「ハァ? 霊圧殆どねえザコじゃねーかよ。ハズレのハズレだな」

 不愉快そうな顔になったのは、制限されたあたしの霊圧を探って実力を判断したからだったらしい。

 破面。
 阿近さんのところで映像は確認したが、実際に対峙するのは初めてだ。
 虚とは違ってほとんど人型。砕いた仮面の名残が頭部を覆い、その手には斬魄刀のような刀剣を持つ。
 その容貌をちらりと確認した次の瞬間に姿が消えた。目で追えないほどではない。茶渡くんが巻き込まれないような位置関係を思考した僅かな隙に蹴りを受ける――が、そこで黒崎が到着した。

「ハズレかどうかは――戦ってみねぇとわからねえぜ」

 破面の腕を掴んで黒崎が吐き捨てる。
 遠からずルキアも駆けつけるだろう。

「チャド、退がっててくれ」
「待ってくれ一護、俺の傷ならもう――」
「いいから!……俺に任せてくれよ」

 それまでは破面の襲撃に反応できなかった自分が信じられないといった面持ちだった茶渡くんが、そこで初めて傷ついたような眼差しになる。
 背を向けていた黒崎には見えなかっただろう。
 やがてきびすを返して走り出した茶渡くんの足音を聴きながら、黒崎はあたしに視線を向けた。

「あとりさん、怪我は……」
「あるように見える?」

 恐らくこの破面、今回襲撃してきた中でも弱い方だ。
 日番谷先遣隊の面々であればルキアでさえ斬魄刀を始解すればまず敗けない。黒崎も苦戦はしないだろう。茶渡くんとあたしのところに来たのがあいつで運がよかった。

「じゃあ、あとよろしく。他の方が苦戦しそうだわ」
「――ああ」

 地を蹴って背後の建物の屋根へ退避すると、義骸のまま駆けてきたルキアと目が合った。
 年若い少年の苦悩に口を出せるほど親しくはない。視線だけやって「どうにかして」と肩を竦めると、ルキアも何かしら悟るものがあったのか、きゅっと眉根を寄せた。


同じ志の人




 茶渡くんは単身、駆ける。
 その背中を追いながら霊圧を探った。
 日番谷隊長と乱菊さんのもとへ破面が二体。ここに井上さんがいる。恋次くんが一体と交戦中。これは浦原商店の前だから危なくなれば介入されるだろう。あとは一角と弓親のところに一体いるようだが、彼らのことなので一対一に持ち込んだはずだ。
 もう一体の気配がないのが気にかかるものの、とりあえずは疾走する茶渡くんの後ろ姿に目をやった。

「茶渡くん。茶渡くん待ちなさい」

 大柄な男の子なので普通に追いかけていては歩幅が違いすぎる。仕方なく瞬歩で前を遮るように降り立つと、息を荒げた少年は戸惑ったように立ち止まった。
 元旅禍の少年たちの間にどんな絆があり、経歴があり、想いがあったのかは知らない。茶渡くんが黒崎の「退がっていろ」という言葉に傷ついたことは解っても、なぜそうなるのかまでは解らない。
 従ってかけてやれる慰めの言葉など思いつかないが、治療要員として先遣隊に加わった以上、先程の破面の手刀が掠った傷口に血が滲んでいるのを看過するわけにはいかなかった。
 ただでさえ怪我が治ったばかりなのだ。

「きみみたいな子がやたらと町中を走り回ったら要らない注目を集めるわ。ひとまず一旦帰宅しなさい、今頃あたしの義骸が夕飯を作って待ってるはずだから」
「……あとりさん、俺は」
「きみは今晩、あの部屋に帰って夕飯を食べてあたしの義骸の身柄を守ること。技術開発局の連中は基本頭の変なやつらばっかりだから義魂丸もたまに突拍子のないことをするのよ。お願いだからうら若きあたしの義骸が変なことしないように見張ってて頂戴」

 茶渡くんが寡黙なのをいいことに次々捲したてながら、鎖結か魄睡を狙われたらしい胸元の傷を治癒していく。ついでに、治りきらないのに井上さんの能力を解除してもらったらしい右腕の仕上げも施しておいた。

「あたしは本来ならきみや井上さんや黒崎みたいな人間の子どもを戦力として数えたくはないの」
「…………だが」
「きみたちみたいな人間を護るのも死神の仕事なのよ。見た目こんな弱そうなのに護られたくもないでしょうけど、あたしはこれでもルキアや恋次くんよりも先輩だし、一対一で庇うものなしにきみと戦ったら間違いなくあたしの方が強い。今はこっちの数の方が多いから心配もしなくていい。しっかり体と心を休めなさい。わかった?」

 黒崎の言葉に狼狽したままの少年の心につけこんで、わざと年上ぶった話し方をしながら思慮深げな双眸を覗き込む。
 僅かに頷いたのを確認すると、精一杯背伸びしてその頭を撫で回した。

「よしよし。要らんこと云った黒崎はあとで張り倒しておいてやるから、くれぐれも義骸をよろしく」
「いや、そんな……」
「みんなの治療が終わったら帰るから。その時、部屋にきみがいなかったら、地の果てまで追いかけ回して往復ビンタするからね」
「ム……」



 市街地を巻き込んだ派手な戦闘になっていたおかげで一角と弓親の居場所は解りやすかった。

 茶渡くんがアパートの方角へ戻っていくのを確かめつつそちらへ向かうと、決して小柄ではない一角よりも優に二倍は大きな破面が、『鬼灯丸』を卍解した一角の攻撃を受け止めたところだった。
 離れたところで戦闘を見ていた弓親の隣に降り立つ。

