寒さの和らぎ始めた春先、非番を取ったあたしは乱菊さんと瀞霊廷内で待ち合わせをした。
 甘いものが食べたいのでいい甘味屋を知っていたら教えろという彼女に、では今度一緒に行きましょうと約束をしたのだ。十一番隊では基本的に非番が取りやすい。一週間前までに申請すれば簡単にいける。というのも今まで申請の仕方がガタガタで、その可否は隊長の一存だったからだ。まあ、これといった仕事をする人がいないため、そもそも非番を取る隊士が少ないというのも理由の一つだが。

「あとりっ。ゴメーン待った?」
「お疲れさまです。今来たところですよ」

 赤い艶やかな着物を着た乱菊さんは、歩くだけで道行く人の視線を集めている。副隊長ともなると名と顔が知れるからという理由が大きいが、一番の理由は、彼女のかんばせの華やかさと妖艶さだ。そこに立っているだけでも人の視線を集めてしまうほどの、いっそ罪な美しさを持つような女性はそういない。
 赤地の着物に牡丹の縫い取り、深緑の帯に暗い灰色の羽織。茶金色の豊かな髪の毛によく映える。

「あんた休みなのに斬魄刀持ってんの?」
「はい、一応」

 隊長格は、その過ぎたる実力や霊圧の強さなどの要因で、瀞霊廷内での帯刀は許可されない。緊急の任務があった場合は席官以下が出動するため、帯刀する必要がないのだ。普通は。
 うちの隊長はちょっと別だが。
 一方あたしは出動する側の席官であるため、非常時にあっても対応できるように、非番であっても一応帯刀するようにしてあった。

「あんた、休みの日くらいもっと力抜きなさいよ」
「そうですね……でも何かあったらいけませんから」

 苦笑するあたしの今日の服装は、斬魄刀を佩いているとはいっても普通の着物だ。淡い若草色の小袖に濃い紺色の帯、青灰色の羽織を着ている。さすがに帯に刀を差すわけにもいかないので、腰ひもで鞘を結んで背中に背負っていた。
 いつも一つにまとめている黒髪は、昔々に檜佐木が買ってくれた簪でくるりと留めている。

 集合場所から少し歩いて、奥まったところにある小さなお店の暖簾をくぐる。
 父子で商っている小さな甘味屋で、売り子は娘さんの小雪ちゃん、作るのは父親の最澄さんがやっているお店だ。あたしの顔を憶えてくれていたのか、娘さんは笑顔になって話しかけてくれた。

「いらっしゃいませ。お久しぶりですね」
「はい。今日は上司を――痛いっ」

 ばしんと容赦なく後頭部を叩かれる。
 乱菊さんの云わんとしていることを感じ取って、ちょっと照れながら云い直した。

「ゆ、友人を連れてきました……」

 小雪ちゃんはにっこりと笑って「そうですか! いまお客さん誰もいませんから、お好きなところへどうぞ」と手で促してくれる。
 乱菊さんに小突かれながら、窓際の二人席へ着いた。

「いい感じのお店ね」
「市丸隊長に教えて貰ったんです」
「ギンに?」

 目を丸くして驚く乱菊さんに、あたしの方もおや、と瞬いた。
 乱菊さんが、市丸隊長のことを下の名前で呼び捨てにするほど仲が良かったとは初耳だ。

「先日の隊合同演習の行事担当があたしと市丸隊長だったので、このお店で美味しいお茶とお菓子を頂きながら打ち合わせをしました」
「ああ、あんたが吉良と試合をしたあれね。そう……」

 そういえば乱菊さんは、十番隊の隊長と一緒に来てくれていたのだった。その節はご来賓賜り、とぺこり頭を下げる。
 メニューを開きながら、白玉善哉と抹茶白玉あんみつでうんうん悩んでいる彼女を眺めながら、「市丸隊長と親しいのですか?」と訊ねた。年齢やキャリア的には同期でもおかしくないだろう。あたしは白玉善哉とお抹茶セット一択である。ちなみに市丸隊長は白玉あんみつと冷茶セットだった。

「まあね。あんたと檜佐木……は真央霊術院時代からだっけ?」
「はい、一回生の頃から」
「じゃあちょっと違うわね。あたしとギンは、流魂街の野良猫時代の連れなの」

 野良猫時代。
 なんとも彼女らに似合った高潔な響きだろうかと感じ入りながら、そうなんですね、と相槌を打った。

「一緒に暮らしていたんだけど、ある日アイツ、何も云わずに消えちゃったのよ。一人ぼっちになっちゃってやることもなかったし、だけど霊力だけはあったから、何年かあとに霊術院に入学したの」

 小雪ちゃんを呼んで注文する。乱菊さんは抹茶白玉あんみつと冷茶セットを頼んでいた。

「そしたら、霊術院を二年で卒業した銀髪狐目の神童がいたっていうじゃない。その後は必死。とっ捕まえてぶん殴ってやるってつもりで、気に食わないけど、アイツの後をひたすら追い掛けてここまで来たわよ。まあ相変わらず何を考えているんだかいないんだか……あんまりにも時間が経ちすぎて、話を切り出しにくいったらありゃしないわ」

