第一章
あなたの心臓、03

 

 しかし翌日には事態が悪化し、わたしは再び圭ちゃんに呼び出された。
 今度は病院でケンカになったらしい。昨日の抗争に巻き込まれて入院したタケミっちのお見舞いに来たところ、言い合いになってケンカに発展。病院を出たあとアジトでも言い合いになり、ついには隊員たちにもそれが波及した。
 アジトでのケンカにまた昨日の手法で介入し、とにかくマイキーとドラケンくんを離れ離れにさせたあと、わたしは圭ちゃんと三ツ谷くんと三人で喫茶店にいる。

「で、マイキー派とドラケン派ってどういうことなの」

 てっきりパーちんを置いて逃げた件で争っているのだと思っていたら、どうもそう単純な話ではないらしい。

「マイキーがパーを無罪にするって言いだしたんだ。でドラケンがそれはダメだって」
「無罪にするって‥‥‥ちなみに訊くけどどうやって?」
「さあ。金じゃね?」

 マイキーは仲間を大事にする。昔からそうだった。
 憧れのお兄ちゃんである真一郎くんの背中を追いかけて、そんな不良を夢見ていたし、実際彼は強かった。懐に入った相手は何が何でも守ろうとする、心も体もプライドも。そういう人だ。
 東卍の創設メンバーをもう二度と失いたくない、その一心があるだけなのだろう。

 ‥‥‥でも違うよ、マイキー。
 長内を刺したパーちんは自分の意思で現場に残った。逮捕されることもその後のことも、覚悟していたのだ。
 わたしたちがお金でチャラにしていい想いじゃない。


 それは『大事にする』とは違う。


「わたし、ドラケンくんに賛成だな」
「おー、こりゃ荒れそうだな」
「あき対マイキーか。面白ぇな」
「荒れるとか対立とかじゃないじゃん。示談や賠償金の話は、相手側とパーちん側が話し合うことでしょ。それをマイキーが横から無罪にしたいなんて」
「「難しいことはわかんねー」」
「あーもー二人ともパーちんみたいなこと言って!」

 ばしばしテーブルを叩いたら、「悪かったって」と三ツ谷くんに手を掴まれた。
 東卍創設当初、“あき、アイツらみんなバカばっかだからオマエがしっかりしないとダメだぞ”ってわたしの両肩を掴んだ真一郎くん。その死ぬほど真面目な顔が脳裡に蘇った。
 バカばっかなのは解ってるけど、わたし一人に何ができるっていうの、真一郎くん!
 もー、助けて真一郎くん!

 心の中で真一郎くんに助けを求めるわたしをよそに、圭ちゃんがコーラを一口。

「問題はよぉ。幹部はともかく末端のメンバーまで割れつつあるってことだろ」
「そうだな。下手すりゃ東卍の分裂抗争になる」
「まあ‥‥‥今すぐどうこうはならないでしょ。現時点ではマイキーとドラケンくんの大ゲンカ、隊長たちが割れてるわけじゃないんだし」

 例えばこれで、圭ちゃんがマイキー派で三ツ谷くんがドラケンくん派、みたいにどんどん幹部が派閥を作ってしまえば分裂は現実味を帯びてくる。
 ただ今の時点では目の前の二人とも、東卍分裂は望んでいない。肆番隊のナホくんと伍番隊のムーチョくんも、トップふたりの言い合いを眺めて呆れているだけだ。そこまで切羽詰まってはいないように思う。
 だからこそ打つ手がないとも言えた。
 マイキーが、方法はちょっと間違っていても、パーちんのためになんとかしたいって思っているのは本当だから。

「あ〜〜面倒くせ。あきがドラケン派って言ったらマイキーも折れねぇかな」
「そんな感じにスパッと終わるといいけどな」

 本気でダルそうな顔の圭ちゃんに、三ツ谷くんがししっと笑う。
 先程仲裁したときもマイキーの表情はかなり険しかった。そう簡単にいくとは思えない。

「‥‥‥しょうがないなぁ。明日、マイキーと話してみるね」

 溜め息まじりに窓の外を眺める。
 夏だというのにどこかくすんだ青い空、とろりとした入道雲。灰色の街並みを歪めるような陽射し、太陽。

 とんだ夏休みだ。


▲ ▽ ▲



 東卍の“法”──

 なんて、大層な役職を与えられてはいるけれど、わたしが直接「あれはダメ」「これはダメ」なんて決めることはほとんどない。
 基本的な東卍のルールとしては、内輪揉め御法度とか、女の子には手を上げないとか、武器を使って卑怯な真似はしない(相手が武器を持っている場合の自衛はまあ可)とか、お金に絡んだダサいことをしないとかそういう、マイキーの目指す夢から極端に逸れないためのものがあった。
 それに背いた場合のほとんどは、総長、副総長、各隊長の手で解決される。あるいは特務部隊の裁きによって。

