「澤村補佐官!」

 赴任から数日経ってもいまいち馴染めない役職名で呼びつけられたので視線を向けると、戸隠三席が遠慮がちにぺこりと頭を下げた。
 三番隊詰所の廊下である。
 十一番隊と違ってきれいだし、煙草の吸殻も落ちていないし、何よりあそこでは日常茶飯事だった隊士同士の喧嘩が一切ない。イヅルくんは出来るだけ早くお返しできるようにと云ってくれたが、正直戻りたくない気持ちもちょっとだけある。

「日番谷隊長がお呼びだそうです」
「日番谷隊長?」

 日番谷冬獅郎十番隊々長。
 最年少で隊長に就任した、氷雪系最強の斬魄刀『氷輪丸』を有する天才だ。若さゆえ直情的なきらいはあるが、護廷十三隊の隊長陣の中では相当まともな方に入る。
 まともでない筆頭が自分の本来の上官であることはまあ置いておいて。

 十番隊の副隊長である乱菊さんと通じていくらか面識はあったし、先達ての反乱においては色々と気を遣って頂いている。
 といっても個人的に呼びつけられる用には心当たりがなかったので、首を傾げながら立ち上がった。

「……何の用だろ?」


憧憬




「阿近さーんっ」

 すっかり通い慣れた技術開発局に顔を出すと、いつも通りリンちゃんの取り次ぎを経て、白衣姿の阿近さんが顔を出した。仮眠中を叩き起こされたのか、眠たそうに欠伸をしている。
 申し訳ないとは思いつつもついでに持ってきていた書類を渡して、顔の前で掌を合わせて拝んだ。

「お願いがあるんですが」
「断る」
「まだ何も云ってませんよ」
「お前がそうやって殊勝にしていると気味が悪ィ」

 さすがあたしが霊力の制御も儘ならない小娘だった頃からの付き合いである。すげなく断られるが、此方も退くわけにはいかない。
 十一番隊に入ってから育まれた驚きの図太さを発揮して、聞かなかったことにした。

「ちょっと現世の映像を見せてほしいんです。過去のものも技局で保管してますよね?」
「断るっつってんだろ何勝手に話進めてんだテメェ」
「それから義魂丸を一ケースください。あともう一つ造ってほしいものがあるんです」
「図々しくなったもんだなお前」
「そこをなんとか! 小娘の頃から面倒を見てくださっているよしみで!」
「とんだよしみもあったもんだぜ……おい鵯州!」

 がしがしと寝癖のついた短髪を掻きながら、阿近さんが機器の前でがちゃがちゃと操作していた研究員に声をかける。
 鵯洲さんは技術開発局通信技術研究科・電波計測研究科の科長だ。現世の電波放送を見るのが趣味らしく、実はルキアが現世で行方不明になった時の発見に一役買っている。

「現世の映像出せ。此方に坐す澤村三席どののご命令だ」
「あ、阿近さんそんな意地悪云う」
「人の仮眠邪魔すっからだ。で?」
「――四日前の、空座町東部の映像を」

 気怠そうに人の肩に寄りかかってきた阿近さんを引きずって、あたしには何が何だか解らないような機械を弄っている鵯州さんの後ろから画面を覗き込んだ。
 検索してもらった映像を阿近さんと一緒に確認していると、嫌がらせのようにあたしの肩に肘を乗せて体重をかけてくる彼が、小さく溜め息をつく。

「……いつまでだ」
「できるだけ早く……」
「ったく、また徹夜かよ」
「御免なさい」

 何しろ急な話である。申し訳ないのも本当なので、精一杯しおらしく謝ると、阿近さんはあたしの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「小娘のおねだりじゃ仕方ねェ」



 十二番隊は十二番隊で、先日の旅禍との戦闘で涅隊長が破壊した多くの建物のことで忙しいことは存じている。そのうえ藍染の持ち去った〈崩玉〉という超物質のことや、その作り手である浦原喜助の研究書の調査なども命じられて、技術開発局はてんてこ舞いだ。
 だが現在の護廷十三隊は、どこもかしこもそんな風に忙しい。

 あたし自身も三番隊の業務に追われる身だった。

「澤村補佐官、済みません、この書類なんですが」
「ああ調査書ね。そこ置いておいてください」
「補佐官、吉良副隊長はどちらに……」
「いま聴取で出てるからあたしが対応します」

