三 血塗れじゃねーかボケ
夜を徹して各隊の死神が瀞霊廷内を捜索したが、目ぼしい侵入者は見つからなかったようだ。
あたしも隊首室を空けて各班を見回ったものの、守護配置内に異変はない。隊士たちも拍子抜けしたような顔でその辺りをうろうろしている。
夜が明ける頃、隊長と副隊長に合流した。
「何もなさそうですね。――誤報でしょうか」
「知るか! オウお前らももう帰っていーぞ」
「残念だったね〜」
勝手に隊士たちに帰還を命ずる隊長の傍ら、改めて先程の警報の意味を考えて腕組みをした瞬間、ぞっと背筋が粟立った。
轟音が近づいてくる。
あたしが上空を仰いだのに一拍遅れて、更木隊長が訝しげに振り返った。
「あ? 何の音だ――」
――凄まじい密度の霊子の塊が、遮魂膜にぶつかった。
霊子を分解する性質を持つ遮魂膜に衝突してなお消滅しないほどの塊だ。周囲にいた隊士を念のため下がらせ、できるだけ一所に集まるよう指示を出す。
そうこうしている間に、球体は四つに分散して落下を始めた。
「――四つに分かれて吹き飛びやがった……」
「……一つはうちの配置に落ちそうですね」
瀞霊廷内各エリアへ向けて落下していく四つの塊を目で追う。
副隊長を背負った隊長は「一番強ェのはどいつだ!」と歓喜に沸きながら、高笑いとともにどこかへ消えていった。
下がらせた隊士たちに配置の交代を命じながら、廷内の各所で起こり始めている戦闘の気配を辿る。
十一番隊の配置の隅っこへ落ちたものとは、案の定サボっていたらしい一角と弓親が交戦。
ひとつは途中で気配が掻き消えた。残りふたつ、ぼんやりとした方角しかわからないが、少なくともうちの配置内ではなさそうだ。
隊長と副隊長は旅禍を追って瀞霊廷内を駆け巡っているようだが、感知の苦手な方向音痴が二人揃っているので、本当にただぐるぐる駆け巡っているだけになっている。
「澤村三席! 先程の球体は……」
「旅禍でしょう。一角と弓親が交戦中。銀爾くんはあちらへ向かって、何かあれば介入できるように備えて」
「畏まりました」
「旅禍は確保。ただし万一二人が敗けたようであれば深追いはしないで」
あたしのその言葉に銀爾くんは目を瞠ったが、「はい」と端的な返事を残して姿を消した。
――侵入した旅禍の数は五。うち一人は死神の格好をした橙色の髪の少年。
檜佐木から貰った情報を脳裡に反芻しながら、まさかな、と眉を顰めた。
「――――という人間と出会いました。私が死神の力を譲渡した人間です」
「橙色の髪の毛で、目つきが悪く、口も悪くて手も早い。それなのに、自分以外の誰かを守ろうとする気持ちが人一倍強く」
「短い間しか行動を共にはしませんでしたが、不思議と、心から信じられる奴でした」
その人間の話をする時、朽木家の養女として背伸びしていたルキアの横顔は、どこか人間じみた切なさを帯びていた。
橙色の髪の毛の人間なんてそうそういるものではあるまい。
まさか、ね。
夜が明けて日が上ると、徐々に瀞霊廷内の各所で戦闘の煙が上がるようになってきた。侵入してきた数はそう多くないため、あたしは隊首室に詰めて対応に当たっていたが、一つの霊圧が十一番隊の配置に近づいたことを感じて立ち上がる。
地獄蝶を連れて隊首室を出た。
「隊長。澤村です。旅禍の一人が十一番隊守護配置内に侵入、隊士数名が交戦中、念のため加勢に入ります。明け方、旅禍と戦闘に入った一角と弓親が消息不明、銀爾くんにあとを任せていますので彼と連絡を取ってください」
応えるようにひらりと羽ばたき、隊長の霊圧へ向けて飛び立った黒い蝶を見送る。
通り一つ隔てた向こうに感じていた旅禍の霊圧が収縮した。
次の瞬間、放たれた強大な霊圧の塊が隊舎を破壊する。
衝撃波に紛れて隊士たちの「ぎゃー」「ひー」という悲鳴が聞こえてきたので、建物の屋根を伝って現場へ走り旅禍と隊士の間に滑り込んだ。
ざっと把握した限りでもうちの隊士がごろごろ転がっている。為す術もなく目の前の旅禍にやられたらしい。護廷十三隊最強の戦闘部隊を名乗っておきながら――と思いはしたものの、それも、致し方ないか。
