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「かずくん夏祭り行こうよ」
「あー俺、今年はいいや。女子と行ってこいよ」
ミットの手入れをするかずくんにあっさりと振られたわたしは、その背中にどことなく違和感を抱きながら「行かないの?」と首を傾げる。
子どもの頃は両家合同で行っていたし、ここ数年は二人で遊びに行ってご飯を食べて帰るのが恒例になっていた。だから当然今年も――と思っていたのだけれど。
「暑いし、人多いし」
「……晩ご飯どうするの?」
「適当にするよ。いつも通りだろ」
「ほんとに?」
「しつこいなー。気にせず行ってこいって」
最近はわたしとかずくんが一緒にいるのを見かけると必ずからかってくる子がいる。それに傷付いているとか辟易しているとかではなさそうだけれど、面倒くさそうな顔をしているのは確かなので、人前ではちょっと距離を置きたい気分なのかもしれない。
若干寂しいような気もするけれど、かずくんだっていつまでも小さな男の子じゃないし。
これが反抗期の息子を持つ母の気分なのかしらとしみじみしながら、しみじみした自分の中身の年齢にちょっと涙目になりながら、「わかった」とうなずいた。
「わー、浴衣姿可愛い!」
「ありがとー。みっちゃんも可愛いね。よく似合ってるよ」
「えへへ」
実のところかずくんに声をかけるより先に、女の子たちから「一緒に行かない?」と誘われてはいた。多分かずくんと行くからと断ったわたしが「振られちゃったー」と泣きついたら、笑って「じゃあ行こー」と受け入れてくれた優しい子たちである。
お祭りはいつも初詣に訪れる神社の周辺で行われる。実を言うと御幸スチールもスーパーボール掬いの屋台を出店しており、顔見知りの社員さんが何人かいるのを遠目に見つけた。
すると向こうも「おっ、お嬢さん!」とわたしを見つけて手を振ってくる。
「こんばんはー。暑い中ご苦労さまです」
「ありがとー。今日は一也くんと一緒じゃないんだね」
「うん、暑いし人混みヤダって振られちゃいました」
あんまり頻繁に御幸家に出入りするものだから『はす向かいのお宅のお嬢さん』略して『お嬢さん』と呼ばれるようになってしまっている。
「まあ一也くんもお年頃だもんなぁ。お嬢さんが美人だから照れてるだけなんじゃないのー?」
「いやぁ今更それはないでしょう」
「男心はわからんぞー、特に今の年頃はね。まあ遅くなるなら声かけてね、送っていくから」
「ありがとうございます」
夏祭りには、中学校の子や知り合いも来ていた。
友だち同士で来ている子もいれば家族と一緒の子もいる。
今日一緒に来ているみっちゃんたちとは保育園から同じで、クラスが一緒だったり別になったりで喋ったり喋らなかったりの時期があるけれど、単純な期間でいうともうずいぶん長い付き合いになる。わたしとかずくんの関係も「そういうもの」として認識してしまっている、よき友人たちだ。
「焼きそばおいしいねぇ」
「ね。家で食べるのとはまた違うよねー」
基本的にのんびりとした気性の子ばかりのグループなので、わたしたちは至って普通に夏祭りを満喫した。
「おかあさーん!」「お面買ってー」「かき氷食べたいー」方々から聞こえてくる子どもの声が錯綜してゆく。お父さんと、お母さんと、子どもたちの家族連れ。
毎年かずくんと一緒に食べていた焼きそば、かき氷、わたあめにフライドポテト。何を喋るでもなく晩ご飯を済ませたあとは、ヨーヨー釣りとか、御幸スチールのスーパーボール掬いで遊んで、神社の隅っこに腰を下ろして最後の花火を待つ。
打ち上げ花火の破裂音は苦手だけれど、ぱあっと夜空が明るくなるのがきれいで好きだから、いつもかずくんと手をつないで見上げていた。
今頃自宅でひとりリビングにいるであろう、幼なじみの背中が脳裡に明滅した。
……ああ、わたし。
なにが反抗期の息子だ、なにが母だ。一緒にいなくてこんなにも寂しいのはわたしじゃないか。
「……ごめん帰る!」
すっくと立ち上がると、みっちゃんたちは目を丸くしてびっくりしていた。
