「へぇぇ」

 ドラケンくん──もとい龍宮寺堅。
 小学五年生のときに出会って以来、マイキーと意気投合してなんやかんや世話を焼いてくれる、頼れる兄貴肌だ。出会った頃は普通に“堅ちゃん”と呼んでいたけれど、東卍結成に合わせて“ドラケンくん”と呼ぶことにした。
 こめかみに入れた龍の刺青がド派手な、東京卍會副総長を務めるケンカ番長。

 そんないかつい中学三年生が、わたしみたいなのほほん地味女に説教されて丸くなっている様子は、どう見てもちょっと面白い。
 面白いのだけれど、わたしは大真面目に怒っていた。

「あきちゃん、あのー」
「なるほど、なるほど。後ろから卑怯な不意打ちを頭に食らったあと大暴れ、マイキーが駆けつけたあとも大暴れ、刺されたあとも歩き回って、止血もせずに大暴れ。へええぇぇ」
「あきちゃん、ゴメンって。そんな怒んなよ」
「怒んな!? 怒らずにいられますかこれが!? そこに正座して、わたしの顔を真っ直ぐに見て、同じこともう一回言ってみなさい!!」
「マイキー助けて」
「諦めなケンチン」


第一章
あなたの心臓、06




「いつも言ってるでしょ、頭の怪我を甘く見ない! ちゃんと止血しないと目に血が入って隙になる! 大体なんでお腹を刺されて止血もせずに歩き回るの。バカなの。ああ、そーだった。みんなバカだった!」
「あー‥‥‥ゴメン!」
「もうっ、もう!」

 昨日の夜、寝るまではドラケンくんが一命を取り留めたということに安心して泣いていた。
 朝になり、マイキーが迎えに来てくれて病室を訪れたあとは、全然平気そうな顔で「おーあきちゃんオハヨ」なんて手を挙げる姿を見て怒りのあまり泣いた。
 ことの顛末を聞いたうえでドラケンくんに説教かましたら、また安心して泣けてきた。
 まだベッドから起き上がれないドラケンくんは、ベッドの縁に顔を埋めて嗚咽を上げるわたしの頭をポフポフ叩く。

「参るなー、あきちゃんに泣かれるとちょっとゾワッとするわ」
「なによ、ゾワッて。失敬な」
「いやマイキーがブチ切れねーかなとか」

 張本人は「へ? オレ?」みたいな顔して、見舞客用の椅子の上に丸くなっていた。
 昨日はさすがに参っていたみたいだけど、ドラケンくんが一命を取り留めたことで復活したらしい。どうせまた一人で泣いていたに違いない。
 それでも今朝は目の腫れすら見せようとしないのは、呆れた意地というかなんというか。

「‥‥‥それで、何か必要なものとかある? 着替えなんかはおうちの人が持ってきてくれるの?」
「そのへんは大丈夫。でも暇で暇でしょうがねぇから、なんか本とか貸してくれね?」
「わかった、お昼にでも何冊か持ってくるね。食べたいものは?」
「いーよ、そこまでしてくんなくて。なんか照れるなー」

 フフッとはにかむドラケンくんは、表面上はすっかりいつも通りだ。
 昨日心臓止まったんだよね? なんて不思議になるくらい。

 同居しているご家族はお店を経営しているから、あんまり頻繁にお見舞いには来られないそうだ。きっとエマちゃんが毎日通うだろうけど、この人は格好つけだから、エマちゃんに頼みづらいことがあればこっそりわたしに回ってくるな。
 ちょくちょく様子を見にこよう。

「そうだ、夏休みの宿題取りに行ってこようか?」
「ハラに穴開いた状態で宿題とかしたくねーよ! カンベンして」




 心肺停止の状態から蘇生した体力オバケの筋肉ダルマといったって、あまり無理はさせられない。見舞客が長居すれば、そのぶん平気なふりをしてしまう人だから、わたしたちは一旦病室をあとにした。
 わたしの五歩後ろを、スウェットのポッケに手を突っ込んだマイキーがぺたぺた追いかけてくる。