 結局のところ“わたし”が適用されるのは幹部級のメンバーに対してだ。
 心のなかにわたしの平和なボケっとした顔を思い浮かべてみて、笑ったらオッケー首振ったらダメ。つまり圭ちゃん曰くの「あきに顔向けできねぇことはしちゃいけねー」というやつだ。
 フワッとした存在価値。本当はいてもいなくても一緒。でも、名前としては存在する。
 それが二年前の六月、マイキーと圭ちゃんに与えられたわたしの役割。


 ところがそれも通用しない瞬間というのはあるものだ。
 自分たちがこれと思い込んだら、わたしの存在なんて彼らの善悪の基準になりはしない。


 特に、総長とか。




「は?」

 マイキーの本気の睨みは当然わたしだって怖い。
 そんな眼光を向けられた経験が少ないからなおさらだ。ここまでイライラしているマイキーは久しぶりだった。
 多分、パーちんの抱える苦悩や覚悟に気づいてあげられなかった自分や、パーちんを置いて逃げたドラケンくん、彼を助けたい思いと、反発するドラケンくんと、色んなものに板挟みにされてわけがわからなくなっているのだろう。

 周りにいる“マイキー派”がまた厄介だ。
 彼らの純粋にパーちんを助けたいという思いに罪はない。だけどこういう派閥ができてしまうと、マイキーも引っ込みがつかなくなる。

「わたしはドラケンくんの言うことが正しいと思う」
「‥‥‥説教聞きたいんじゃねぇんだけど」
「甘やかさないよ。マイキーが違うと思うから止めに来たんだよ」

 暫定的“マイキー派”が集まりつつあるアジトのど真ん中で、わたしは廃材に腰を下ろしたマイキーを真っ直ぐに仰いだ。

「オレに楯突く気?」
「わたしはマイキーの下じゃない。楯突くも何もないでしょ。幼なじみとして言ってるの」

 マイキーの言い草にカチンときて思わずきつく言い返してしまった。
 楯突く、なんて立場を笠に着たような言い方。今までしたことがなかったはずなのに。

「ねえ、一回冷静になって考えてよ。ドラケンくんと対立して何かいいことがあるの? パーちん本人の意思は? ご家族の気持ちは? 真一郎くんだったらこんなやり方──」

 これが引き金だった。
 傍らに置いてあったジュースの空き缶を掴むと、マイキーは勢いよく廃材に叩きつける。
 がんっ、と威圧的な音とともに缶が変形した。潰れた缶は無表情のマイキーの手のなかを零れ落ち、寂しい音を立てて、わたしの足元に着地する。

「帰れ」

 単なる威嚇だ。あるいは八つ当たり。
 本気でわたしに投げる気なんてこれっぽっちもなかったのは見れば判るけれど、周りにいた隊員たちは動揺していた。彼らにとってわたしは“総長の彼女”なのだ。“そういうこと”になっているから。
 総長とその彼女が目の前でもめるなんて、生きた心地もしないことだろう。

「オレがいいって言うまで外に出るなって言ったよな」


 マイキーは多分、いま自分の右手が何をしたのかもわかっていない。
 上も下も、右も左も、正も悪もない。


 憧れのお兄ちゃんの真一郎くん。
 彼が亡くなってから時折見せるようになった、マイキーの深い、深いこころの闇。


「マイキー」
「帰れよ」
「‥‥‥わかった、今日は帰るね」

 聞く耳を持たなそうな彼に、そっと息を吐く。
 周りのみんなは息を呑んでわたしたちのやりとりを見つめていた。

「でももし取り返しがつかないと感じたら──」

 二年前の春に棄てた“わたし”が、常に背中にいる。
 両手が白くなるほど包丁の柄を握りしめて、ぴたりと切っ先をマイキーに向けている。
 あの日の薄暗い覚悟を払拭してくれたマイキーを、わたしの大切な人たちを、“そちら側”に行かせないために。

「×××××を殺さなきゃ」



「止めるから。殺してでも」



 ふっ、とマイキーの空気が軽くなった。

 わたしの顔を見て、転がる空き缶を見て、それを投げた右手を見下ろす。自分の行動を反芻しているようなその姿にちょっとだけ安堵した。
 まだわたしの声が届くところにいてくれる。

「じゃ、帰るね」
「‥‥‥‥」
「エマちゃん、二人のこと心配してたよ。マイキーも早めに家に帰りなね」
「‥‥‥ゴメン。あき」
「何がよ?」

 ちょっと笑ってきびすを返し、険しい空気のアジトをあとにした。


前へ - 表紙 - 次へ