流魂街出身で死神になれなかった眞城は、瀞霊廷のはずれの共同墓地で供養された。九番隊席官だった森くんも、身寄りがなかったためお墓は同じく共同墓地にある。
 朝早くに檜佐木と待ち合わせたあたしは、道中の花屋さんで花束を二つと、和菓子屋さんでお供え物を購入した。

 眞城とは、霊術院に通っている間の寮が同室で学級も同じ、本当に一日中毎日一緒にいた親友だった。
 性差がないから檜佐木よりも仲良しだった。
 いつも笑顔で、とても美人だった眞城はみんなの人気者だった。鬼道は少し苦手だったけれど、白打と剣術に優れていた。もしかしたら十一番隊向きだったかもしれないな。

「おはよう」
「よう」

 あたしが墓地の門を視界に入れた時には、檜佐木はすでに立っていた。
 二人並んで墓地に足を踏み入れ、桶に水を溜めて持って行く。石に名前と生没年月日が彫られただけの質素なお墓の前で立ち止まり、水をかけて洗っていった。
 死神の人生は長い。
 その長い人生の中で様々な人と出会い、多くの人と死に別れる。目まぐるしい毎日は、死に別れた相手との思い出も埋もれさせる。
 眞城のお墓にお参りする人を、あたしは自分たち以外に知らない。

「……あたしが先に死んだら、檜佐木、お墓作ってね」
「何だよ、縁起でもねェな。……どこに建ててやろうか」
「そうだなぁ……瀞霊廷や尸魂界が見下ろせるような丘の上がいいな。どこでもいいよ。実家の近くでも、檜佐木がいたところでもいい」
「遠いな。墓参りしやすいところがいいや」
「参ってくれるんだ」
「当たり前だろ」

 前にお墓参りに来たのはいつだったかな。
 多忙を理由にして、随分と遠ざかっていたような気がする。

「檜佐木が先に独身のまま死んだら、あたしがお墓建ててあげるね」
「バーカ、隊長格は護廷十三隊内に墓が建つだろ」
「それとは別に作ってあげる」
「俺はどっちに眠ればいいんだよ」
「好きな方でいいよ」

 あたしがお花と和菓子を備えると、檜佐木がお線香に火をつけて渡してくれた。

 尸魂界で死んだ人の遺体は、いずれ霊子となって、この世界を構成する欠かせない物質となり飛散する。それを溶解と呼ぶこともある。だからあたしが吸う空気に、頬を撫でる風に、踏みしめる大地に、建物に、食べ物に、眞城が融けている。
 手を合わせて目を閉じた。

 痛かっただろう。怖かっただろう。
 鮮明に覚えておくにはもう時間が経ちすぎていたけれど、今でも夢に見ることがある。伸ばした指先。森くんの制止する腕。届かない掌。一突きのもとに奪われた眞城の命と、彼女の瞳から消えていく光。

 あなたはあたしを恨んでいるだろうか。

「……澤村」
「ん」

 檜佐木に肩を叩かれて目を開けた。随分と長い間拝んでいたらしい。
 非番でもなんでもないから、早く済ませなければ遅刻してしまう。また来るねと声をかけてから、次は森くんのお墓へ参った。

 彼の最後の言葉を何度も反芻した。だけど今でも意味はわからない。
 責任なんてたいそれたもんじゃないけど。虚から逃げんと立ち向かったお前の背に憧れていた。逃げるな。おまえは強いよ。御免な。
 責任ってなに。憧れってなに。逃げるなって、御免なって、なに。

 眞城のお墓と同じように水をかけて、お供え物をして、線香を立てて手を合わせる。

 太陽の位置はもう高く上がり始めていた。
 桶と柄杓を片づけて墓地の門をくぐった瞬間、風が頬を撫でる。

 ……あたしは、強くなどない。
 だけど何度も死に損なって前に進んできた。そしてこれからもきっと、あなたたちをここへ置き去りにして進んでいく。


 だからどうか、あたしを一生赦さないでいてほしい。


「……死ぬなよ」

 檜佐木がぽつりと低く呟いた。

「俺より先に死ぬんじゃねぇぞ」
「……それはどうかしらね」
「俺が死んだあと墓を建てて、昇進して隊長か副隊長にでもなって、しわくちゃの婆さんになるまで死神やって、年齢とともに引退して、そんで色んな人に囲まれて惜しまれながら死ね」
「……その台詞そっくりそのまま檜佐木に返す」

 彼の腕に額をすり寄せる。
 そうして穏やかな死を迎えることが何よりも難しいだろうことは、お互い痛いほど知っていた。



 十三番隊の三席が殉死した。
 お墓参りを終えて出勤すると、そんな話が入ってきた。十三番隊の席官から報告を受けた不知火くんがあたしに伝えてくれたのだ。明日、隊葬を執り行うという。代表であたしが出席することとなった。

 三席ともなれば言葉通り、その実力は隊内で三番目に強いということになる。その実力者が、流魂街外れに出た虚に敗れた。十三番隊が受けた衝撃は計り知れない。そしてその配偶者の悲しみも。

「あんた、知ってた? 彼女、海燕副隊長の奥さんだったのよ」
「志波副隊長の……」

 志波海燕。十三番隊副隊長。
 美男美女、実力者同士の誰の目にもお似合いな夫婦だったらしい。個人的なお付き合いはほとんどなかったが、志波副隊長とは、乱菊さんや檜佐木に呼ばれた食事の席で顔を合わせたことがある。