「来たんだ」
「此処が一番、後先考えずにバカスカ怪我しそうだったから」
「違いないね」
「……ところでその子は?」

 弓親の近くで呆然と一角の戦闘を眺めている制服姿の少年を差すと、「家主」と短く返された。
 普通の人間に見えるが、死神が視えているのか。そういえば今朝、教室で見かけたような気がするので、黒崎の知り合いなのかもしれない。


 護廷十三隊の隊長格になる条件として、斬魄刀の卍解習得がある。
 始解さえできない更木隊長という例外はあるので一概にはいえないが、卍解できるほどの修練を積んだ者でなければ隊長を務めることはできないということだ。副隊長のうちでも可能な者はそういない。先日の旅禍との戦闘のため恋次くんが会得したものと、一番隊の雀部副隊長が遥か昔に到達しているそうだがそれだけだ。
 あまつさえ席官など卍解には程遠い。
 そう、考えられている。

 一角が鬼灯丸の卍解に至ったのがいつなのかあたしは知らないが、その事実を知るものは極めて少ない。

 知っているのは長年の友人の弓親と、戦いの弟子である恋次くんくらいだろう。本当はあたしにだって教える気はなかったはずだが、何年か前、手合わせの拍子に本人が口を零したのだ。

 あの反乱で三人の隊長格が抜けた。
 早急に穴を埋めなければと考えたらしい恋次くんが、一角に頭を下げて次の隊長への就任するよう頼んできたということは、「一応報告だ」とのことで一角本人から聴いている。



「一応報告、ということは断ったんでしょうね」
「……お前も隊長やれって云うか?」
「云わない」
「だろうな」

 双極の丘でどさくさ紛れにあたしが「卍解」と口にしたことを聴いたのは、あの時すぐそばにいた四楓院夜一だけだったらしい。おかげで三番隊補佐官止まりだが、迂闊なことを口走ったなと今は反省していた。
 業務終了後にあたしの私室を訪れた一角は、障子を開け放って縁側で胡坐を掻いている。
 それを横目に夜半の瀞霊廷を見下ろしながら、あたしは頬杖をついた。

「一角。あたしも卍解、できるの」
「へー、そうかよ。…………はあああああ!? 今なんつったテメエ!!」
「あたしも卍解できるの。やったことないけど。名前は知っているし、紅鳳もその時がくれば力を貸してくれる。でも隊長になる気はないし、その資格もない」

 呆気に取られて大口を開けたままこちらを見つめる一角に笑みが零れた。
 まぬけ面。

「瀞霊廷が大変なのは解っている。それでも今はまだ更木隊長の下にいたい。一角もそうでしょ」
「……そうだな」

 普段引っ叩きたくなるほど喧しい同僚は、たまにふと真摯な表情を見せる。
 いつもの大騒ぎしているこの人も、戦いに身を投じているこの人も、楽しそうに稽古しているこの人も嫌いじゃないが、こうして静かな横顔を眺めるのがいっとう好きだった。
 この人を尊敬している。
 信頼してもいる。

「俺の望みは――」




「――あの人の下で戦って死ぬ」


 呪文のように口ずさんだあたしと何も云わずにそれを聴いた弓親の視線の先で、壮絶な力と力がぶつかり合って煙が立ち込めた。

 頬に血が落ちてくる。
 一角の血だ。

 あの人の下で戦って死ぬ。それが一角のただ一つの望みだ。
 構わない。死神なんて長年やっていればいつ死ぬか解ったものではないし、どうせ死ぬなら死に様くらい自分で択べばいい。
 どれほど無様でも無残でも、彼自身が誇れる最期ならそれはそれでいいと思う。

 思うけれど――更木隊長のいないこんな場所で、あれが死ぬわけがないとも、信じている。

 上空で戦っていた気配が薄らいでいく。鬼灯丸の卍解から刃の破片が落ちていくのが見えた。それに遅れて、意識を失ったものが二つ急降下していく。
 破面の霊圧は失せていた。
 ほぼ相討ちに近い形ではあるが、生き残ったのは我らが十一番隊斑目一角三席であるようだ。

 鬼灯丸の破片を集めてから一角のもとへ向かい、無茶な戦い方をする同僚に呆れも隠さず治療を開始する。
 全身血塗れだし骨も何本か折れている筈だが怪我に慣れている一角はけろっとしていた。

「オメー今晩の宿決まったのかよ」
「元旅禍の男の子の家に泊めてもらうことにした。ほら、十一番隊をボコボコにしてくれたあの子、茶渡くん」
「……それってあれ? あとりが大慌てで四番隊に搬送された……」
「ああ、そう、その子」
「「…………」」

 二人が微妙な顔つきになった。
 どっちが云う?――お前いけよ。みたいな視線のやり取りののち、弓親が恐る恐る口を開く。

「自分を敗かせた……男の家?」
「なに心配してんのか知らないけど茶渡くんいい子だから」
「……まあ全く知らない男の家に泊まるとか云いださないだけマシか」

 なんか「こいつマジしょうがねぇな」みたいな顔をされたのが納得いかないが、粗方治してやったところで立ち上がる。
 先程、日番谷隊長を始めとする隊長格の三人の霊圧が跳ね上がったのを感じた。限定霊印を解除する必要のある強敵と当たったということだろうから、戦闘に参加するのは危険といっても支援のため向かった方がよさそうだ。

「じゃああたし、日番谷隊長の方へ向かうわ」
「おう。何かあったら無線で呼べよ」
「そっちは余計な怪我して呼ばないでね」
「お前ホンッッット可愛くねぇ!!」
「十一番隊で可愛さ求められた憶えもないし」


前頁 | 表紙 | 次頁