 隊長が稀代の反逆を犯して行方を晦まし、副隊長はなんらかの催眠や暗示をかけられたとはいえ一時はその手先として、十番隊の隊長・副隊長と対峙している。
 利用されただけだという事情は考慮されているものの、イヅルくんは取り調べのために召喚されることも少なくなかった。

 隊長不在の際の隊長代行権限は現在あたしにある。
 しかし正式な任官でもないので、これも捜査と本人の精神状態が落ち着けばイヅルくんに渡すことになっていた。
 幸か不幸か――藍染の手により中央四十六室が全滅させられたせいで、そのあたりの決定権が全て総隊長に下りてきているため、こういう反則的な人事が可能になっているのだ。

 補佐官として赴任した当初は遠慮がちに業務を振りにきていた席官たちも、すっかり慣れて気軽に声をかけてくる。それでもふとした時に彼らは隊長の執務室に視線をやっては、痛みを堪えるような表情をした。

 信頼していた隊長に裏切られた、三番隊の心の傷は根深い。


 急いで仕事を片づけ、引き継ぎ書類も作成し、イヅルくんが席を外しているのでひとまず戸隠三席に一通り説明してから漸く隊舎を出る。向かった先の四番隊綜合救護詰所で、先日の反乱からいまだ復帰できないでいる一人のもとを訪れた。

 雛森桃、五番隊副隊長。
 敬愛していた藍染惣右介の裏切りを受け、その斬魄刀に胸を貫かれて以降、意識が戻っていない。

 病室の扉を開くと、中にはイヅルくんの後ろ姿があった。

「来てたんだ」

 声をかけて隣に並ぶ。雛森さんとイヅルくん、そして恋次くんは真央霊術院時代の同期だ。三人ともに練磨し、ともに卒業し、そしてついに副隊長になった。
 イヅルくんの懊悩も相当のものだ。
 体の両脇で握りしめられた拳が震えているのを見て、小さく息を吐きながらその手を取る。

「……今なに考えてる?」
「え……」
「云って御覧」

 指先まで真っ白になって強張っている拳を撫でながら、ゆっくりと指を解いていく。掌に残った爪の痕は深い。

「……僕が……もっと疑問を抱いていれば」
「…………」
「少なくともあの時、云いなりになんてなっていなければ……」

 せっかく開いてやった掌をまたぎゅっと握りしめたものだから、あたしの方は目を据わらせて隣の後輩の背中を力いっぱい叩いた。
 バシン! と我ながら痛そうな音が響き、実際イヅルくんは「痛い!!」と悲鳴を上げて、涙目になりながら此方を見る。

「過去に対する最善策なんて誰だっていくらでも云える」

 寝台に横たわって固く瞼を閉ざした後輩を見下ろした。
 藍染隊長が憧れなんです。どうしても隣に並びたい。あの人の横で戦える自分になりたい。どうしたら強くなれますか。――ひた向きに努力をしたその結果が此れだ。

「前を向く。しゃんと背筋を伸ばす。自分にできることをやる。立ち上がれる限り歩く。歩ける限りは前に進む。動ける限り戦う。拳ではなく、刀を握る」

 もっと早く藍染の死に違和感を抱いていれば。
 かつて書庫で藍染に会った時の違和感をもっと早く思い出していれば。
 あたしだってそう思わなくもないが、それを云っても始まらない。

「澤村先輩……」
「しっかりしなさい。今はあなたが三番隊の一番上なのよ。上官が揺らげば部下も揺らぐ。いつまでも他所からの補佐官なんかがついてるようじゃ士気にも関わるわ」
「……そうですね」

 口の端を少しだけ緩めたイヅルくんの背中をぽんぽんと撫でた。

「……澤村先輩、かっこいいです」
「なに急に」
「いえ。また先輩と一緒に仕事できて嬉しいなって」

 四番隊の頃を思い出しているのだろうか。
 正直あの時代、特に長い間我が儘を云って平隊士でいさせてもらった頃のことは苦い思い出だ。ちょっとだけ顔を歪めながら病室を出ると、イヅルくんはそれでも目を伏せて笑っていた。


前頁 | 表紙 | 次頁