隊葬に参列したあたしは精神的にぐったりしていた。
 同じくぐったりした様子の檜佐木と一緒に帰ることになり、瀞霊廷内のお店で食事をとる。

 志波副隊長はかっこいい人だった、檜佐木は酒を飲みながらそう語った。
 気さくで強くて優しくて朗らかで、誰にでも分け隔てなく接することのできる懐の広い人だった。十三番隊の副隊長でありながら、病弱な浮竹隊長の代わりに隊を取り仕切ることもあり、多くの人に慕われていたという。涙目の檜佐木の頭を撫でた。志波副隊長は、副隊長としての檜佐木の憧れであったらしい。

「……その虚がさ、なかなか厄介だったんだと」
「そう」
「霊体と融合する能力を持っていたらしい。斬魄刀を消滅させられて、鬼道で対抗したんだそうだ」

 霊体と融合……。

 ぱちぱちと瞬いたあたしは、がたりと立ち上がる。
 驚いたような表情の檜佐木に夕飯代を渡して、「御免、用事思い出した! 先に帰る!」と云い捨てると、あたしは店を出た。
 瞬歩を繰り返し、護廷十三隊の書庫へ向かう。二十四時間体制の書庫の受付にぺこりと頭を下げてから、虚の記録が所蔵してある棚へ直行した。

 霊体と融合する能力を持つ虚。
 そんなもの聞いたことがなかった。
 虚は進化する。それはわかっている。単に体がでかいだけの巨大虚は別として、大虚にも種類があることはわかっている。虚圏に潜んでほぼ出現することはないうえ、遭遇率は極端に低い。大虚にはギリアン・アジューカス・ヴァストローデがいることもわかっている。上位になるほどその能力は高くなり、護廷十三隊の隊長格を以てしても斃すことは困難。
 だが、そこらに出現するような虚が、聞いたこともない能力を有していることに違和感を持った。

 檜佐木が院生時代に現世で出くわした虚は霊圧を消した。あたしが現世で遭遇した虚も、霊圧・気配・姿を消す力を有していた。しかもその虚には子がいた。そして今回、霊力を操り融合する虚が出た。

「……虚は、進化する、それは解っている」

 ぺらぺらと近年のものから探っていく。上位席官レベルが苦戦或いは殉死した虚、霊力を操る鬼道系の能力を持つ虚を特に注目して頁を捲っていった。
 二〇〇年前まで遡った。その辺りでは大した能力の進化も見られなかった虚が、およそ九〇年前から徐々に鬼道系の能力を有するようになってきた。
 まるで死神に近づくかのように。

 自分で至った考えながら背筋が凍る思いがした。
 虚が――死神に近づく?

 嫌な汗を掻きながら、九〇年前に何かがあったのだろうかと、護廷十三隊史の資料を引き出して床に広げる。

 浦原喜助、当時十二番隊々長兼技術開発局初代局長が、死神の虚化実験を行い現世へ追放処分になっていた。
 その逃亡を助長したとして、当時の二番隊々長兼隠密機動総長四楓院夜一、鬼動衆総帥・大鬼道長握菱鉄裁も投獄の処断が下されたが、行方を眩ました。そして浦原喜助の虚化実験に巻き込まれ、鬼動衆副鬼道長と、各隊の隊長・副隊長七名の計八名が死亡している。

 これか。

 つまりこの浦原喜助という人物が、死神の虚化実験、或いは類似した何かをまだ続けているということなのでは――

「澤村くん?」
「っ!」

 暗がりに一人の男性が立っていた。

「藍染隊長……」
「どうしたんだい、こんな夜中に」

 柔和な面持ちの藍染惣右介五番隊々長が、不思議そうな顔であたしの傍にしゃがみこむ。
 今の勝手な憶測を軽率に他隊の隊長に喋って混乱を招くべきではない。九〇年前を中心に前後の年代の資料を開いていたのが幸いだった。