 憔悴した様子の乱菊さんが十一番隊の隊首室を訪れたのは昼下がり。
 お茶とお茶菓子でおもてなしすると、疲れたように微笑んで、彼女は「ありがと」とソファに腰を下ろした。書類や用事があったわけではなかったみたいだ。辛くてどうにも行き場がない時に、逃げ込む先へあたしのもとを選んでくれたのだとしたら嬉しい。

 彼女と亡くなった三席は、真央霊術院時代の友人だったらしい。

「酷いわぁ、ホント……。胸から上しか帰ってこなかったの。きれいな子だったのに……」
「乱菊さん」
「強かったのよ、あの子。美人で。みんな憧れてたし、隊長の信頼も厚かったのに」
「…………」

 正面に座っていたのを立ち上がり、彼女の隣に場所を変えた。慰める言葉も権利も持たないあたしには何も云えない。ただ膝の上に投げ出された彼女の手を握って、無言で隣にいた。
 やがてもう片方の手で顔を覆った乱菊さんが、あたしの肩に頬を寄せる。手を伸ばしてその肩を抱き、背中を撫でた。彼女が顔を埋める肩が熱くなってきたから、死覇装が黒くてよかったと思った。

 名の知れた隊士の死は、護廷十三隊の空気を沈痛にする。

 だけどそれでもあたしたちは、歩みを止めることは赦されない。
 その道が血に塗れていても、地面が見えないほどの死体に覆い尽くされていても、いずれ別たれるとしても、鎖されるとしても、あたしたちは歩みを止めてはならない。



「よう、澤村」
「阿近さん。ご無沙汰しております」

 書類を抱えて瀞霊廷内を歩き回っていると、懐かしい人に声をかけられた。
 十二番隊第三席、かつ技術開発局副局長。額からは小さな角が生えていて、眉がないので強面に見えるが、十二番隊の上位席官としてはとても親切な人だ。あたしが真央霊術院に通っていた時、霊圧制御装置をその手ずから作ってくれたので、檜佐木と同じくらい付き合いの長い人である。

「久しぶりだな。そういやお前、十一番隊に異動したんだったか」
「そうですね、二ヶ月ほど前に」
「右目の調子、どうだ。いい加減義眼作らせる気になったかよ」
「うーん、考えておきます」

 早めにしないと左目も潰れるぞと何度か脅されているが、まだ、あの傷をなかったことにするのは怖かった。
 右目の視力がなくて遠近感を掴み損ねる度に、脇腹に残る傷を指先でなぞる度に、白檀の香を感じる度に、自らの無力と愚かさを思い出し、自戒する。そうして今まで生きてきた。癖みたいなものだ。

「……十三番隊の件、お聞きになりましたか」
「まあ一応な」
「阿近さんは志波副隊長とは」
「会えば話す。単純な奴だから、今頃仇討ちにでも出かけてんじゃねーのか」
「…………」

 三席を屠った虚はまだ生きているという。

 ……死ね虚。せめて! 眞城の。あの時貴様の母さまとやらに殺された死神の。そして彼の仇と云ってやろう!! 脆弱な虚!!!


 仇。
 口にするととても軽い響きのそれは、両肩には重くのしかかる。

「……無事に帰ってくると、良いのですけれど」

 十一番隊詰所の前で立ち止まりそう呟く。
 阿近さんはその向こうの十二番隊まで帰らなければならないから、彼はあたしの横を通り過ぎていった。

「無事に帰ってくるばかりが幸せとは限らんがね」
「……、……お疲れさまです」
「ああ。またな」

 ひらりと手を振りながら阿近さんが遠ざかっていく。
 お墓参りをした今朝方は晴れ渡っていた空が怪しい雲行きになっていた。ぽつりと雨が降り始める。あたしは慌てて隊首室へ走った。

 十三番隊副隊長・志波海燕が、妻の仇の虚と相打ちになり殉死した。
 その話が入ってきたのは、翌朝のことだった。



 その日の十八時半より、十三番隊副隊長と第三席の隊葬が執り行われた。
 会葬者は一から十三番隊の隊長格或いはその代理、そして十三番隊々士、加えて個人的な知り合いの隊士。信ずる神を持たない死神たちが、唯一、どこに御坐すとも知れない神に安らかな眠りを祈る時。

 十三番隊々舎前の広場、二つ並ぶ柩に対面して十三隊の隊長格が横一列に並ぶ。その後ろへ十三番隊の隊士たち、そして故人らの知り合いが列をなした。

 席官による隊長挨拶の代読が済み、一同、黙祷。
 そのあと、手向けの花が隊長格へ配られた。

 出席した隊長格とその代理が手ずから花を棺桶へ手向ける。十一、十二番隊は代理だった。十二番隊の代理は阿近さんで、涅隊長が苦手なあたしとしてはとても助かった。

 きれいな花々に彩られて柩に眠る二人は、美しかった。

 祈りの言葉を十三番隊第三席が涙声で読み上げる。
 全ての次第が終わると山本総隊長が前に出でて斬魄刀を抜いた。同時にその場にいる全員が抜刀する。鍔鳴りの音がさざめいて、とても美しい音だと思った。
 抜いた刀を地面に突き刺し、総隊長が解号を口にすると共に総員その場に跪く。

 右手を心臓の上に置き、黙祷を捧げる。

 総隊長の斬魄刀・流刃若火の炎が柩を包み込んだ。

 燃える灰とともに舞い上がる、彼らのからだを構成していた霊子がちりちりと上空へ消えていく。彼女の霊子が、この世界を構成する欠かせない物質となり飛散する。それを溶解と呼ぶこともある。だからあたしが吸う空気に、頬を撫でる風に、踏みしめる大地に、建物に、食べ物に。

 あたしもいつか、ああして総隊長の炎に焼かれてこの世の霊子となる日がくるのだろうか……。


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