十一番隊の副隊長は、隊長格就任歴代史上最年少の記録を達成した少女だ。
 少女というか、幼女と云うに相応しい。
 天真爛漫で無邪気で遊びと甘味とお昼寝が大好き。その肩書きと手に引きずる斬魄刀さえなければ、真央霊術院にすら入学していないその辺の子どもと大差なかった。
 ああ、あと、強面とかいう次元の問題ですらない見た目の更木隊長の肩に座っていなければ。

「あとりちゃん、お昼寝しようよ〜」
「……副隊長がこの書類に判子を押してくだされば、あたしも気兼ねなくお昼寝できるんですけれどね……」
「はんこはやだ!」

 隊内処理の書類がうずたかく聳えているのを横目に捉えつつ、にぱっと笑う副隊長に肩を落とす。

 隊長は口を酸っぱくして云えば捺印だけはしてくれるのだが――本当に捺印だけで書類に目も通していないみたいだけれど――、副隊長の場合、余程ご機嫌のよい時でなければその捺印すら貰えない。隊内処理書類は隊印・隊長印・副隊長印を押してもらわなければ処理できないので、副隊長に見放された紙の束がこうして彼女の身長よりも高く積み重なっている次第である。

「そんなにはんこ押したいならあとりちゃんがあたしの分も押していいよ!」
「そうできたらこんなに苦労してねぇですっつーの」

 階級的には上官ながら見た目がこうであるし、彼女自身も肩書きの上下には全く頓着しないので、憎しみのあまり敬語が変になってしまうのはいつものことである。
 他の席官も大体そうなのであたしもあんまり気にしない。

「あとりちゃーん。おーひーるーねー」
「副隊長がちょーっとぺたんこしてくれるだけで、あたしもお昼寝できるんですけどねぇー」

 あたしの死覇装を掴んでぐわんぐわんと揺らしてくる彼女に、体を揺らしながら応える。
 やがて副隊長はぷくぅっと頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向いた。

「ふんだ! じゃああたし一人でお昼寝するもん!」
「ちゃんと毛布かけて寝るんですよ」
「あとりちゃんが交ぜてって云っても交ぜてあげないんだから!」

 副隊長用の机に置いてある彼女のお昼寝用毛布をずりずりと引きずりながら、副隊長は隊首室を出て行った。
 何しろ更木隊長がその座に据わってからこちら数十年分の書類なので仕事が溜まっているのは本当のことだが、そもそもこの冬空の下、外で昼寝をしようとは思わない。あとできちんと毛布をかぶっているかどうか様子を見に行かなければ。

 未処理の書類をぺらぺらと捲りながら、十一番隊に異動になりここへやってきた時のことを思い出した。

 超戦闘部隊の十一番隊には、これまで副隊長以外の女性隊士がいなかった。
 気の遠くなる程昔にはいたと聞いているが、少なくとも更木隊にはいない。そこへぽーんと飛ばされたあたしが、隊士たちから舐められ見下されるのも無理ない話である。
 他隊では月初めに必ず各隊朝礼があり、そこで異動してきた上位席官を紹介する機会があるはずなのに、十一番隊にはそれがない。そもそも隊長が朝礼を招集しないからだ。今までと全く違う様子に戸惑いながらも、朝一番に出勤し、隊長たちの現れるのを執務室で待った。
 あろうことか、うちの隊士たちは執務室でなくて道場へ出勤していった。

 暫らく待ちぼうけをくらったあたしは段々と騒がしくなってきた道場へ向かい、そこにいた射場四席に挨拶をし、彼を通して隊長と副隊長に頭を下げたのだった。

「本日より十一番隊第三席となります、澤村あとりと申します。未熟者ではございますがご指導ご鞭撻の程……」
「女の子だ〜〜〜!!」
「ごふっ」

 初めて間近に見る更木剣八に若干怯えながら深くお辞儀をしたあたしの背中に、草鹿副隊長は飛び乗ってきた。
 突然の衝撃に思わず呻き声が漏れた。

「わぁい、女の子だ、女の子だよ剣ちゃん!」
「あ、あの草鹿副隊長、よければ退いてくださると嬉しいのですが」
「やったあ! ねえ遊ぼうあとりちゃん!」
「話聞いてねぇ」