「調べものです。十一番隊の成り立ちについて少し知りたくて」
「勉強熱心だね。あまり根を詰めては体に良くないよ」
「昼間は書類漬けですから、夜にしかできなくて……。そうですね、もうこんな時間だったのですね」

 ぱたりぱたりと資料を閉じていく。年代順に並べ直して書架に戻し、藍染隊長とともに書庫を出た。

「澤村くんが十一番隊の三席になってから、十一番隊への回覧書類がきちんと回るからみんな助かっているよ。頑張っているんだね」
「恐れ入ります。先日雛森十席から頂いた請求書なのですが、いま暫らくお待ちいただけますか。少しずつお返ししていきますから」
「あまり急がなくてもいいよ。無理なら払わなくても大丈夫だからね」
「そういうわけにはいきません……」

 藍染隊長と顔を合わせて個人的に話すのはこれが初めてだった。少し緊張したがぽつりぽつりと話を振ってくれたので、沈黙が痛いなんていうこともなく、気安く隣を歩くことができた。
 五番隊の隊舎前で別れる。頭を下げたまま彼の姿が見えなくなるのを待ち、藍染隊長が角を曲がったところで顔を上げた。

 ……藍染隊長こそなぜこんな時間に、書庫へ来ていたのだろう。



 翌日十三番隊へ書類を届けに来たあたしは、副隊長と三席、数名の隊士を失った悲しみに暮れるそこで居心地の悪い思いをしながら、廊下を歩いていた。
 書類を届けに来たが、また別のものを頂いてしまった。そう多い量ではないので片手で脇に挟んで、曇り空を眺める。
 角を曲がったところで、向こう側から走ってきた誰かと衝突した。

「わっ」
「あっ――も、申し訳ありません!」

 完全に気が緩んでいたあたしは書類をぶちまけた。ぶつかってきた隊士が慌てて拾ってくれるので、あたしもしゃがみ込む。
 その黒髪の隊士に見覚えがあったあたしは、あ、と声を零した。

「朽木ルキアさん?」
「は――はい……」
「あ、御免ね、つい。あたし十一番隊の所属で、恋次くんから少しお話を聞いたことがあるものだから」
「十一番隊、ということは、澤村三席ですか。失礼致しました、ご無礼を……」
「あ、そんな畏まらないで……」

 書類を拾い終えたあたしは、どことなく沈んだ様子の朽木さんに、どう声をかけたものかと思い悩む。
 彼女の目の淵に涙が溜まっているのに気がついた。
 見て見ぬふりもできず、彼女の頭に手を載せて撫でる。朽木さんは目を丸くしてあたしを見たが、気にせず撫で続けると不意に顔を歪めてぼろぼろと泣き出してしまった。
 今度はこっちが目を丸くする番だった。思わず片手で彼女の頭を抱きしめると、小さな朽木さんはあたしの肩に顔を押しつけて体を震わせる。

 視界の端に、浮竹隊長が現れた。
 片手を立てて口パクで「たのむ」と云っている。あたしはひとつ肯いた。頼まれてしまった。

 誰が来るとも知れぬ十三番隊の廊下よりは、多少遠くても十一番隊の応接間がいいか。どうせ隊の人は誰も来ないし、恋次くんだって近寄ることは少ない。
 朽木さんの肩を抱いて歩き出した。

 隊首室に戻って書類を置いてから朽木さんに手拭を渡し、給湯室でお茶とお茶請けを用意する。玉露のお茶に、今日はおはぎだ。

 雛森さんに、乱菊さんに、朽木さん。
 なんだかお悩み相談室とか駆け込み寺みたいになってきたなと思うものの、他隊の人を連れ込めるだけの環境になったのだとしみじみ嬉しい。前は書類が散乱して足の踏み場もいまいちなかったし、応接間なんてなかったのだから。いやぁ頑張って掃除してよかった。
 淹れたお茶を飲んでいると、朽木さんが顔を上げた。

