一月に入り、三学期が始まると、ついに本格的な高校受験が始まった。
 わたしは公立と私立を一校ずつ受けることにしている。
 本当はマイキーたちと同じ高校に通うのも楽しいだろうなって思っていたけれど、ドラケンくんに「やめとけ」って苦笑されてしまった。

「あきちゃんは普通に勉強できんだから、ちゃんと自分に合った高校行っとけよ」
「高校が別になったってツレだろ、今でもそうなんだから」

 そうだね、ちゃんとわかってるよ。
 ちょっと言ってみただけだよ。


第三章
My Foolish Heart;03




 今日受ける私立の女子高は、うちの中学からの希望者が三人しかいなかったので、現地集合現地解散で先生の引率もない。
 小夜子ちゃんと一緒に現地に向かって、中学の同級生と合流し、試験を終えたらまた小夜子ちゃんと一緒に帰ることにしていた。高校の敷地から少し離れて、目印となるお店の前で待ち合わせだ。
 帰り際にお手洗いを捜して迷子になったので、敷地を出てからは小走りになる。
 お店の前にはすでに小夜子ちゃんが待っていた。

「お待たせ小夜子ちゃ‥‥‥」

 ん、とわたしは眉間に皺を寄せた。
 小夜子ちゃんがいかにも軽薄そうなヤンキー二人に声をかけられているではないか。
 きっとナンパだ。小夜子ちゃんは儚げ美少女で超可愛いから。許せん。ずかずかと歩み寄っていくと、困った様子で男二人をあしらっていた小夜子ちゃんが「あきちゃん」と振り返った。
 その手をむんずと引っ掴み、男たちをガン無視して歩きだす。

「行こ!」
「おいおいそれはちょっとナイんじゃねぇの〜?」
「オレたちこの可愛い子に用事があるんだって〜」
「やかましいわ! こっちはあんたたちに用事なんかありませんから!」

 芭流覇羅とか黒龍とか、ここ最近は東京二十三区の暴走族でもヤバめなタイプに縁があったから、チャラついたギャル男くらいへっちゃらだ。
 きっと睨み返すと、「うぜー」「どっか行けよ」と顔を歪めた男たちがわたしの肩を掴む。


 ──と、男たちの手首を、ぎりりと音がするほど強烈な力で掴んだ手があった。


「いっ‥‥‥!」
「穢ねぇ手であきちゃんに触んじゃねェよ殺すぞ」

 きれいな金の長髪、トレードマークの黒マスク。
 もこもこのダウンジャケットに身を包んではいるけれど、その鋭い冷眼に浮かぶ殺気は刃物のようで、男たちは途端に蒼褪め後退った。

「あ‥‥‥いや、やっぱなんでもない」
「邪魔してごめんね〜じゃあね〜‥‥‥」

 そそくさ逃げてゆく後ろ姿にイーッと歯を剥き、わたしは助けに入ってくれた彼を振り返った。

「春千夜くん! と、ムーチョくん!」

 こんなところで会うなんて、という感動のまま両手をバッと上げると、春千夜くんは長い睫毛の両目をニッコリ弓なりにして左手だけでぺちぺちハイタッチしてくれた。
 その後ろからのんびりと歩いて近づいてきていたムーチョくんは、「よぉ」と軽く右手を上げる。
 伍番隊隊長のムーチョくんと、副隊長の春千夜くん。東卍内部のスパイや裏切り者を探る特殊な立ち位置の伍番隊を束ねる二人だ。

「三途がいきなり走りだすから何かと思ったぜ」
「助かったよー。あいつら小夜子ちゃんをナンパなんて全く図々しい」
「あきちゃんのそーゆートコ嫌いじゃねェけどさあ、あんま無茶すんなよ」

 春千夜くんはハイタッチした左手でそのままわたしの頭を掴んだ。痛くはない。
 彼は真一郎くんのお友だち繋がりで知り合った子で、マイキーや圭ちゃんとは幼なじみみたいなものらしい。ただわたしはある時期からあまり顔を合わせなくなって、再会したときにはすっかりマイキーの番犬みたくなっていた。今のところムーチョくん相手には礼儀正しくしているみたいだけれど、きれいな容貌に反比例して実は口が悪いし手も早い。
 わたしは小夜子ちゃんに向き直り、二人を紹介した。

「小夜子ちゃん、こちら東京卍會のムーチョくんと春千夜くん。二人とも、この子はわたしのお友だちの小夜子ちゃん」
「松崎小夜子ともうします。あきちゃんを助けてくださってありがとうございます」

 それなりにいかつい男二人にも臆さずぺこりと頭を下げた小夜子ちゃんに、ムーチョくんたちはちょっと意外そうな表情になった。初対面じゃ身構えられるのが普通になっているのだろう。
 小夜子ちゃんはマイキーやドラケンくんと同じ中学校なんだよ、と教えると納得したようだった。

「受験か?」
「うん、そう。ちょうど帰るところだったの」
「そこの女子高の生徒狙ってる輩、けっこう多いから気をつけろ。制服着てるだけで狙われるぞ」
「え、なにそれ、こわい」

 確かに、偏差値はそこそこで、制服は可愛いし、校風もお上品でかなりいい感じの学校だ。
 思わぬ情報に顔を引き攣らせると、春千夜くんがいきなり殺気立った。

「あきちゃんを不埒な目で見る奴がいたらオレが殺す」
「春千夜くーん、落ち着け落ち着け。まだ合格もしてないよ」
「‥‥‥毎日送り迎えするべきか?」
「うん、考えておくけど、まあ落ち着け春ちゃん」

