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 かずくんがぶすくれた顔で、おじさんの作った味の薄いナポリタンをぐるぐるとフォークに巻きつけている。
 母の夜勤と父の急な出張が重なったわたしは、急遽御幸家の食卓にお世話になっているところだった。かつてかずくんのおかあさんが座っていた席に腰を落ち着けて、唇を尖らせる彼を見て首を傾げる。

「……どうしたの、かずくん」
「べつに! 父さんこれ味薄いんだけど!」
「……すまん」

 かずくんのおかあさんが亡くなってからしばらく、確か三回忌を迎える前の六月のことだったと思う。
 どう見ても機嫌の悪い彼にぱちくりと瞬いて、助けを求めておじさんを見た。

「ごめんな。まずかったら残してくれてもいいから」

 いえ、そうではなく。

 幼なじみの不機嫌の理由を訊きたかっただけなのだが、ちょっと通じなかったらしい。そうこうしている間にかずくんが冷蔵庫からケチャップを取り出してきて、なぜかわたしのナポリタンに投入した。

「ちょっと待って。かずくんちょっと待って。多い」
「でも味薄いだろ」
「ものには限度というものがあって」
「はんっ」

 はんっ、じゃないぞこいつ。
 当時のわたしは、自分よりも小柄で幼くて子どもっぽい彼を自分の弟のように思っていた。一体何があったんだと呆れた心地で溜め息をつきながら、明らかに今度は入れ過ぎのケチャップをスプーンで掬って、おじさんの皿に分けてやる。

「あ、一也、明日も雨だぞ」
「はああ!? いつまで降るんだよ、もう! もういいよバカ!」
「…………あー成る程」

 テレビで流れているニュースに理不尽な悪態を吐く彼を見て、大体のことは悟った。
 梅雨に突入して一週間雨が降り続き、ここのところは草野球の練習も、わたしたち二人の練習もできないでいる。つまりこの子は野球ができなくてフラストレーション溜まりまくりなのだ。
 苦笑いでナポリタンを食べ終え、三人で洗い物を済ませると、ぶーぶー言いながらグローブの手入れをし出したかずくんの横に座る。

「……なんだよ」
「てるてる坊主つくってあげる。明日は晴れだよ」

 箱ティッシュに白いミシン糸、顔を書くためのペン。いそいそと久方ぶりのてるてる坊主を作ってやると、隣のかずくんが沈黙した。
 グローブの手入れの作業も止まっていたのでそちらを見ると、黒縁眼鏡の奥の大きな双眸から、静かに涙が流れていた。
 ぎょっとしててるてる坊主を放り投げる。彼の頭を両手で引き寄せて抱きしめると、かずくんはしばらく声もなく泣いた。

 心臓がどきどきしている。
 おかあさんが亡くなってしばらくはこうして突然泣き出すこともあったけど、一周忌を終えてからはすっかり落ち着いていたから油断していた。
 もしかして、こうやって一人で涙を流したことも、わたしが気付かないだけで一度や二度じゃなかったのかもしれない。



 一也が教室の窓際の席で頬杖をついてぼけっと外を眺めている。
 梅雨に入り、雨の降り続く六月のことだった。昔ほど不機嫌になりはしないけど、長いこと外で野球をできないと、相変わらずストレスが溜まるようだ。

「てるてる坊主、作ってあげようか?」

 一也の顔を覗き込むと、彼は薄く微笑む。

「結局、晴れたもんな。あの次の日」
「わたしのてるてる坊主、けっこう効果が強かったね」

 憶えていたのか、と少し意外な気持ちになった。
 一也が急に泣きだしたあの日以降、彼と一緒にてるてる坊主を作っていない。この人の涙は心臓に悪い。
 こうして話題を出せたのは、昨年冬、七回忌が済んだから。

「昔……あの時もこうやって雨が降っていて、俺は完吾兄ちゃんと野球ができないから文句を言ってかあさんを困らせて……」

 頬杖をつくのをやめた一也が、体の横に垂らしていたわたしの左手を取る。
 無骨な右手でわたしの指を撫で、手の甲をさすり、指を絡める。
 わたしは何も言わずに聞いている。

「そしたら、『てるてる坊主をつくってあげる』って言って、作ってくれたんだ。かあさんのは結局効果がなくて、俺はまた次の日に文句を言って……」
「我がまま言っちゃって」
「はは、ほんとそれな。……あの時は急に泣き出して悪かったよ」

 一也は薄い笑みを浮かべたまま、また視線を窓の外にやった。
 薄暗い曇天。雨が降りしきる。わたしの指を弄り続ける彼の手を握り返すと、一也は窓硝子越しにわたしと視線を合わせた。

「かあさんとの思い出も、そのうちお前との思い出に塗り替えられていくんだろうな」

 もしかして彼が泣いたのは、おかあさんがてるてる坊主を作ってくれたことを思い出したからでも、困らせたことを悔いたからでもなくて。
 おかあさんとの思い出を、わたしが上書きしてしまうのが悲しかったからなのかしら。

「塗り替えられていくのが嫌なら話してくれればいいよ」

 こつん、と一也の頭に額をぶつける。

「……わたしが忘れないから」
「頼もしい限りだよ」
「半分だからね」



 その日、寮でてるてる坊主を二人で作った。そうしているうちに先輩や後輩がわらわら寄ってきて、結局大量のてるてる坊主が食堂に飾られることとなり、目撃した監督が「!?」と驚いていたのにみんなで笑った。

 この人の寂しい記憶が、賑やかな記憶で塗り替えられてしまえばいい。
 そうして記憶の下に仕舞いこまれたこの人の孤独は、わたしが持っていくから。

***

2018/06/01〜2018/07/31 拍手御礼文でした。小学校六年生→高校二年生六月頃のお話です。