「済みませぬ……急に取り乱して」
「いいよ。十三番隊は今大変でしょう。ゆっくりしていってね」

 労わるつもりで声をかけたら、朽木さんは再び泣き出してしまった。しまった禁句だったあたしの莫迦。
 隣に腰掛けて肩を抱き、頭を撫でると、彼女はぽつりぽつりと澱を吐き出し始めた。

 驚きは押し隠して、できるだけ冷静に相槌を打った。

 志波副隊長。
 貴族の養子という立場柄、人に疎まれることの多かった朽木さんに唯一遠慮なく話しかけてくれる人だった。多くの隊士に慕われた人だった。彼の傍は居心地がよかった。憧れていた。そして志波副隊長の仇討ちに同行し、虚と融合して取り込まれてしまった彼を刺し殺した。
 私があの人を殺した。
 私が、あの人を殺した。

 彼女があたしの死覇装を掴む手が震えていた。全く知らなかった志波副隊長の最期を思いがけず聞かされてこっちが潰れてしまいそうだったが、血を吐くような声で自分を呪う朽木さんを抱きしめる手は緩めなかった。

 やがて静かに嗚咽を零し始めた彼女に何を云おうかと考えて、考えて、眞城が死んだ時のことを思い出した。
 伸ばした手。届かなかった指先。
 だけどあたしの中で生き続ける彼女。

「……朽木さん。これだけは忘れてはいけないという志が、人それぞれいくつもあるね」

 そっと体を離して頭を撫でると、彼女は涙に潤んだ大きな双眸をこちらへ向ける。

「あたしたちが死んだら、その体は塵となって、やがて尸魂界を構成する霊子となり飛散する。現世で死ぬように魂魄となって心を残すこともできないし、虚のように失った心を求めて食事を繰り返すこともない。だったら、心はどこへ行くのか」
「……海燕殿も……その話をしてくれました」
「それなら、答えは解るよね」

 心は仲間に預けてゆく。
 だから死神は一人で死んではいけないし、どれだけの激戦でも、一人でも生き残らなければならない。託された心を託し、預け、受け取り、そうやって生きていかなければならない。
 意志だけは、心だけは、志だけは死なせてはならない。

「……はい」

 まだ涙目だった朽木さんだけれど、一度瞬きをして顔を上げると、その目は力強い光の色をしていた。
 美しい女の子。きっとまだまだ強くなるだろう。いずれ隊長格にも匹敵するかもしれない。なにせ、あの朽木隊長の義妹だ。

「あと一つ、これはあたしからの助言なんだけど」
「? はい」
「朽木さんはとても素敵な女の子だから、素のまま接していれば、きっとすぐに友だちができるよ」

 手始めにあたしと友だちになろう、ね、笑いながら手を差し出す。彼女は力の抜けたような微笑を浮かべてあたしと握手をしてくれた。

 隊舎へ戻るという彼女を、隊首室の前で見送る。
 恐縮して何度も頭を下げる朽木さんには参ったものだが、まあ仕方なかろう、彼女は平隊士であたしは席官、しかも隊が違えば一度も話したことがなかったのだ。穴があったら入りたい、というか穴がなくても掘って入りたいくらいの気持ちだろう。

「そういえば、朽木隊長は息災ですか?」
「はい。兄様ともお知り合いなのですか?」
「知り合い、というほどでもないな。一度だけ助けられたことがあるから、一方的に恩義を感じているの。お元気なら良かった」
「伝えておきます」
「恥ずかしいし、憶えていないだろうから云わなくていいよ。……気をつけてね」

 何度も振り向いては頭を下げ、手を振ってくる朽木さんに手を振り返しながら、見えなくなるまで見送った。

 昨夜、辿りついた自分の結論は胸に秘めておくことにした。
 九〇年前の魂魄消失案件について詳しい資料は残っていない。恐らく調べても無駄なのだろう。隊長格の不祥事などそのまま残しておくわけがない。
 そもそも根拠がない。虚は進化するものだ。それは共通認識なのだから、今更あたしが警鐘を鳴らすほどじゃない。

 ただ、胸騒ぎだけが残った。


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