 ……出会った時からこのテンションだった。

 隊長と副隊長はこんな感じであたしを受け入れてくれて――多分、総隊長に書類のことでくどくど云われなくて済むからラッキーという程度の考えだっただろうけど――、その日から、一日の大半を隊首室で過ごすこととなったのだった。

 隊首室は酷い有様だった。
 散乱する他隊からの書類や苦情や請求書の山。十一番隊で止まっている回覧の書類。あたしは頭を抱えて、まず隊首室を人間、いや死神の過ごせる部屋にすることから始めたのである。



 あの出会いから三週間と少し。自分でも驚くほど馴染んだものだ。
 気づけば廊下や屋根の上で昼寝している隊長と副隊長のために毛布を購入し、書類を整理するための書架や什器、汗だくで隊首室に戻ってくる隊長のために手拭を揃え、その手拭や替えの服を収納するための抽斗を買った。
 隊首室と応接間を仕切る屏風を新調し、家具もきちんとしたものを仕入れ、給湯室を掃除してお茶やお茶菓子を揃えた。

 隊首室を訪れる人などほとんどいなかったものの、一度、入院している隊士についてのお話をしにきた卯ノ花隊長には「頑張っているのですね。とても十一番隊々首室とは思えません」と激励のお言葉を戴いたほどだ。

 あたしは障子を開けて、副隊長がいつも昼寝をしている廊下を捜す。
 火鉢を焚いている部屋の中とは違って、底冷えするような寒さが肺腑まで染み渡った。この澄んだ空気は好きだが、寒いのは好きじゃない。ぶるぶる震えながら、廊下の欄干を蹴って隊舎の屋根の上へ跳び上がった。

 ちょうど道場の辺りの屋根に、桃色の頭が見える。
 静かに歩いて近づくと、案の定毛布から随分と離れた地点に副隊長が寝ていた。寝相が悪いにも程がある。これでよく屋根から落ちなかったなぁ……。
 毛布を拾い上げて、大の字に眠る彼女にかけてやった。
 その隣に三角座りをして高い空を見上げる。

 隊首室をきれいにして、書類を片づけて、そしたらそれからどうしよう。十一番隊の今の組織そのものを丸ごと改革できるわけではない。あと少しくらい隊士たちが真面目に机仕事をしてくれるようになれば、きっと予算も下りやすくなるし十一番隊の評価はどん底から多少上がるだろう。
 だけどその変化を、この隊の人たちは望んでいない。

 滞った業務を遂行するためにここへ配属された。それは護廷十三隊にとって必要な仕事だ。だけど、本能のままに戦いを求める更木隊長にとっては必要のない仕事なのだ。
 書類仕事をするようにと配属されたものの、あたしは自分の隊士としての在り方を決めあぐねていた。

 どうしたものかと悩んでいるうちに、隊長の霊圧が近づいてくる。

「何だ、テメーは起きてたか」

 どかどかと音を立てて歩いてきた彼に、副隊長が起きやしないかとハラハラしたものの気に掛ける様子はない。そして副隊長も起きる気配はない。
 道場での鍛錬を終えて水浴びでもしてきたのか、隊長は珍しく死覇装をきちんと着ていた。

「いえ、副隊長がちゃんと毛布をかけているか見に来ただけです。隊長もお昼寝するなら……」

 ばさり、ものすごい勢いで顔面に毛布が一枚飛んできた。深緑色のこれは隊長のために購入したものだ。

「オラ」

 隊長は、副隊長とは逆側の隣にどかりと腰を下ろすと、三角座りのあたしの膝を引っ張った。何だ何だと身構えながらひとまず正座をし直すと、隊長はあたしの膝の上に頭を載せて腕を組み、目を閉じる。

「隊長、ちょ、あの」
「枕が喋ンな、静かにしてろ」
「…………」

 黙りこくったあたしをよそに、隊長はものの数秒で寝入ってしまった。
 ごろごろと転がってきた副隊長が毛布を跳ねのけて、隊長の胸の上にひしっとしがみつく。起きているかのような動きだが、多分寝ている。
 隊長用の毛布を二人にかけて、あたしは副隊長の桃色のそれを自分の肩に羽織った。