 彼女は手をひらひら振りながら、もう片方の手で頬杖をつく。苦笑いを浮かべるその表情はどこか哀愁を漂わせていた。あたしが男なら、乱菊さんにこんな顔をさせる市丸隊長をぶっ飛ばして、彼女を幸せにしてあげたいと思うのだろうな。いや、男じゃなくたって思う。
 乱菊さんのその瞳は、まるで恋する乙女のような、もっと悲愴な決意を秘めた戦士のような色を秘めていた。

 いつもけらけらと笑って周囲の人を元気づけてくれる乱菊さんが、こんな表情をすることもあるのか。

 隊合同演習の話を持ちかけてきた日、怪我をお大事にとあたしの頭を撫でてくれた彼の人の不器用な手つきを思い出す。彼はとてもひょうきんで、軽薄で、人懐っこくて、どこか一枚薄い紗の向こうにいるかのように遠い人だ。心にもないことだってきっと云うし、迷いなくするのだろう。だけれどその迷いのなさとは裏腹に、本当に大事なものに対しては、驚くくらい臆病になるんじゃないかと思う。
 別にあたしを大事に思ってくれているから頭を撫でる手つきが不器用だったというわけではなくて、なんとなく、感覚的に。
 打ち合わせにこの甘味屋さんを選んでくれていたのだって、隊の話をするには一応人目のないところがいいというだけでなく、きっとあたしを十一番隊の書類仕事から遠ざけるためだったのだろう。隊舎で打ち合わせをしていたらどうしても書類のことが気にかかるし、質問に来る隊士もいる。事実、仕事の話はしているのだけれど、ここで打ち合わせをする時間はあたしにとって休憩に等しかった。

「……市丸隊長って」
「うん?」
「確かに、何を考えているのかわからない部分もありますけど……その根幹の部分は、きっととても不器用で、お優しい方なのだと思いました」

 呆気にとられたように瞬きを繰り返す乱菊さんの表情は、先程の哀愁を帯びたそれよりも、とっても可愛らしい。
 今日は乱菊さんの色んな表情が見られる日だな、嬉しいな。

「だから、機会を見つけてお話すれば、きっと元通りになれますよ。死神の人生は長いのですから、ゆっくりでいいんじゃないですか」
「……そうよね。人生長いものね」

 口元をゆるめて彼女が笑ったのを見計らったように、小雪ちゃんが善哉とあんみつを持ってきた。キラキラと光る白玉がいつも通り美味しそうだ。
 ぱっと目を輝かせてあんみつを見つめる乱菊さんの表情は、市丸隊長にそっくりだった。思わず笑ってしまったが、幸い彼女には気づかれなかった。



 美味しい甘味を堪能した後は小間物屋さんをぶらぶらすることになった。
 乱菊さん御用達だというお店に入ると、質素だが可愛らしい香合や花瓶などが並んでいる。彼女が練香水を眺めたり手首に着けてみたりしている横で、あたしは簪や髪留めを見ていた。

「あんたも普段からこんなのつけてたらいいのに」
「うーん……壊した時の悲しみが大きそうなので」
「これは?」

 今つけている簪をするりと抜かれ、髪がばさっと落ちる。胸の下まで伸びた黒髪が、癖をつけてくるりと丸まっていた。
 ずっと昔に檜佐木から何かの贈り物として貰った簪は、漆塗の一本足の先端から鎖が伸び、その先に瑪瑙の玉飾りがついている。ちょうど少し伸びてきた髪が鬱陶しいと思い出していた時期に貰ったもので、よく見ているなぁ、と感心したものだ。

「これもよく似合ってるけどね。たまには別のつけたら? 平簪とか」
「そうですね。これも気に入ってるんですけど」
「……あんたこれつけて檜佐木に会ったりしないの?」
「あ、しません。恥ずかしいので」
「何よそれ。見せてやりなさいよ、喜ぶわよ」

 結局簪や髪留めを買う気にはならず、乱菊さんと一緒に香水の辺りをじっと眺める。兎や猫などの動物を模した入れ物に詰まった練香水や、色とりどりのきれいな巾着の匂袋がきれいに並んでいた。
 ずっと死神として生きるのに必死だったが、いい加減身なりに気を使って女らしくするべきだろうか。
 いや全くの無頓着だったわけではない。髪の毛は普通に手入れするし、化粧だってするし、着物にもこだわる。ただし全部普通ラインでいて、髪の毛や香水に特別の気遣いをしたことはなかったのだ。どちらかというとお茶やお菓子にこだわってきたような気がする。

 白檀の香を見つけて、つい手に取ってしまった。

「どうしたの? ああ、白檀。いいわよね」
「……はい」

 白檀の香は安心する。それと同時に、自分の無力を思い出す。
 自戒のためにも持っておこうか。きっと檜佐木がそれを知れば、お前はもう自分を赦してもいい頃だと、また怒るかもしれない。
 白檀の匂袋を購入して、懐に入れておいた。

 乱菊さんに取られたままだった簪を返してもらって、くるくると癖のついた髪を纏め直す。何だかんだといって丈夫だし、気に入っているし、暫らくはこの簪で過ごすことになりそうだ。
 そういえば貰った当時に暫らくつけてからは、失くしたら嫌だと思って檜佐木の前では使っていない。休日にまとめたりはするのだが、檜佐木と休日が被る訳でもなく、結局これを使う姿は見せていない気がする。
 たまにはつけて出勤してみようかと思いながら、乱菊さんとともに店を出た。


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