業務用スーパーで買ったいっぱいのチョコレート。食塩不使用のバター。
 卵、上白糖、生クリーム、薄力粉、粉糖、お庭に生えてるミント少々。
 包丁とまな板、湯せん用のお鍋とボウル、ふるいにゴムべら、ハンドミキサーに作り方の本。今日は作る量が多いから、ココットやセルクルではなくて紙のカップ。
 エプロンに三角巾をつけたら、九割方、準備完了だ。

「よし!」

 リビングで待機していたら、ぴんぽーん、と最後の一割がやってきた。

「柚葉ちゃんいらっしゃい!」
「お、お邪魔します‥‥‥」


第三章
My Foolish Heart;04




 前々から三ツ谷くんを通して(柚葉ちゃんは八戒くんも通して)お互いのことを知っていたわたしたちは、初詣の夜に初めて顔を合わせて連絡先も交換した。
 最初のうちはたまにメールをする程度だったけど、先日一緒にお買い物に出かけた際に意気投合し、本日はバレンタインのチョコレートを我が家で一緒に作ることになっているのだ。
 ちなみに、柚葉ちゃんと気が合ってね〜という話をするとマイキーは「浮気だー」とふてくされていた。今度からドラケンくんと二人で出かけるたびに「浮気だ」って言ってやろうか。

「今日うちお父さんとお母さん出かけてるから気楽にしててね」
「そーなんだ」

 手洗いやエプロン装着などの準備を終え、さっそくチョコレートをざくざく刻みにかかる。まずは中身のガナッシュ作りからだ。

「ね、ね、柚葉ちゃん誰にチョコレートあげるの?」
「は? いや普通に八戒と‥‥‥、まぁ三ツ谷かな」

 三ツ谷くん! やったね!
 一人ウキウキしながら生クリームを温め始めたけど、柚葉ちゃんは特にテンションが上がっている様子がない。これはあれかな、チョコはあげるけど特に三ツ谷くんに対する想いがあるとかではないのかな。

「あきちゃんは? なんか材料が大量にあるように見えるんだけど。チョコレートもはや板チョコじゃないじゃんこれ、業務用じゃん」
「毎年ね、東卍関係と女の子の友だちと、なんか色々作ってたら量が増えちゃうの」
「大変だね」
「でもお菓子づくり好きだから楽しいよ。東卍のみんなも気を遣ってお返しを用意してくれるんだけど、それがまた面白くてね」

 マイキーやドラケンくんみたくまともなお菓子や小物を準備してくれるタイプと、圭ちゃんやパーちんみたいにウケ狙いグッズで攻めてくるタイプ。あとは副隊長以下、ちょっとわたしに対して気を遣っちゃう立場の子は、みんなでお金を出し合って花束なんてものまで。
 そんなに大層なものを贈っているわけじゃないんだけど、段々みんな如何にお洒落な(あるいはウケ狙いの)お返しを用意するかと、悪巧みするのが楽しくなってきたらしい。

「不良が連れ立って花屋にブーケ買いに行くわけ?」
「去年はそうだったよ。千冬くんと八戒くんとぺーやんの三人組」
「八戒もかよ、ウケる」

 八戒くんはとっても女の子が苦手なので、いつも直接じゃなくて三ツ谷くんを仲介して渡している。
 実は出会ってから今までまだ一言も喋ったことがない。
 けれど嫌われているわけじゃないみたいなので、常に誰かを間に挟んでやり取りをしているか、メールで話をしているような状態だった。

「マイキーにあげるチョコも一緒に作るの?」
「うん、いっつもそう。あんまり差つけたらマイキーが調子に乗ってドラケンくんとケンカになる」
「ガキかよ」
「ガキなんだよ〜いつまで経っても〜」

 ‥‥‥、あれ。

 今までは当然、マイキーの女“ということになっている”状態だったから、別に他の人と差をつける必要もなかったんだけど。
 もしかして今年って、ちゃんとしたほうがいいのでは?

 急に思い当たった事実にお腹の底がさーっと冷えていった。
 内心だらだら冷や汗をかきつつも、無心で温めた生クリームのなかにチョコレートを加えていく。柚葉ちゃんは生地用のチョコレートをざくざく刻んでいるところだ。

「あきちゃん、どうした」
「いっ‥‥‥いや‥‥‥ゆ、柚葉ちゃんて好きな人いないの!?」
「なに急に」

 ヤバイ、なんにも考えてなかった!!
 しかし突っ込まれても困るので慌てて話題を変えると、彼女はぶっきら棒に答えて頬を染めた。

「あっ、いるんだ。その反応いるんだ!」
「だーっ、鍋から目ぇ離すな!」
「ねぇねぇ誰? わたしの知ってる人? そんなわけないか」

 共通の知人といえば東卍関係しかいない。そのなかでも最有力候補だった三ツ谷くんは、さっきの反応を見る限り多分ない。
 きっと同じ学校の人とか、年上の大人の男性なんだろうな。柚葉ちゃん、大人っぽくてキレイだし。
 勝手に妄想していると、彼女は恥ずかしそうに目を逸らした。

「‥‥‥え、わたしも知ってる人なんだ」
「なんでわかるんだよ!!」
「いやわかりやすっ。全部顔に出るタイプなんだね柚葉ちゃん。カワイイ」

 いいな、いいな。恋してる女の子ってキラキラしてる。
 わたしはこんな風にキラキラした記憶があんまりないなあきラキラというか、一緒にいると基本ハラハラドキドキっていう感じの人だから。
 ‥‥‥だ、だからこそバレンタインくらい特別感を出すべきだったのでは?

