穿界門を通り抜けて現世へと降り立つ。
どうやら比較的軽症の七席が張った鏡門の中に出たようで、血塗れの隊士たちが大勢倒れていた。致命傷を負っている隊士もいる。七席は頭から血を流して険しい顔をしていた。
「鏡門を解いて」
「ああ、澤村三席っ……」
「あたしが倒山晶を張ります。よく頑張りましたね」
「申し訳ありません……檜佐木副隊長がお一人で……ッ」
巨大虚一体に苦戦するとは何事かと思っていたのだが、それ以外にも虚が数体いるのが見えていた。七席が鏡門を解くと同時に意識を失い、それとすれ違うように縛道の七十三を詠唱破棄で練り上げる。
「――嘯け・紅鳳」
即座に斬魄刀を抜いたあたしは、檜佐木の背後の虚を斬り伏せた。
「……澤村!」
「苦戦してるね。でも無事でよかった」
あまり好きではないといつか語った風死を始解した檜佐木は、右の脇腹と額から血を流している。
負傷の酷い脇腹をさっと回道で止血しながら、正面に飛び込んできた虚の仮面に刀を突き立てた。視界の端に穿界門が開き、四番隊が数名やってくる。怪我人はこれで大丈夫だろう。
続いて一角くんの姿が見えた。
檜佐木と背中合わせに立つ。一角くんが虚を斬りながらこちらへやってきた。
「早かったな澤村」
「どうも! 背後がら空きです、よ!」
かかかっと笑う彼の背後へ突っ込んでくる虚へ、白雷をブチ込んだ。
檜佐木が自分の斬魄刀を好きでないように、あたしも自分のそれが好きではない。
尸魂界にたった一振り、刀身から鍔から柄、柄頭に至るまで全てが澄んだ紅水晶のように緋い斬魄刀。
朽木ルキアの袖白雪に並び美しいと称される紅鳳は、その能力が曲者なのだった。その見た目からして炎熱系と思われがちだが、紅鳳は全くの鬼道系斬魄刀。しかも能力の使用に頭の回転の速さが必要になる。そして食らう霊力も莫迦にならない。
だからあたしは鬼道と歩法で勝負する。
これであとは巨大虚が一体かと楽観したところへ、あたしたち三人の三方へそれぞれ、巨大な塊が現れる。
「……オイオイどうしたこれ」
「報告では一体のはずだったけど……どういうこと檜佐木」
「悪いな。斬ったら分裂したんだよ」
巨大虚、それもそれなりの大きさのものが三体。斬ったら分裂するらしいが、その他能力は未知数。すこぶる面倒だ。
あたしは斬魄刀を鞘に収めた。
斬っては分裂するというのならば、ひとまず刀は足手まといになる。一角くんも檜佐木も斬魄刀は直接攻撃系。
「――君臨者よ! 血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ!」
あたしの詠唱が始まると同時に、危険を察知したらしい巨大虚が咆哮を上げながら突進してきた。傍らの二人が迎撃態勢に入る。
伸ばした掌を脇に寄せて、脚を開き構えた。
普段微弱になるまで抑え込んでいる霊圧を解放する。ビリビリと檜佐木たちの頬をあたしのそれが叩く。言霊に力を、掌に霊圧を乗せる。
「散在する獣の骨、尖塔・紅晶。鋼鉄の車輪。動けば風、止まれば空。槍打つ音色が虚城に満ちる――蒼火の壁に双蓮を刻む――」
突っ込んできた巨大虚を二人が斬り伏せたが、瞬時に断面から盛り上がり形を成した。
「――大火の淵を、遠天にて待つ! 破道の六十三・雷吼砲・破道の七十三・双蓮蒼火墜!!」
雷を纏った蒼い炎が、激しい爆音と衝撃を起こして吹き荒ぶ。
三体ほどが塵と消えて、少しの欠片が辛うじて形を留めた。どの程度の欠片があれば分裂できるのか定かではないので徹底的に潰すこととする。
紅鳳の柄を持ち、解号とともに始解した。
