十 ゆめゆめ忘れる事勿れ



 縄を解かれているその間に処刑が始まったらしく、倉庫の外に出た瞬間、双極の矛が巨大な焔の鳥に姿を変えた。
 ――間に合わなかった。
 ざっと血の気が引いた瞬間、磔架へ向けて突撃していった焔の鳥の動きが止まる。

「何が起きて……?」

 さすがに遠くてよく見えないが、双極の丘で何かが起きていることは確からしい。
 呆然と立ち尽くしている間に、第二撃を繰り出そうと距離を取った焔の鳥が何らかの術を受けて弾け飛び、さらには磔架が何者かの手によって破壊された。

「双極って壊せるの!? まさか、旅禍――」
「……あっ、そうだ三席、大変なんです、更木隊長が! 旅禍を連れて処刑を止めるとかなんとか云って!」
「あああああやっぱりそうなったか……」

 ――更木隊長が、狛村隊長と東仙隊長と交戦。
 恐らく一角は射場さん、そして弓親が――檜佐木とか。霊圧の衝突を探るうちに双極の丘で動きがあり、浮竹隊長と京楽隊長の霊圧の移動を追って山本総隊長が動く。砕蜂隊長も見知らぬ霊圧と戦闘に入った。
 丘で朽木隊長と戦うのは旅禍だろう。――恋次くんが、丘から脱出していく。多分ルキアも連れて。

 方々で始まった大規模な戦闘に頭を抱えつつ、隣で混乱を極めている銀爾くんを一瞥した。

「……銀爾くん、隊長たちの安否確認をお願い」
「えっ、澤村三席」
「場合によっては四番隊を呼ぶように。隊長二人の卍解を相手にしてさすがに無傷では済まないでしょう、あの人も。弓親も檜佐木が相手だし……いや相性的にはどうかな……」

 弓親の斬魄刀の能力は、他言無用を条件に、鬼道系斬魄刀仲間ということで以前教えてもらったことがある。わりと卑怯というか――チートというか――斬魄刀を解放したとしたら初見の檜佐木に勝ち目がある気がしないので、曖昧に濁しておいた。

 ともかく一旦、処刑が止まった。
 市丸隊長の霊圧を感じられないのが不穏ではあるが、彼らの目的と推察された双極の解放という事態は避けられたのだ。ルキアも無事らしいから、ひとまずそちらに合流して彼らを保護した方がいいかもしれない。

 銀爾くんと別れて恋次くんの霊圧を追う。
 特徴的な赤髪、そしてその腕に抱かれた白装束のルキアを見つけて足を止めた瞬間、その前方に現れた東仙隊長が右手を掲げた。

「東仙隊長――」


 彼がここにいるということは――戦っていたはずの更木隊長は。


 思考が止まったその隙に、その手に握られた白い布が、ルキアを抱く恋次くんを巻き込んで収縮していく。
 ――あれは捕縛や移送用に使用される霊布だ。
「ルキア!!」斬魄刀を抜いてその場に飛び降りるが、東仙隊長たち三人は姿を消したあとだった。

 何処へ。
 処刑から逃げた極囚を確保しようとした東仙隊長の行動は理に適っているが、――あの霊布を使用してまで何処へ行った?
 嫌な予感が背筋を撫で上げたその瞬間、縛道の七十七天挺空羅、離れた位置にある相手へと霊圧を介して伝信する鬼道に捕捉を受けた。


――護廷十三隊各隊々長及び副隊長・副隊長代理各位そして、旅禍の皆さん。こちらは四番隊副隊長虎徹勇音です――


 有事の際も滅多に使われない天挺空羅の感覚に戸惑いつつ、霊圧の震えを通して聞こえる虎徹副隊長の声に耳を澄ます。

――どうか暫しの間、ご清聴願います――

――これからお伝えすることは全て真実です――





 虎徹副隊長の伝信を最後まで聞いてから、唇を噛んで走り出した。

 ――黒幕は藍染惣右介。

 中央四十六室を殺害、斬魄刀鏡花水月の能力で自らの死を偽装した。現在日番谷隊長と雛森さんを害したうえ、共犯と思しき市丸ギンを伴って双極の丘へ向かっている。
 鏡花水月の能力は完全催眠。始解の瞬間を目にした者全てを催眠にかける。
 つまり盲目の東仙要は、最初から藍染の部下だった。

 あたしはこの目と鼻の先で、ルキアと恋次くんを敵の手に渡したことになる。

「檜佐木も……聞いてるだろうな……!」

 瞬歩を連用して双極の丘へ向かう。とにかく遠いうえ、丘の頂上は見上げても見えないほど高い標高にあるのだ。建物の屋根を蹴り、木々を駆けて、丘の頂上へ続く階段を数十段飛ばしながら上る。