 でももう当日は明日に迫っている。今から新しいレシピに新しい材料なんて間に合わない。
 むしろマイキーたちは毎年、バレンタイン当日じゃなくて『わたしがチョコを用意する日』にうちに来て食べて帰っていく。だから多分今日も来る。
 どっちにしろ間に合わない。

 ‥‥‥アー、また来年でいいかなぁ。

 遠い目になって手を動かすわたしに、すすすと近寄ってきた柚葉ちゃんがぴとっとくっついた。

「誰にも言うなよ。八戒は知ってるけど」
「教えてくれるの? いいの?」

 柚葉ちゃんの髪の毛はふわふわでいいにおいがする。
 女の子相手だけどちょっとどきっとしていると、彼女の唇が耳もとに近寄ってきた。


 吐息とともに落っことされた内緒の名前は、わたしもよく知る男の子のもの。


「‥‥‥えっ」
「別に、彼女になりたいとかじゃねーの、想ってるだけで充分」

 彼は、別にものすごくイケメンというわけでもないし、ケンカも多分弱いほうだ。話に聞くたびに不憫な目に遭っている。そして彼自身もトラブルに首を突っ込んでいく。だけど常に人の輪のなかにいて、マイキー曰く「兄貴に似てる」。
 かわいい彼女がいて、その女の子のことが大好きで、大好きで、よく泣く。

 “花垣”──タケミっち。

「クリスマスの夜のことって聞いたか?」
「うん、さわりだけ。お兄さんが黒龍の総長さんで、二人にも暴力を揮っていて、思い詰めた八戒くんがお兄さんを殺そうと‥‥‥っていう」
「そう。でアタシ、兄貴を刺したんだ」
「刺したっ?」

 思わず声が裏返ってしまった。
 いや、クリスマスの件で死者や逮捕者が出たなんて話は聞いていないから、お兄さんも柚葉ちゃんも大丈夫だったのだろうけど。

「花垣は、兄貴にどれだけ殴られても倒れなかった。最終的にはマイキーが兄貴をぶっ倒したんだけど」
「あ、そうなの」
「顔面に一発もらっってダウンしたかと思ったのに、起き上がって蹴り一発で瞬殺だよ。何なのあいつ、バケモン?」
「一応知り合ったときから人間の形はしてたよ」

 顔面に一発‥‥‥。そういえばあの夜、唇に血がついてたっけ。珍しいなって思ったから憶えている。
 そもそもマイキーが攻撃をくらうなんて驚きだけど、それほどお兄さんも強かったということなのだろう。
 マイキーに一発入れるような人にボコボコにされても倒れなかったというタケミっちもゾンビ級だと思う。確かに、ヒナちゃんに泣いて縋りついたタケミっちは事故にでも遭ったのかっていうくらいズタボロだった。

「そっかぁ‥‥‥。タケミっち、かっこよかったんだね」

 彼女がいるってわかっていても、好きになっちゃうくらい。
 なんだかあまり想像はできなかったけど、柚葉ちゃんの横顔を見ればなんとなくわかる。

 話しているうちにラップに包み終えたガナッシュを冷蔵庫に投入し、今度は湯せんで溶かしたチョコレートを卵黄や薄力粉と混ぜ混ぜ。わたしはハンドミキサーの電源を入れて卵白と上白糖でメレンゲを作っていく。

「あのね、わたし明日タケミっちにチョコ渡す予定なんだけど、柚葉ちゃんよかったら一緒に渡さない?」
「えっ‥‥‥でも」
「クリスマスの件ではお世話になりました、のチョコ。もちろん気が進まないならいいんだけど」

 確かにタケミっちにはヒナちゃんという彼女がいて、万が一にもこの二人にトラブルがあればいいなんて全く思わないのだけど、わたしは柚葉ちゃんも大好きだから。
 すぐには決められないだろうから、また明日連絡してねとだけ笑っておいた。

 それにしても、そっか、お兄さんを刺した、か。
 年越しのときに三ツ谷くんが言っていた、わたしと柚葉ちゃんが似てるっていうのは、このことかな。

「あのねー、わたしにも兄貴がいたの」
「え?」
「柴家ほどの絶対君主ではなかったけど、反抗期こじらせてダサい不良になって、お父さんとお母さんを骨折させたことがあってね。中一の春に、兄貴を殺さなきゃって思い詰めたことがあったんだ」
「‥‥‥三ツ谷が似てるって言ってたの、それのこと?」
「多分そうだろうね。わたしの場合は、家に帰って包丁を手に持つ前に、マイキーたちが救けにきてくれたんだけど」

 生地とメレンゲをさっくり混ぜ合わせると、カップを並べて流し込んでいく。柚葉ちゃんと味見する用のココットも四つ出して、バターを塗ってから準備した。
 オーブンに突っ込んだら、休む間もなく第二陣の準備だ。


「関係ねーよあきはオレのもんだろ!!」
「助けてって言えよ」



「男の子ってみんなガキんちょで、たまにものすごーくバカなのに、なんでか肝心なところカッコよくて、ずるいよねぇ」

 えへへと笑うと、彼女は肩を竦めた。

「なんかこっちまで恥ずかしい」
「エッ、なんで」
「アンタ東卍大好きなんだね」

 答える必要もなかった。フフフと小首を傾げたら、柚葉ちゃんに脇を小突かれた。



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