「想葬・『あなたたちは塵と消える』」
柄頭についた飾りがシャラリと高く鳴った。
紅鳳を一振りすると、巨大虚の残りの欠片たちがパァンと音を立てて塵となって消える。
紅鳳の能力は、『想像を現実に変える』こと。
現在起こっていることとは別の事象を現実に起こすことができる。それはまるで幻を見るように、嘘をつくように、夢を見るように。その気になれば「紅鳳の能力は『炎熱系である』」という想像をも実現させることのできる、使いようによっては尸魂界最強レベルにも成りうる斬魄刀であるらしい。
ただし、実現可能性と霊力の消費量は比例する。
だからこそあたししか使うことができない斬魄刀なのだ。
「……あんたの斬魄刀の能力、初めて見たな」
「そういえば、そうかもしれないですね。十一番隊ではあんまり始解しないので」
暴れ足りなさそうな表情の一角くんに声をかけられ、紅鳳を掲げて見せる。
鞘に収めて、怪我人の周囲に張っていた倒山晶を解いた。急にどっと疲れが襲い掛かってきてその場に膝をつくと、檜佐木に後ろから腕を取られる。
「無茶だ。縛道七十番台を展開したまま俺の傷を治すわ二重詠唱するわ始解するわ……いくら霊力バカでも疲れるに決まってんだろ」
「檜佐木こそ、止血しただけなんだから無茶しないでよね」
四番隊は凡その怪我人を穿界門から尸魂界へと搬送し、残るは比較的軽症の七席の応急措置をしているところだった。
搬送の邪魔とならないよう、あたしたちは一角くんの開いた門で帰ることにする。彼の斬魄刀が宙に突き立てられ、丸い障子と長方形の障子が順々に開いていった。
その瞬間。
本能、としか云いようがなかった。
支えてくれていた檜佐木の腕を振り切って一角くんを突き飛ばすと、穿界門の障子の裏へ一体、新しい巨大虚が現れる。
「なっ……」
あたしの伸ばした指先よりも早く、虚の鉤爪が腹を抉る。
熱い。
せり上がってきた熱い血が口元から溢れた。なんとか身を捩って直撃は避けたものの、脇腹を一部持って行かれたかもしれない。巡り廻って痛みさえない熱が体中を奔るが、対照的に、手足の末端は恐ろしい速度で冷たくなっていく気がした。
視界が眩む。
「廃、炎――」
指先から放たれた炎を掻い潜り、斬魄刀を解放した檜佐木と一角くんが突っ込んでいったところを見送って、その場に崩れ落ちた。
瞼を開けていられない。
眠い。
「――寝 な! を ろ!!」
「さ せき!!」
四番隊の隊士が駆け寄ってきて、怒鳴るようにあたしに声をかけてくる。霞んだ視界に泣きそうな檜佐木が入り込んできた。あの虚は斃したのだろうか。彼の向こうに広がる夜空には嫌味なほど美しい月がぽかりと浮かんでいる。
「あとり!!」
檜佐木の声だけは不思議と、よく聞こえた。
返事をしようとしたのだが、喉の奥から這い上がる血がごぽりと音を立てて口の中に溢れ出る。あんまりにも量が多いものだから噎せてしまった。そのはずみで目を閉じてしまった。しまった、もう、瞼を開ける元気がない。
手を伸ばすと、誰かが強く握りしめてくれた。
多分、檜佐木だったと思う。
「あとり、やめろ……目ェ閉じんな!」
無茶云わないでよ、檜佐木の莫迦。
「やめてくれ、頼むから……俺を置いて行かないでくれ」
ああ、もう……しょうがないなぁ……。
頬の辺りに熱い雫がぱたりと落ちてきた。莫迦。檜佐木の泣き虫。
檜佐木の手を握り直す力もなく、あたしの世界はそこで闇に落ちた。
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