ルキアの身柄は、六番隊牢に拘置されている。
 他隊から面会する際は副隊長以上の許可が必要なので、あたしは六番隊の詰所を訪れて恋次くんに直談判した。「いーっスよ、朽木隊長には俺から云っときますんで」とあっさりお許しを貰い、案内を一人つけてもらってから牢へ向かう。

 ルキアは柵の向こう、何もない部屋で椅子に腰かけ、じっと格子窓の外に広がる空を見上げていた。

「……有難う。帰りは一人で大丈夫だから」
「畏まりました。面会が終わられましたら牢番にお声掛けください。そのあとはご報告等も不要です」
「ええ、忙しいところ有難う」

 ここまで案内してくれた六番隊の隊士を帰すと、あたしの声を聞いたルキアはゆっくりと振り返る。
 ぱちりと目が合い、彼女はきゅっと唇を引き結んで眉を寄せた。

「……あとりさん」
「御免ね、ばたばたしていて暫らく来られなくて」

 ルキアがこちらに帰還してすぐは時間を見つけて何度か訪れていたのだが、ここのところはあたしも気にかかることがあったり調べ物をしていたりと忙しくしていた。
 数日ぶりに会ったルキアは少しやつれたようにも見える。

「いえ。明日には懺罪宮へ移送になりますから……」

 柵を掴んでルキアを見つめると、彼女も椅子を立ち上がって此方に歩み寄ってきた。
 手持無沙汰に柵に添えていたあたしの手に、華奢なルキアの小さな手が重なる。

「……最後に、あとりさんに会えてよかった」
「ルキア」

 必ず外に出してあげると、断言してあげられない自分が憎かった。
 ルキアはあたしを見上げて少し笑う。眉を下げて、凛々しい双眸が僅かに潤み、口角は苦しい弧を描いた。

「あとりさん。いつも勇気がなくて訊けずにおりました。最後に一ついいですか」
「…………」
「貴女を姉のように想ってもよいですか」

 ルキアが現世で行方を晦ましていた間の話は、少しずつ聞かせてもらっていた。
 死神の力を譲渡した少年の話。その家族。義骸に入り、高校に通った日々。関わり合った現世の人間たちの話。クラスメイトの女の子たちや、男の子たちのこと。
 ルキア自身は決して口にしようとしなかったけれど、瀞霊廷にいた間には得られなかった大切なものを、現世で手に入れようとしていたのかもしれない。


「当たり前でしょう……今更なにを云っているの」
「あとりさん。貴女に会えてよかった……」



二 瀞霊廷内に侵入者有り




 昨日の警戒令にて瀞霊門に駆けつけた三番隊・九番隊の報告によると、旅禍は門の外側に落ちたらしいということだった。
 瀞霊廷を守る東西南北の門にはそれぞれ門番がいる。門の外の侵入者は門番に一任されるので、暫らく周囲を警戒したのみに留まり、両隊は詰所へ戻ったという。

 一夜明け、ルキアの処刑まで残り十四日を切った。
 本日から彼女は真央刑庭に臨む懺罪宮・四深牢へと移送される。

 朝から中央書庫にて過去の裁判記録を引っくり返していたあたしは、以前より抱いていた違和感に一抹の確信を得つつあった。
 ルキアの刑が決定した時から、どうしても拭い去れなかった不穏。
 確信を持つまでにこれほど日数がかかってしまったけれど、――だからといって何ができるというのか。

 どちらにせよ現在、各隊長は緊急の隊首会の招集を受けている。更木隊長に相談するにしたって隊首会が終わってからになるだろう。とりあえずは現状の情報を得ようと二番側臣室へ向かった。

「失礼致します。十一番隊第三席澤村です」

 入口近くから声をかけながら顔を覗かせると、集まっていた副隊長陣から視線を向けられる。
 雛森さん、阿散井くん、射場さん、檜佐木、乱菊さんの五人しかいないようだ。顔見知りばかりだったためむしろ安心しながら踏み入りつつ、うちの副隊長がいないことに肩を落とす。

「あとり〜! どうしたのよアンタ、副隊長に昇進したの?」
「わかりきった冗談やめてくださいよ乱菊さん……。うちの副隊長がちゃんと待機されているかの確認と、できれば情報を得られたらと思いまして」
「相変わらず大変じゃのう」

 射場さんにバシバシ背中を叩かれた。
 昨日の旅禍の侵入に際して瀞霊門へ向かったはずの檜佐木に視線をやると、「つってもな」とがしがし頭を掻いている。

「真新しい情報はねーよ。侵入した旅禍の数は五。うち一人は死神の格好をした橙色の髪の少年。俺たちが解散したあと市丸隊長が迎撃し生死不明だ」
「市丸隊長が迎撃?――ということはこの隊首会はその査問?」
「恐らくな」
「状況が読めないわね。……ちょっと檜佐木いい?」

 乱菊さんの謎の冷やかしを背に廊下に出て、二番側臣室が目に見える範囲で遠ざかる。
 警戒令ののち、門の外に落ちて問題なしと判断された旅禍をわざわざ市丸隊長が迎撃した。恐らくは独断で斬魄刀も解放したのだろう。そのうえ全員死亡ならまだしも生死不明となれば、護廷十三隊のいち隊長として対応を糾弾されるのも無理はない。

「隊首会が終わったら浮竹隊長に伺おうと思ってるんだけど、一応檜佐木にも伝えておく」
「浮竹隊長? 更木隊長じゃなくか」
「うちの隊長は生憎とこういう問題はあてにならないので。……過去の裁判資料を浚ったんだけど、やっぱりどう考えてもこの判決はおかしいと思うのよね」