 息を切らしながら到着した瞬間、市丸隊長の手から伸びた神鎗が、ルキアを庇った朽木隊長の左胸に刺さっていた。


 きょとんとした様子の市丸隊長がゆっくりと神鎗を抜く。

 血まみれの旅禍の少年、恋次くん、倒れ伏した狛村隊長。膝をついた朽木隊長を藍染から庇うようにルキアが抱き寄せる。丘の上を見渡して大体の状況は把握した。
 鏡花水月の能力は完全催眠。
 あたしも催眠にかかっている。恐らく勝ち目はないが――

 ルキアが殺されそうになった。朽木隊長がそれを庇った。そしてなお藍染惣右介は彼女を始末しようと向き直っている。ならば勝ち目がなくともやることは一つ。

 紅鳳を抜いて藍染に斬りかかると、指先一本で防がれた。

「藍染……!」
「ギン。――殺しておけと云った筈だが」

 悠然と笑みを浮かべた藍染が市丸隊長へ視線をやる。
 肩を竦めた彼が首を傾げた。

「殺した思うてんですけど。厄介な斬魄刀ですわ」
「全く……」

 まるであたしの斬魄刀の能力で市丸隊長を欺いたかのような言い草だがそんな憶えはないし、先刻まで何も知らずに『崩点』でぐうすか寝ていたうえ、此処に辿りつかないよう拘束され霊圧を封じられ倉庫に結界まで張られていたのだ。

 莫迦でも解る。
 ――市丸隊長に救われたのだ。あたしは。

 指先に掴まれただけの紅鳳がびくともしなかったため潔く手を離し、詠唱破棄で鬼道を練り上げる。

「破道の六十三・雷吼砲――破道の七十三・双蓮蒼火墜!!」

 続けざま放った鬼道が地を砕き盛大な爆発を起こした。からんと落っこちた紅鳳に手を伸ばしながら土煙の向こうに藍染の姿を探す。


 右目を覆って頭部を掌に掴まれた。

 ――無傷か。
 にこりと微笑んだ藍染を睨みつけて、頭部を掴む掌に集中した霊圧を反鬼相殺で弾き飛ばす。向こうの霊圧が僅かに上回って爆発を起こし右目が見えなくなった。
 それから腹部に鈍い衝撃を受ける。
 霞む左目で見下ろすと、藍染の手刀が腹を突き破ったようだった。

「きみの斬魄刀は厄介だからね」
「……そ、でしょうね」

 ずるりと手が引き抜かれる。
 その喪失感に膝をつくと喉の奥から血塊がせり上がってきた。厄介な斬魄刀を有するあたしの息の根を確実に止めるため、その手が鏡花水月の柄にかかる。
 ――瞬間、風圧とともに飛んできた二人の人影が藍染の動きを止めた。

「動くな。――筋一本でも動かせば」
「即座に首を刎ねる」

 砕蜂隊長と、見たことのない女性だが――恐らくは四楓院夜一。

 続いて市丸隊長の背後を乱菊さんがとり、東仙の首筋に檜佐木が風死を突きつける。
 瀞霊廷の方々で戦闘を繰り広げていた隊長格も双極の丘に集結し、三人の反逆人を取り囲んだ。

「終わりじゃ。藍染」

 その言葉に藍染が口角を釣り上げる。

「ああ、済まない。――時間だ」

 藍染を拘束していた二人が即座に距離を取った。足元に伏していたあたしを回収してくれたのは四楓院夜一だ。
 空を貫いて降ってきた四角柱状の光が、藍染を取り囲む。

 反膜。
 ネガシオンと呼ばれるそれは、大虚メノスグランデが同族を助ける時に使う結界のようなものだと――真央霊術院時代の教科書で読んだことがあった。実物をこの目に見るのは初めてだ。

 あの光に包まれたが最後、光の内と外は干渉不可能な世界となる。
 なるが。


 ――紅鳳なら。


 紅鳳を掴んで立ち上がり一振りすると、貫かれた腹部から血が流れた。「無茶じゃ、腹に穴が」目を見開いて支えに来た四楓院夜一を振りきって、大きく息を吸った。

 紅鳳の能力は、『想像を現実に変える』こと。
 現在起こっていることとは別の事象を現実に起こすことができる。それはまるで幻を見るように、嘘をつくように、夢を見るように。ただし実現可能性と霊力の消費量は比例する。だからこそあたししか使うことができない斬魄刀なのだ。