「無事か!?」怒鳴りつけるように安否を確認すると、無傷であった隊士たちがくわっと目を剥いて噛みついてきた。
「三席! なんでいんだよテメー!!」
「隊首室にすっこんでろクソアマ!!」
「邪魔だ!!」
「無事ならいい――あたしの後ろを動くな!!」
「縛道の――」背後に残る隊士を庇いつつ、あたしの姿を見て目を丸くした旅禍の表情に、一瞬だけ口がまごついた。
――なんだ、あの旅禍。
褐色の肌をした巨躯。右腕はまるで虚の外層に似た鎧を纏っているが、まだほんの少年ではないか。
「――――という者がおりました。とても大柄で、外国の血が入っているとかで色黒で。見た目にはたいへん迫力のある者なのですが、小さくて可愛いものが好きだそうなのです。虚に狙われる少年の霊のために大怪我も厭わない……心優しい者でした」
ルキアの語りと、その柔らかな横顔が脳裡に揺らめいた。
咄嗟に印を解き抜刀する。
「……嘯け・紅鳳!!」
あたしの始解が早いか、旅禍の霊圧の塊が放たれるが早いか。
ごおっと音を立てて向かってくるエネルギー体に視界が真っ白になった。
轟音とともに爆風が吹き荒ぶ。隊士たちの悲鳴さえ聞こえない。
発動が間に合わなかった。彼らは無事だろうか。だめだったか。それにしてもこれは何だ。ただ霊圧を凝縮しただけのエネルギー体。破道、むしろ虚の虚閃にも似た衝撃。
こんな能力を持つ人間が――何のために此処へ。
紅色の刀身一本で旅禍の攻撃を受けながら霊圧を全解放する。
反鬼相殺――得意としているその業で衝撃波を消すつもりでいたが、旅禍の霊圧の波動は死神のそれとは少し違ったらしく、異種の霊圧同士がただいたずらにぶつかり合い却って爆発を起こしただけになった。
指先から感覚が失せていく。
――だけどここであたしが倒れたら。
背後に庇った隊士たちはどうなる。
「御免な。澤村」
迫りくる霊圧の塊を全て受け切った反動で紅鳳が弾かれた。離れたところでからんと空しい音を立てる相棒を見遣り、大きく息を吐きながら地に膝をつく。
ぼたぼたと血が落ちて瞬く間に血溜まりを作った。
土煙の向こうに、旅禍の姿は既にない。
「さ――三席!」
「ちっ、血塗れじゃねーかボケ!」
「なんで俺たちなんか庇ったんだよテメエ!」
あたしが背に庇った隊士たちも、それぞれ怪我はあったが軽傷のようだった。わらわらと駆け寄って来ては罵ったり心配したりと忙しい。
「喧しい――部下を庇うのに理由がいるなら云ってみなさい」
ぐらり、頭が揺れる。
前に倒れそうになった体を隊士の一人が受け止めてくれた。凄まじい圧のエネルギーを刀一本で受けきれた代わりに体はぼろぼろだった。あたしを抱き留めた隊士が見る見るうちに血塗れになっていくのを見て、他の面々も出血量に気づいたらしい。
「血が――」
「ああもう、いちいち騒がないで。これでも元四番隊なのよ……」
傷それ自体は浅いが箇所が多すぎた。自分で自分の治癒をするのは難しい。いまいち制御がうまくいかず、気が急いて止血すらできなかった。
――ああ、畜生。
噛み締めた奥歯が嫌な音を立てる。
攻撃を跳ね返す鏡門を張ろうとした瞬間に『侵入者確保』の指令を思い出した。斬魄刀の始解にまで発想は至ったが、あの旅禍の攻撃を上手く消し去る想像が湧かなかった。死神とも虚とも少し違う霊圧に怯んだ。霊圧を読み違えて反鬼相殺もやりきらなかった。全てにおいて後手に回ったあたしの敗けだ。
あの瞬間、一瞬でも、旅禍の攻撃に怯んだ。
恐れを抱いて、紅鳳の能力が発動できなかった。
十一番隊第三席の席次を頂いておきながら、旅禍相手になんて無様な。
唇を噛む。血の味がする。
更木隊長と草鹿副隊長、その二人の下で一角と名を並べるあたしが、旅禍の一発に敗けた。それが一体護廷十三隊にどれだけの動揺を与えるか。
脳裡に過ぎる見知った隊長格や隊士の皆の顔に、死にたいほど恥じ入る。
「四番隊呼べー!!」「三席が死ぬー!!」「運んだ方が早えぇ!!」「不知火四席どこだー!!」
比較的軽症だった隊士たちに担ぎ上げられ、あたしは四番隊の救護詰所へ搬送された。
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