 檜佐木の耳を掴んで引き寄せ、聞こえるぎりぎりの小声で囁く。

「あの子の罪状は霊力の無断貸与及び喪失、滞外超過。その程度の罪で隊長格以外の死神に対して双極を使用してまでの極刑なんて、過去の判決にも類がない。これは阿近さんに聞いたんだけど、あの子の義骸には即時返却・破棄命令まで出ているらしいし――極刑に関する猶予期間、本来三十日あるものを五日短縮することも異例というほかない」
「澤村。お前の気持ちもわかるけど……」
「四十六室の決定は覆らない。解ってる」

 小さく息を吐いて彼から顔を離した。
 十一番隊第三席のあたしと、九番隊副隊長の檜佐木。背負うものには天と地ほども違いがあるから、この件に関して意見が合わないことは十分承知している。

「一人で勝手に動くから、檜佐木は知っているだけでいい。あたしに何かあったら、その時は」
「――やめろ!」

 声量を抑えた怒声に口を閉ざす。
 険しい表情をした同期に強く手首を掴まれた。骨が軋むほどの力に顔を歪めるけれど、檜佐木は容赦しない。

「何かあるかもしれないようなことをするなら、この手は放さねぇぞ」
「檜佐木」
「お前のその正義感は昔から尊敬しているが、それで何度死にかけたかこっちは逐一憶えてんだからな」
「檜佐木。……解った、解ったから放して」

 眉間に皺を寄せた彼が不服そうな顔のまま手首を解放する。
 赤い痕の残る手首をひらひらと振ってきびすを返すと、檜佐木は「無茶すんなよ」と声をかけてきた。
 あたしだって毎回、無茶をしたくてしているわけではない。



《緊急警報! 緊急警報!! 瀞霊廷内に侵入者有り!!》

 けたたましい警鐘が、夜半の瀞霊廷に鳴り響く。

「侵入者……?」

 眉を顰めながら立ち上がり、障子を開けて空を仰ぐ。昨日の旅禍侵入に際して殺気石が瀞霊廷周辺を円状に取り囲み、四方八方を遮魂膜に覆われたはずだった。侵入者有りと云うにしてはあまりにも静かだ。
 気配がひとつ、隊首室の前に降り立った。

「澤村三席」

 銀爾くんだった。
 更木隊長は先程漸く始まった隊首会に出席して外しているうえ、草鹿副隊長には変わらず二番側臣室での待機が命ぜられている。一角は部下に指示を出すたちではないのであたしの方に来たのだろう。

「そうね。隊士を集めて廷内守護配置につきましょう。隊長たちはどうせ飛び回っているだろうからあたしが指揮を執ります」
「畏まりました。……旅禍でしょうか?」

 こてりと首を傾げた銀爾くんに、うーん、とこちらも首を傾げる。
 現状の瀞霊廷に侵入しようとする場合、東西南北いずれかの門を抉じ開けるか、遮魂膜を無理やりぶち破るかの二択しかない。しかしあたしの感知する限りでは遮魂膜への衝撃も急激な霊圧の変化も感じられなかった。

 時宜的には旅禍以外で有り得ないだろうけれど――腑に落ちない。

 一番隊の隊舎の方から凄まじい勢いで隊長の霊圧が近づいてくる。どうやら此方目がけて奔ってきているようだ。
 銀爾くんと顔を見合わせると、どどどどどっとやってきた隊長とその肩に乗る副隊長が、あたしたち二人の前で急ブレーキをかける。

「澤村!!」
「……どうぞお好きに」

 どうやらこの一言だけ聞きに来たみたいだ。

 単独で動くのにわざわざ三席の顔を窺いに来るようになった更木隊長の姿が消えたのを見送って、いまだ鳴り続ける緊急警報に「ハイハイ」と相槌を打つ。
 瀞霊廷の夜空には見事な三日月が浮かんでいた。
 僅かに胸に生まれた違和感と不安を押し殺し、隊首室の戸を閉める。

 詰所へ集まった夜番の隊士を各班に分けて、守護配置の指示を出していく。普通の隊であれば有事に備えて普段から体制を整えておくものだが、うちの場合は整えておいても覚えていない脳筋が多いので仕方がない。
 眠そうだったり酔っ払っていたり面倒くさそうだったり様々だが、一応指示に従って散開した隊士たちの霊圧を追いながら、隣にいた銀爾くんに向き直った。

「どうせ一角と弓親はサボるだろうから、あとは頼んだ」
「サボるだろうと思うならなぜ見送ったんですか!」
「うーん……」

 あたしの考えすぎであればいい。
 そうでないならその時はその時。

 遮魂膜や瀞霊廷内の霊圧に急激な変化もないのに鳴らされた緊急警報。
 ただの誤報か、あたしの感知を上回る何かが本当に侵入したのか、それとも。

 ――それとも、侵入していないのに侵入者有りと、何者かが警報を鳴らしたか。

「……澤村三席が、伝える必要がないとお考えであれば俺は知らなくていいことです」
「銀爾くん」

 あたしの異動当初七席だった彼は、堅実な仕事を重ねあたしの右腕となり、剣術や白打の稽古にも手を抜かない十一番隊にあるまじき真面目な男になった。他隊に送り出しても恥ずかしくないいい部下だ。六番隊や十三番隊からは引き抜きの話も出たことがある。だというのにこの子は「十一番隊にいたいんです」と固辞していた。
 強くて聡明。あたしには過ぎた部下。

「その代わり、一人で抱え込まないでくださいね」
「……約束する」

 ひとつ肯くと、銀爾くんは深く一礼してから瞬歩でその場を後にした。

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