 小夜子ちゃんがぽそっと「過激派なのね」とつぶやいた。
 春千夜くんはマイキーのことをとっても尊敬している──もとい正しく表現すると心酔しているので、“マイキーの女”ということになっていたわたしのことも尊重してくれる。それを除いても普通にお友だちとして世話を焼こうともしてくれるのだが、たまにやりすぎなところもあるので、どうどうと止めるのがいつもの流れだ。
 テンションの上下が激しくて危なっかしい。小さい頃に何度か佐野家で顔を合わせたときは、普通のがきんちょだった気がするんだけど。

 駅まで送り届けてくれるという春千夜くんたちと並んで歩く途中、ぴったり隣についている彼の額に傷があるのを見つけた。

「あれ。春千夜くんまた怪我してる」

 というか、よく見るとトレードマークの黒マスクも薄っすら汚れているし、さっきから右手をポッケに入れたまま出そうとしない。怪しい。思いきって手首を掴んで引っ張ると、すんなり傷だらけの拳が出てきた。
 目を逸らした彼より先に答えたのは、一歩後ろでのんびり歩いているムーチョくん。

「こいつまた一人で突撃してんだよ。さっき回収したとこだ」
「だって‥‥‥人数減った東卍なら余裕で潰せるとかほざくバカがいたから‥‥‥」
「もう、そういうときは一人で行っちゃダメだってば」

 東京卍會、あるいはマイキーに対する忠誠心の強さが災いして、春千夜くんはよく一人で方々にケンカを売っちゃあ傷をつくっている。そういう問題行動が多すぎて、東卍のどの隊でも「手がかかりすぎてムリ!」と匙を投げられてしまった過去があった。
 ちょうど通りがかりに公園が見えたので、小夜子ちゃんに断って春千夜くんをぐいぐい引きずり込んだ。

「ほらぁ、マスクも外して。ちゃんと傷口洗って、冷やさないと」
「ヤダ。マスク取るな」
「こーら」
「取ーるーなーっ」

 水道の蛇口を捻って手の甲の血を洗い流しながらわちゃわちゃしていると、カバンのなかから小夜子ちゃんが絆創膏を取り出した。有難く受け取ると、小夜子ちゃんはくるりと後ろを向いて、「いい天気ね」と空を見上げる。
 なんだいきなりこの女、とでも言いたげな顔になった春千夜くんに、「ほらマスク」と声をかけると渋々取り外した。思った通りだ、口元に派手な痣ができている。

「口のなかもゆすいじゃいなよ。切らなかった?」
「‥‥‥ん」

 春千夜くんは唇の両端に傷痕がある。
 子どもの頃はなくて、再会したときに気付いた。
 本人はあまり気にしている様子はないのだけれど、傷痕を見た人が少し驚いて二度見したりするのは鬱陶しそうにするので、それなりに面倒だとは考えているのだろう。小夜子ちゃんは春千夜くんがうがいしている間、こちらを振り向かなかった。

「ケンカはみんなで楽しくお祭り騒ぎしないとダメだよ。春千夜くん一人で楽しんではいけません」
「‥‥‥それって“法”の決まりごと?」
「そう。一人でケンカしてもいいのは、無傷で五十人とか倒せるレベルになってから!」
「化け物じゃん」
「つまりムーチョくんやマイキーやドラケンくんレベルに達してからだね」
「化け物じゃん」

 口を滑らせた春千夜くんの頭をムーチョくんが掴んだ。「オイ三途」「すんません」というやりとりに、後ろを向いたままの小夜子ちゃんがくすくす笑っている。
 結局顔を洗った春千夜くんをハンカチで拭いてあげて、血が出ているところには小夜子ちゃんにもらった絆創膏を貼った。マスクを元通りつけ直してから、再び駅までの道を歩く。

 二人にお礼を言ってから改札を通ろうとすると、ムーチョくんに呼び止められた。

「あきちゃん」
「うん?」

 体の大きなムーチョくんの顔は、首を逸らして見上げないといけない。
 少し年上の彼は無表情なひとで、笑っていても無表情に見えるほどの強面なのだが、このときは珍しく躊躇いのようなものが見え隠れした。
 何か言おうとして、やめて。
 結局大きな手のひらを伸ばして、ぽんとわたしの頭を撫でる。

「気をつけて帰れ。マイキーが心配する」
「ふふ。うん。ムーチョくんなんかお兄ちゃんみたいだね」
「あ、だめ、隊長はオレの兄貴なんで」
「じゃあ春千夜くんはわたしの弟ね」
「‥‥‥‥」
「悪くないなって思ったでしょ今」

 黙り込んだあと、ほんのちょびっと目元を赤らめた春千夜くんにけたけた笑いながら、わたしは小夜子ちゃんの待つホームへ向かった。
 改札の向こうで見送ってくれる二人に手を振りながら、滑り込んできた電車に乗り込む。

「なんていうか‥‥‥」

 空いていた席に座ると、小夜子ちゃんは眉を下げて微笑んだ。

「あきちゃんの手にかかると、不良も躾のいい犬に見えちゃうから困るわね」
「春千夜くんは忠犬キャラだと思うけど、ムーチョくんも?」
「大きいラブラドール」
「ああっ‥‥‥ダメだ次に会ったとき笑っちゃいそう」



前へ - 表紙 - 次へ