「どうしたの? まだ花火まで時間あるよ?」
「もう本当ごめん……かずくんがちゃんとご飯食べてるか心配で」
「もー、また御幸くん? たまには私たちだって一緒に遊びたいのにー」
「ごめんね! 夏休み中また遊ぼうね!」
みんな御幸家のおかあさんが亡くなってしまったことは知っているから、多少わたしが彼に対して過保護でも気にすることはない。やっぱりこうなるか、といった表情で手を振ってくれた心優しい友人たちに別れを告げて、わたしはきびすを返した。
帰り道に焼きそばとたこ焼きとフライドポテト、それからかき氷とわたあめを購入して、家路を急ぐ。
下駄をからんころん鳴らしながら駆けること十分、ようやく御幸スチールまで辿りついた。
工場でおじさんが作業しているのが見えたから「おじさんただいま! お邪魔します!」と声だけかけて、玄関へ続く外階段を上がる。インターホンを鳴らすのも忘れていたので、ノックをして「かずくーん」と声をかけると、ややあって中から慌てたような足音が聞こえてきた。
「……は!? 何やってんだよ!」
「ただいまー! かずくん早く早く、焼きそばとたこ焼きとわたあめ食べてかき氷」
「でろっでろじゃねーか! なんだこの色水!」
「あー……間に合わなかった……」
「むしろなんで間に合うと思った。もー、汗だくじゃねーかバカ、早く入れ!」
ペンギン柄のカップに入っていたかき氷は大半が溶けてしまって、もはやレモン色の水になってしまっている。徒歩十五分の距離を頑張って駆け足で帰ってきたけれど、夏の暑さには勝てなかったようだ。
冷房の効いたリビングに入れてもらって、買ってきたご飯をテーブルに置く。かずくんが「ほらもー、汗拭いて」と甲斐甲斐しくタオルを持ってきたり扇風機をつけたりしてくれるので、有難く甘えることにした。
「……途中で解散したのか?」
「ううん、抜けてきた」
「なんで……」
心底呆れた様子のかずくんを振り返る。
その表情には別段いつもと変わった様子はない。じっと見つめたまま「なんとなく」と答えて扇風機に向き直ると、彼は溜め息をついて隣に座り込んできた。
「……浴衣それ」
「あ、気付いた? 中学生になったからって、お兄ちゃんが送ってくれたの」
「いいじゃん。崩れてるけど」
「走ったから」
「せっかく可愛くしてんのに何やってんだよ本当……」
その手には焼きそばとたこ焼きのパックが握られている。「晩ご飯もう食べた?」「食べたよ! 素麺!」と答えながらも、かずくんは割り箸をぱきっと割って手を合わせた。
「……おいし?」
「まずい」
「あはは。冷めちゃったか」
「たこ焼き引っくり返ってたし」
「わー、ごめん」
ぺろりと焼きそばを平らげたかずくんは、箸でそのままたこ焼きも食べ始める。遠くの方から乾いた破裂音がいくつか聞こえてきた。最後の花火が始まったみたいだ。
無言で咀嚼する彼がこれまた無言でたこ焼きを突き出してきたので、顔を寄せて一口で頂く。
生温いうえ潰れたたこ焼きは、確かにおいしくはない。
おいしくは、ないけど。
「ふふ」
「なに?」
「ううん。おいしいね」
「……ソースついてる」
へらへら笑っているわたしに、眉を下げて優しい表情になったかずくんが手を伸ばす。口元を拭うその手つきがくすぐったくて少し照れくさかった。
「やっぱり夏祭りはかずくんと一緒じゃないと変な感じする」
「はあ……」
「ね、手つないで? 花火の音怖いもん」
「お前そんなんでどうすんだよ今後」
しょうがないなーという副音声の聞こえてきそうな顔で、かずくんがぎゅっと手を握ってくれる。何だかんだと甘やかしてくれる可愛い幼なじみにちょっと笑いながら、遠くから聞こえてくる花火の音に耳を澄ました。
「かずくんと手つないでたらなんにも怖くないよ」
「……そーかよ」
「今後もお世話になります」
「しょーがねーからお世話してやるよ」
***
2018/08/01〜2018/10/31 拍手御礼文でした。中学一年生夏のお話です。
本編act.-4の00と一緒に読んで頂きたくて、思えば長いこと掲載させて頂いたものです(笑)