この度の襲撃で重傷を負ったのは日番谷隊長とルキアだった。
現世の霊なるものに悪影響を及ぼさぬよう限定した霊圧が仇となったようだが、今回は限定解除に敵方が動揺してくれたおかげで勝てたも同然だった。
隊長格三人が、霊圧を制限した状態では勝てないほどの相手――それが破面の最下級、ということだ。
事態は重い。
極めて深刻と云っていい。
傷心者ふたり
茶渡くんのもとへやってきたあの破面を、ルキアが『袖白雪』始解の一振りで斃したのちに、もう一体桁違いに強い破面が現れたらしい。グリムジョー・ジャガージャックと名乗ったそれにルキアは腹部を穿たれ、黒崎も必死に応戦したが力及ばず。
東仙隊長がグリムジョーを連れ戻しに来たおかげで、九死に一生を得た。
「東仙隊長が……?」
「澤村」
「――済みません」
油断すればすぐに敬称をつけてしまう。許されないことだと解っているのに。
日番谷隊長に諌められて顔を伏せると、乱菊さんが肩を叩いてくれた。
「修兵にちゃんと連絡とってやんなさいよ」
「あ……はい。そうですね」
雛森さんとイヅルくんは、それぞれ上官の裏切りに多少なりと関わってしまったため、周囲がそれとなく気を遣う形になっている。
ただ檜佐木だけは虎徹副隊長の天挺空羅で全てを知らされた。
自分の上官の裏切りをその目で見ることなく見送ってしまったことで、あの相方はまだ心の整理がつかないでいる。副隊長としての経験が二人に比べて長いこと、下手に優秀だったことも災いし、九番隊には三・五番隊ほどのサポートが行き届いていない。
やっぱり多少無理に時間を作ってでも出発前に会っておけばよかった。
今更悔いても仕方がないので、あとで平謝りしておこう。
ルキアの治療は井上さんに任せている。
間近に初めて見たその治癒能力をつぶさに観察していると、ふと隣でルキアを見つめている黒崎の横顔が目に入った。
自分の痛みを、堪えるような眼差し。
その黒崎を一瞥した井上さんの伏せられた眼。
茶渡くんの、どうすればいいのか解らない迷子のような双眸。
――肉体の傷を治せる力を持っていても、心の傷や迷いだけは、人間でないあたしたちには導きようがない。
今頃自宅で大人しくしているはずの茶渡くんのことを思うと、なんだか頭が痛くなってきた。
アパートへ帰ってみると、茶渡くんちのゴミ箱に身を隠している義骸をどうしたらいいのか判らない面持ちで見守る少年に、視線だけで助けを求められた。
もともと技術開発局の造るものはイロモノが多い。先遣隊の面々は出発前、なぜか草鹿副隊長から直々に義魂丸の支給を受けていたが、どう考えても怪しいので自分で阿近さんから仕入れたものを使用していた。
……が、これを見るにそれでも中々アレなようだ。
なんでゴミ箱なんだ、こいつ。
義骸が作った夕食はちゃんと食べられたらしい。
怪我人は出たがひとまず破面が撤退したことを話すと、彼は言葉少なに「そうか」と視線を落とした。
「……あっ、黒崎張り倒すの忘れてた」
「あ、いや、それはもう……いいんだ」
あわあわと手を振る彼に「そう?」と首を傾げる。
どうやら先程に比べるとだいぶ落ち着いたみたいだ。それでもどこかしゅんとした表情ではあるが、少なくとも夕飯を食べてひと心地はついたらしい。
「あの、あとりさんは……どのくらい強いんですか」
改めてこてりと首を傾げられたので此方が戸惑った。
「えーっと……一応、十一番隊で上から三番目ってことになってる。まあ茶渡くんには敗けてるし説得力ないけどね」
「いや、あの時は……後ろに部下の人もいたし」
「そうね。負け惜しみっぽく聞こえるからあんまり云いたくないけど、茶渡くんの戦い方には欠点がいくつかありそうだから、もう一回戦えばあたしが勝てると思う」
前にも、こんな相談を受けたことがあったことを思い出す。
寝台に横たわる彼女の蒼白い頬を思い出して気分が沈んだ。
強くなることは必ずしもいいことではない。
あの時の雛森さんに似た、むしろそれよりもっと切羽詰まった表情をしている少年が、膝の上で強く拳を握りしめている。
「あとりさん、俺を――」
「あたしは」焦燥に満ちた面持ちの茶渡くんの言葉を遮る。
思ったよりも強い語調になった。
「あたしはきみや井上さんや黒崎のような子どもを戦力として数えたくはない。だけど、自分の大切な人を護れない無力を嘆く気持ちも……よく解る」
手を伸ばして、血の気が引いた拳を取った。
おおきな拳だ。折り畳まれた長い指をひとつずつ解き、爪の痕のついた掌を撫でる。
イヅルくんの華奢な手にもこうやって触れたことは記憶に新しい。
「頼る相手はあたしじゃないでしょう。現世の人ならば」
「…………」
唇を引き結んだ茶渡くんの頭に手を伸ばしてぽんぽんと撫でる。
体は巨きいのに、まるでほんの子どものようだ。
「破面の襲撃であそこも今ちょっと大変だろうから、訪ねるなら明日にしなさい」
檜佐木に連絡しようかとも思ったけれど、やめた。
よく考えたら向こうももう夜中だ。いくら檜佐木が隊長代行権限を持っていて目を回すほど忙しくしていても、さすがに寝ている時間だ。
檜佐木。
ねえ檜佐木――
東仙隊長が、破面を連れ戻しに来たんだって。死覇装の上に、破面と同じような白い装束を纏っていたって。藍染のことを『藍染様』と呼んでいたって。
「……市丸隊長も『藍染様』って呼んでるのかな」
呼んでいないだろうな、と思いながら零した言葉は虚空に消えた。
現世にはいい思い出がない。
檜佐木は魂葬実習の引率で大怪我をして帰ってきた。蟹沢さんは帰らなかった。虚殲滅の実習で眞城を喪った。あたしのあの時の判断は英断と云われ蛮勇と云われた。九番隊の救援要請を受けて出てみれば大怪我をした。駐在任務に出たルキアが行方不明になり、極囚として判決を受けた。
本当は現世に来るのはもう懲り懲りだった。
日番谷隊長は「隊のこともあるだろうし忙しければ他をあたる」と云ってくださっていた。拒否権は、与えられていた。
それでも来たのは、いい加減に決別しなければならないと思ったからだ。
前を向く。しゃんと背筋を伸ばす。自分にできることをやる。立ち上がれる限り歩く。歩ける限りは前に進む。動ける限り戦う。拳ではなく刀を握る。
そうして振り返ったあとに出来上がる道が例え血に塗れていても、死体に覆い尽くされていても、いずれ別たれるとしても、鎖されるとしても、歩みを止めることは赦されない。
そう誓った。
誰にでもない、ただかつて過ごした死にも等しい日々、それでもあたしを見棄てずにいてくれた剣に懸けて。
「……嫌になるわ、本当」
夜空には細い三日月が浮かんでいる。
茶渡くんの呼吸の音を聴きながら一人、義骸の膝を抱えた。
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