谷があきのことオヒメサマ扱いしてたことー? オレそれ知らなかったなー」
「ばっちり聞いてるうえにデケェ声で言い触らすな!」

 顔を真っ赤にした三ツ谷くんに、周りのみんなが爆笑した。
 あーあ、三ツ谷くんかわいそう。これはあと十年はいじられるな。



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