 隊長のつんつんした髪の毛と鈴が膝の上に広がっている。チリン、と指先で擽って鈴を鳴らす。この音がけっこう好きだった。
 やることもなく手持無沙汰になったあたしは、手を伸ばして草鹿副隊長の頭を撫でる。

 瀞霊廷の空は、今日も青い。
 きっと流魂街の外れでは今日も血で血を洗う生活をしている人がいる。きっと現世では今日も絶叫を上げながら虚と戦っている死神がいる。きっと、悲劇は今も起こり続けている。
 その悲劇を想えば今こうしてのんびりとお昼寝をしていることすら罪に思えた。途方もない罪悪感が胸を焦がす。眉を寄せながら目を伏せると、気持ちがいっそう沈むような気がした。

 平和だ。
 平和なのはいいことだ。
 だが平和は、それ以外の多数の犠牲によって成り立つ脆いものだ。

 ついつい考え込んでしまう頭を振り、深呼吸をして目を閉じた。



「……はっ」

 ぱちっと目を覚まして起き上がるとそこは隊首室の応接間にあるソファの上で、あたしの胸の上に乗っていた副隊長がころりと転がって床に落っこちた。

「ああっ副隊長っ」
「うぅ、痛ぁい」
「済みません済みません、大丈夫ですか、頭は打っていませんか」

 まさか、あの時目を閉じてから寝てしまっていたのだろうか。体にかけられていたのは隊長の毛布だった。
 副隊長が目を擦りながら起き上がる。どうやら怪我はないようだ。

 すらりと障子が開いて、恋次くんが顔を覗かせた。

「あ、起きたんスね」
「恋次くん、御免、今何時? そしてあたしは何時間寝ていたの……」
「今、大体十六時です。そんな寝てませんよ。いや、隊長が先輩と副隊長を抱っこして下りてきた時はビビりましたけどね」
「隊長が!?」

 おっそろしい話である。
 恋次くんの話によると、隊長の腕にあたしが横抱きにされ、その胸元に副隊長がひっついて、静かに屋根から下りてきたらしい。あたしたちはそのまま応接間のソファに寝かされて、今までぐーぐー寝ていたようだ。
 隊長は他隊の救援要請に応えて隊長のくせに飛び出していったとのこと。普通、隊長格が直々にお出ましとなると相当大ごとになるのだが、更木隊長のこれはいつものことなのでもう慣れた。

 なんだか情けないやら恥ずかしいやら。顔を両手で覆ったところで、噂の隊長が帰ってきた。
 死覇装と羽織が血塗れだが、ピンピンしているので全て返り血だろう。

「隊長……済みませんでした」
「何がだ」
「いえ……云いたかっただけです。羽織、洗いますから貸してください」
「ああ」

 隊長の死覇装は知ったこっちゃないが、隊長羽織は白地なので血を落とさないと目立つ目立つ。
 ぴょこっとあたしの肩にしがみついてよじ登ってきた副隊長が、ふふふと笑った。

「剣ちゃん素直じゃないのー! あとりちゃんが風邪ひかないかなーって毛布持ってきたクセに!」
「やちるは黙れ」
「わぷっ。血塗れの羽織投げないでください隊長……、……?」

 顔面に物凄い勢いで飛んできた羽織をどかしながら、副隊長の言葉を反芻する。
 あたしが風邪をひかないかなーと毛布を持ってきた。
 ……そういえば、テメーは起きてたか、と云っていたっけ。
 あれは別に自分が昼寝するために毛布を持ってきたのではなくて、副隊長と一緒にいたあたしの霊圧に気づいて持ってきてくれたということか。結局なぜか膝枕をするはめになったものの、それも最終的にはソファに寝かせてくれた。

「……もう」

 十一番隊は実力主義の超戦闘部隊。
 血で血を洗う更木剣八とそれを慕う草鹿やちる。

 他隊からは疎まれ怯えられる傾向にあるこの人たちがこんなにも不器用に優しいのだと知ったらば、みんなどんな顔をするのだろう。


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