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 右肩を揉みながら首を回していると、「肩凝り?」と唯が首を傾げた。

「んー、肩凝りと頭痛……。ここのところずっとビデオ見てたからかな」
「ビデオ見てる間、微動だにしないもんね。そりゃ肩凝るよー」
「だよね」

 溜め息をつきながら肩をぐるぐる回し、ビニール手袋をはめ直しておにぎり作りを再開する。
 張った肩から頭痛が上がってきてこめかみが重い。今日はもう帰ってゆっくりお風呂に浸かろうかなと考えつつ、夕飯を食べている部員たちをぼんやり眺めた。

 ……あ。
 ふと、着替えた制服のポケットに入れてあった生徒手帳のことを思い出した。

「どしたの」
「いいこと思い出した」



「御幸」

 ご飯の残りでつくったおにぎりを並べ終えて、食事を終えた一也を手招く。
 首を傾げながら近付いてきた彼の目の前で、生徒手帳から取り出した紙切れをぱっと見せた。
 今よりも少し子どもらしい字で『肩たたき券』と書かれて蛇腹折りにしてあるそれの、一番上をぴりぴり千切って手渡す。

「肩たたきを所望します」
「……なんでお前がこれ持ってんだよ」

 呆れた顔で受け取る一也だけれど、わたしがにこにこしているうちに諦めたような溜め息をついて、「ほら座れ」と顎で椅子を指した。

『肩たたき券』。
 小学六年生くらいの母の日に、一也少年がわたしの母に贈ったものである。
 一也のおかあさんが存命だった頃から、一緒にカーネーションを買いに行ったりしていたのだが、五年か六年からはうちの母にもしてくれるようになった。野球や食事のことで母が御幸家に世話を焼いていたので、おじさんがちょっと気を遣っていたのだと思う。

 十枚セットの肩たたき券は、一度も使われた形跡がないまま、母からわたしに引き継がれたのだ。

 空いた席に腰かけると、後ろに立った一也が肩に手を置いた。

「青道に出てくる前にね、お母さんがくれたの。使うの忘れてたけど、あんたこれから一緒にいるんだから持っていけば、って」
「おばさん大事に持っててくれたんだな」
「あと九枚あるからね〜」
「ハイハイ」

 苦笑い気味な彼が親指に力を籠める。
 あの頃は何も気にしていなかったけれど、肩凝りの時に強く叩くのはあまりよろしくないようだということで、わたしが一也の肩を触る時は必ず揉むようにしていた。なので肩たたきというよりは肩もみである。
 一也が人のストレッチやマッサージを手伝っているところはあまり見たことがない。
 お願いするのも初めてだったけれど、意外と絶妙な力加減だった。

「上手じょうず」
「あんまやりすぎても揉み返しくるからなぁ……てか凝りすぎじゃね?」
「首が長いからかな」
「よく言うぜ。右肩バキバキじゃねーか、勉強のしすぎビデオ見すぎ」

 体温の高い掌だから、肩にそっと置かれているだけでもぽかぽかして血流がよくなる気がする。
 そんな気分を察したのか、一也は揉むのもやめて首筋に手を当ててきた。

「あったかーい。湯たんぽみたい。気持ちい」
「おーおー」

 目を閉じてのんびりしていると、ぱしゃり、と音が聞こえた。
 見るとノリくんと健二郎さんが携帯のカメラをこちらに向けている。

「なに撮ってるの。そういうのは事務所を通してくださいね」
「いや、珍しくリラックスしてるなと思って。……事務所って御幸事務所か?」
「すんごい気持ちよさそうな顔だったからつい。……お兄さん事務所かも」
「どんな顔よ。……片岡監督事務所」

 わらわらと近寄ってきた二年生たちが「選手交代」としっしと一也を追い払った。何をする気かしらこの子たちはと訝しい気持ちで見上げていると、なぜか腕まくりをした倉持が「二番ショート倉持」と名乗りを上げる。
 待って何、怖い。

「ちょっと、待って待って痛くしないでね?」
「お前次第だな」
「やだー! ノリくんとか健二郎さんならいいけど倉持は痛そう」
「言ったなテメエ」

 追い払われた一也は笑いながら隣の席に腰を下ろして、順番に肩もみをする二年生たちを眺めていた。やっぱり若干痛い倉持からくすぐったいノリくん、またちょっと痛いゾノくんに優しい健二郎さんと、次々に背後の人が交代していく。
 逆に揉み返しが来そうだけど、まあみんな楽しそうだからいいか。

「母の日は肩もみ券作ってやろうか」
「もー、そんなのいいから」

 からかうように笑った山口くんをぺしっと叩く。

「母の日はちゃんとお母さんに電話して、メールでもいいけど、毎日頑張ってるよって声聞かせてあげなさい。応援してくれてるのも本当だけど、一番大きく成長する高校生の間を近くで見守れないんだから、きっとお母さん喜ぶよ」

「はーいお母さん」にこにこしながら返事するノリくんの頭をなでなでしていると、時計を見た一也が「はい終わり、帰宅の時間」と今度は二年生を追い払った。
 なんか色々べたべた揉まれたせいでぽかぽかしている。上手な子と下手な子の差は多分、同室の三年生にマッサージをやらされているかどうかなんだろうな……。
 みんなが室内練習場や自室に散らばり、二人きりになった食堂で、一也は喉の奥で笑った。

「……なに」
「別に? 顔ゆるんでる」
「一也も母の日電話しなよ。お母さんいっつも『あんたは適当にやってるだろうけどかずくんが心配』って言ってるよ」
「マジかー」



 ちなみに帰宅後の揉み返しが凄かったので、もう二度と肩もみ大会など開催させるものかと固く誓った。
 そして母の日の練習後、携帯片手にどこかへ電話するみんながいたとかいなかったとか、帰り道に母に電話する一也がいたとかいなかったとか。


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過去拍手御礼文でした。二年生の3月くらいです。
最初は御幸に肩を揉んでもらうだけの話だったのですが、よくわからないお話になりました。