 病院の外に出ると容赦ない陽射しが皮膚を焼いた。
 セミの鳴き声が絶え間なく響いている。東卍のみんなのバイクの嘶きがそれに重なって、こっそり笑った。やかましいところがそっくりだ。

 ぴたっと立ち止まって振り返ると、マイキーもきっちり五歩後ろで同時に立ち止まった。


「‥‥‥だいっきらいって言ってゴメン」


 マイキーの目はふしぎな色をしている。
 これっぽっちも興味なさげで、それでいて世界の全てを見通すような、わたしたちとは違う何かを見つめているような、そんな眸。

「嘘だから。‥‥‥ドタキャンされたのはムカついたけど、東卍の関連だって本当はちゃんと解ってたし、仕方ないことだって思ってる。ちょっと言ってみただけ。ごめんね」
「‥‥‥んーん。オレもゴメン。ちゃんと説明すればよかった」
「いいよ。急いでたんでしょ」

 男の子連中の言葉が足りないのには慣れている。
 昨日は、一年にそう何度もない夏祭り、浴衣でお出かけできるのが楽しみだったから怒ってしまっただけだ。
 子どもみたいな拗ね方をした。この人はわたし一人を優先なんてできない、それほど大きな組織の上に立つ総長なのだ。
 大体、本当につきあっているわけでもないのに。

「じゃああき、オレのこと好き?」
「‥‥‥はい?」

 彼のふしぎな眸がわたしを見つめる。
 この人の視界にはいまわたししか映っていないんだと思うと、途端に体の熱が上がっていくのを感じた。
 いや待って、この「好き」ってどの好き?
 この人一体なにを言わせようとしてるの?
 いや多分なにも考えてないな、とコンマ一秒で答えが出た。だってマイキーだもの。

「‥‥‥好きだよ。嫌いだったら、黙って彼女扱いなんてされないよ」
「そう? よかった」
「よ、よかったね‥‥‥?」
「あきに嫌われたらオレ辛いな〜」
「え〜〜ゴメンって」

 あ、ほら、やっぱり。
 この言い方、本当になんの他意も含んでいないやつだ。一瞬どきっとしたけど、マイキーとの関係に大きな変化が訪れないことに、安堵の息を吐いた。
 だって、まだよくわかんない。
 周りのみんなが言う「あの子が好き」っていう気持ちと、わたしがマイキーのこと好きだなって思う気持ちに、どういう違いがあるのか、違いなんてないのか。

 ぺたぺた、とサンダルを鳴らしてマイキーがわたしの横に並んだ。ほんの少し高さの違う肩を並べて、たまにちょっとぶつかりながら、太陽の下を歩いていく。

 子どもの頃から全然変わらない距離、体温。
 まなざし。


 それでも真一郎くんが亡くなってからふと見せるようになった、深い闇を感じさせる横顔が、わたしはせつない。


「マイキー、手、つなご」
「えー? なに急に」
「仲直り」
「つなぎたいだけじゃん。あきは甘えんぼだからなぁ」

 しょうがないなー、みたいな顔でポッケから取り出された手は、わたしの体の横で揺れていた貧弱な手をつかまえた。

 この渋谷で、きっと誰よりも強い拳。
 色白で、誰より強くて、誰よりも弱い自分を相応に知る手のひら。

「あき」
「うん?」
「また間違ってたら、ちゃんと止めてね」

 マイキーはニコっと笑った。

 見る者ほとんどをだまくらかす、幼くて無邪気な魔性の笑顔。
 長いつきあいだからいい加減騙されはしないけど、なんとなく言うことを聞いてあげたくなってしまう、ずるい笑顔。


「うん、止める。殺してでも、ね」


 ‥‥‥甘やかしたら、ドラケンくんに叱られちゃうんだけどね。


「殺されないように頑張ろーっと」
「頑張れマイキー!」


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