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それはもはや愛なのでは
うちの学校には高嶺の花がいる。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。あるいは容姿端麗、成績優秀の才色兼備。それをまさに体現した、少女漫画の主人公というよりは少年漫画のヒロインみたいな女の子だ。
彼女は野球部のマネージャーで、しかもその野球部には幼なじみがいる。あまつさえその幼なじみまでイケメンで、一年生の頃からレギュラーだというから、二次元でもなかなかお目にかかれないほどのベタベタな設定だ。最初に友人からその話を聞いた時はそいつの妄想かと思った。
だけど、妄想なんかじゃなかったのだ。
「あーもー重い……あんにゃろコバセンめ、許さんぞー」
今日の日直という理由で社会科担当の小林先生から雑用を言いつけられ、私は重たい資料を抱えてえっちらおっちら階段を上っていた。目指せ四階、社会科資料室。
写真部の私に余分な体力などないに等しく、いい加減息切れしてきたところで、突如抱えていた資料がひょいっと半分以上持ち上げられた。
「どこまで?」
「ひいっ」
御幸一也だ。
先に話した高嶺の花の幼なじみ、イケメンで野球部の一年生レギュラーでものすごく強いキャッチャーらしい。同じクラスではあるが、一度も喋ったことはなかった。基本的に運動部の人たちというのは生きる世界の違う生き物だと思っている。
思わず失礼な悲鳴を上げてしまっていた私に、パチパチと瞬くイケメン。
「あ……ごめん、社会科資料室……」
「俺はお化けか」
「いえいえそうではなく……急に現れたからびっくりしただけです……」
というか、クラスではいつも一人でスコアブックを眺めていて、たまに野球部と絡む程度で積極的に他人に話しかける様子のなかった人だから、こうして声をかけてくれたことが意外だった。
親元を離れて野球のために青道へやってきた御幸一也に、クラスメイトの誰も彼もが、『自分たちとは違う覚悟を持った人』という畏怖にも似た感情を抱いている。
それもあって遠巻きにされていたのだけれど――
「女子に持たせる量じゃねーな」
「そうなのもう腕千切れそうだったの本当ありがとう!」
おや、意外と喋りやすいぞ。
クラスではよく同じ野球部で元ヤンと専らの噂の倉持くんと言い合いしているけど、こうして喋ってみると普通の人っぽい。
「―― 一也?」
ふと、鈴の鳴るような声が隣のイケメンを呼んだ。
数段先にある踊り場を見上げると、かの有名な高嶺の花が立っていた。
彼女は御幸を見下ろして、そして手摺に隠れて見えなかったらしい私に気付いて、その手元に視線を送ってから感動したようにうなずく。
「……御幸がクラスメイトと一緒に歩いてるなんて……」
「おいなに感動してんだ」
高嶺の花を間近で見たのは初めてだが、細胞の作りからして私とは違う生き物のように見える。
まるで精巧なビスクドールのように整ったかんばせには、笑顔こそ浮かんでいなかったものの、御幸を見下ろす視線はどこか優しかった。私がいることに気付いて呼び名を『一也』から『御幸』へ変えたところに、二人の親密さと割り切った関係をなんとなく悟る。
「どこまで?」
「社会科資料室」
「日直なの?」
「こっちがな」
御幸に顎で示され、私はぺこりと頭を下げた。高嶺は「いつも御幸がお世話になってます」と母親のような挨拶をしながら会釈してくれる。なんかいい匂いがした。
彼女は自然な流れで、下りてきたはずの階段を私たちと一緒に上り始める。
四階に辿りつくと数歩先を歩いて、両手が塞がっている私たちの代わりに資料室の扉を開けてくれた。二人が同時に私へ視線を送ってきたので、「ど、どうも」とへこへこしながら足を踏み入れる。
手分けして資料を棚の中に戻していると、早々に飽きたらしい御幸は作業をそっくりそのまま高嶺へ放り投げた。
文句も言わずに受け取った彼女の母親みに内心感涙しながら、そもそも自分で手伝いにきたくせにこいつ……と御幸を見遣ると、彼は資料室の机に腰を下ろして高嶺の後ろ姿を見つめていた。
黒縁眼鏡の奥で僅かに細められた、なにかまばゆいものを見るかのような双眸。
思わずどきりとした私が目を逸らせないでいると、見つめられていた彼女はふと御幸を振り返り、ぱちぱちと瞬きをしてからまた作業に戻った。
御幸のあの目に気付かなかったのか、それともあの目は彼女にとって日常なのか。
御幸は手を伸ばし、彼女の毛先に指で触れる。
指先でほんのちょっと、高嶺が動く度に揺れる毛先を掬っては、壊すことを懼れるかのようにすぐ離す。
高嶺は気付いているのかいないのか、今度は振り返ることもなかった。
「手伝ってくれてありがとう」
「こんなことでよければいつでも使ってやって」
「何でお前が返事してんだ」
資料室を出て頭を下げると、高嶺は真面目な顔で御幸を指さした。その横でなんともいえない表情になっている彼はしかし、柔らかな目つきで彼女を見下ろしている。
私たちとは違う覚悟を抱いてここにやってきた御幸一也。
細胞レベルで私たちとは違う生き物のように思える高嶺。
それぞれちょっとだけ私たちとは違う世界に生きている二人だけど、どうやら二人でいる間は、その世界が溶けて交わっているらしい。
なかなか二次元でもお目にかかれないベタベタな設定持ちの高嶺の花が、A組へ戻っていく姿を御幸と二人で見送る。
「……幼なじみって聞いてたけどさあ」
彼女の背中がきちんと教室に消えていくまでその場を離れなかった御幸に話しかけると、視線だけで続きを促された。
「大事にしてるとかそういうレベルじゃないよね、二人」
「……? 大事にしてるつもりだけど?」
そういうことをさらっと言えてしまう御幸一也にこっちが赤面してしまう。
思っててもなかなか言えないだろう普通。
「……ご馳走さまでした」
「はっはっは。お粗末さんです?」
うちの学校には高嶺の花がいる。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。少年漫画のヒロインみたいな女の子で、野球部のマネージャーで、しかもその野球部にはイケメンの幼なじみがいるという。
最初に友人からその話を聞いた時はそいつの妄想かと思った。
だけど、妄想なんかじゃなかったのだ。
それはもはや愛なのでは