 想像を現実に変えること。
 嘘を真実に変えること。
 ――不可能を可能に変えることさえ。

――あとりさまには知っていてほしいの
――あとりさま。わたしの名は、


「卍――」

――『     』


「――解……!」


 かっ、と軽い音を立てて紅鳳を握る右手首を刃が貫通する。
 つながるその先へ視線をやると、市丸隊長が、いつも通りの飄々とした笑みを浮かべて「あかんよ」と嘯いた。

「あかんよ。あとりちゃん」

 市丸隊長の手からその刃を伸ばした神鎗がずるりと抜けていく。
 遠慮なく気安く容赦なく刺し貫いた瞬間とは裏腹に、どこか名残惜しげに。


「――お大事にしや」


 彼の斬魄刀がもとの脇差の長さに戻った瞬間、市丸隊長も反膜に包まれた。続けざまに東仙も。それぞれを拘束していた乱菊さんと檜佐木が後ろに飛び退る。

 空が裂けて、不気味な色相を渦巻く孔の向こうに、大量の大虚が犇めいていた。
 腹の底に響く咆哮が空から降ってくる。

 膝をついたあたしを四楓院夜一が「無茶をする……」とぼやきながら受け止めた。
 微笑んで後ろの乱菊さんを半身に振り返っていた市丸隊長は、その銀髪の隙間から細い目を開けて此方を見る。

「どうして……」

 どうして助けたの。
 殺せと云われていたくせに、どうして、首を突っ込まないようにわざわざ寝かせて閉じ込めて。
 守るみたいに。


「何故ですか市丸隊長……!!」


 喉が裂けるほどの絶叫に、彼はいらえなかった。



「さようなら。死神の諸君」


 反膜に誘われて地面ごと空へと上っていく藍染が、前髪を掻き上げ、その眼光の鋭さを隠していた眼鏡を取り握りつぶす。
 冷たい一瞥をくれた彼は酷薄な笑みを浮かべて、大虚の手に守られながら、空に開いた穴の中へと消えていく。


「そしてさようなら、旅禍の少年……人間にしては、きみは実に面白かった」





「また随分と無茶をしましたね」

 地面に横たわったあたしの周囲に浄化結界の準備をしながら、荻堂がいつもの表情でぼやいた。

「おぎど……」
「卯ノ花隊長カンカンですよ。澤村先輩の場合は内部霊圧の回復が殆ど必要ないので楽でいいですけど――なんかいつもと様子違いますね、そんなに霊圧枯渇するほど解放しましたか」
「ちょっと、いろいろ……」

 市丸隊長に仕掛けられた結界を逆に霊圧で破壊したり卍解しかけたりしたものの、荻堂が首を傾げるほど枯渇した憶えはない。ぼんやりとした頭でそう答えようとしたものの、声の代わりに血が込み上げてくる。

「檜佐木副隊長! 檜佐木副隊長どこですか」
「い、ちまるたいちょう……一発なぐる……」
「澤村先輩しっかりしてください。意識を飛ばさないで。しっかりして! 内部霊圧回復に入ります――檜佐木副隊長!!」

 だんだんと焦りを見せ始めた荻堂が怒鳴るように名を呼ぶと、どこかしらで救護に手を貸していたらしい檜佐木が駆けつけた。

「手を握ってあげてください、折る勢いでいいです、澤村先輩の意識を飛ばさないで。先輩しっかりしてください、寝たら死にますよ、俺の腕そんなによくないの貴女が一番知ってるでしょう」
「ひ、さぎ」
「澤村お前また腹に穴開けて……! 無茶苦茶すんのもいい加減にしろよ!!」

 無茶苦茶。そうだなぁ。勝ち目がないと解っているのに、藍染に斬りかからずにはいられなかった。
 だけど、朽木白哉という人が困ることがあろうものなら、いつか全力で助けに行くと心に誓っていた。視線を向けると、ルキアが朽木隊長の手を握っている。

 うん、いい景色だ。
 ルキアが助かった。あの子が生きている。よかった。
 ……よかった。

「檜佐木……」
「なんだよ莫迦」
「……ねむい」

「寝たら死にますってば」と怒鳴りつける荻堂をよそに、あたしの手を握る檜佐木はふと微笑んだ。

 ねえ檜佐木。
 東仙隊長、行ってしまわれたね。
 剣を握るのが怖いあなたを、戦いを恐れるあなたを、それでいいと認めてくれたたった一人のあなたの上官が。
 震える手で昔なじみの掌を握ると、檜佐木は「ああ」と頷いた。

「眠いな」
「澤村先輩しっかり!!」
「寝たかったら寝ていい。お前ここんとこ色々考えすぎでキツかっただろ。また起きたらゆっくり茶でも飲もうぜ」
「檜佐木副隊長、寝かせないでくださいっ」

 彼の指先が前髪を払う。
 重たい瞼を下ろすと、世界には左手に感じる檜佐木の体温だけになった。


「朝になったら、起こしてやるから」

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