翌朝、茶渡くんはあたしに昨晩の助太刀と怪我の治療、それから夕飯の礼を告げてふらりと家を出て行った。
予備の鍵をあたしにくれて「泊まってもらって構わない」とまで云ってくれる始末。
転がり込んでいる身で云うのもなんだが、あの子はもう少しこう……他人を疑うことを憶えた方がいいのではないだろうか。危なっかしく見えて意外とちゃっかりしている黒崎よりも余程心配になる。
ルキアによると黒崎もいずこかへ姿を消したらしい。それだけでなく、旅禍として共に尸魂界へ乗り込んで涅隊長に手酷くやられた滅却師の石田という少年も、学校に来ていないらしいときている。
「姉さま――」
襲撃から数日経ったある日ルキアが背後に現れた。
空座町を一望できる高いビルの屋上にお邪魔して、それとなく霊圧を探っているところだ。
日番谷先遣隊の気配はすぐに辿ることができる。十番隊の二人は問題ない。うちの莫迦どもも頗る元気にしている。恋次くんの霊圧は何かに遮断されていて不鮮明だが、方角的には十中八九浦原商店だ。
茶渡くんの霊圧もそこ。井上さんは学校。石田少年は聞くところによると涅隊長との戦闘で霊圧を失ったという話なので探ってもわからない。黒崎の霊圧も――場所には自信が持てないが、ひとところに留まっているしピンピンしているみたいだった。
「……黒崎家のご家族、心配しているんじゃないの」
「ええ。妹が少し」
「悪い子ねぇ。かといって、秘密の特訓を邪魔するのもどうかと思うし」
黒崎少年が何やら、『内なる虚』というものを抱えているという話はルキアから聞いた。
どうもルキアの救出のため無茶な特訓をしたことをきっかけに現れた、時折黒崎の意識を乗っ取っては莫迦力を発揮する、第二の黒崎のようなものがいるらしい。グリムジョーに襲われて反撃した際もそれが片鱗を見せたというので、黒崎も不安に思っていたようだった。
姿を消したのは、もしかしたらそれが原因なのかもしれない。
何にせよ、この度の破面による襲撃で解ったことといえば此方の力不足ばかりだ。
いい加減慣れた丈の短いスカートを翻してすっくと立ち上がる。
「久々に組手でもしようか、ルキア」
「よろしいのですか!?」
「いざという時に『体が動かない』じゃ話にならないもの」
無くとも止める
そんなある日、日番谷隊長から呼び出しを受けて井上さんのお宅にお邪魔すると、部屋には尸魂界との通信用の映像機器が運び込まれていた。
家主に無断でこれはまずくないかと至極真っ当な危惧を抱いていると、慌てて帰宅してきたらしい井上さんが「うわあ……」と息を荒げている。
「かっこいい……」
「かっこいいんだ」
「――じゃないよ! 何これ冬獅郎くん!」
思わず口を挟んでしまったものの、さすがに驚いた様子の井上さんにむしろ安堵してしまった。
ちょっと天然なところがあるのは知っているが、此れを「かっこいい」の一言で済ませるようなら天然で済ませていい感性ではない。茶渡くんの時も思ったが、元旅禍の一行はみんなこんな大真面目におかしな子たちばかりなのだろうか。
これだと残る一人の石田少年も怪しいものである。
そうこうしているうちに尸魂界の山本総隊長と映像がつながった。
『今回緊急に回線を用意してもろうたのは他でもない。藍染惣右介の、真の目的が判明した』
藍染が消えてからひと月――
あの大事件がひとえに『朽木ルキアの魂魄に隠された〈崩玉〉を手に入れ尸魂界から姿を消すため』に起こされたことだったのは疑いようもないが、肝心の崩玉を手に入れた先の目的は今まで判然としていなかった。
藍染が過ごしていた隊首室、及び潜伏していたとみられる中央四十六室関係各所の捜査は現在も続いている。
そしてそこで藍染が、尸魂界王家の坐す霊王宮へと続く空間を開く鍵――即ち『王鍵』の創生法に関する資料を閲覧していたという記録が見つかった。
つまり藍染の真の目的とは、霊王弑逆。
だがそれだけならばここまで物々しい事態にはならないだろう。護廷十三隊を敵に回してまで成し遂げたいことといえばある程度予想できたことだし、霊王には王属特務零番隊がつき常に守護されている。
「つまりその創生法に問題があるということですか?」
乱菊さんが僅かに柳眉を寄せた。
『否、創生法ではない、問題なのはその材料じゃ。王鍵の創生に必要なのは十万の魂魄、そして半径一霊里に及ぶ重霊地』
「……まさか……」
思わず苦い声を零したあたしを、井上さんが不安そうな表情で一瞥する。
尸魂界の用語に馴染みのない井上さんに、総隊長は噛み砕いて説明していった。重霊地。現世における霊的特異点。時とともに移り変わるものの、その時代で最も霊的に異質な土地をそう呼ぶ。
『もう解るじゃろう。空座町じゃ』
藍染がもしもその文献通りの方法で王鍵を完成させた場合――空座町に接する人と大地が全て、世界から削り取られて消え失せる。
井上さんの息を呑む声が聴こえてきた。
体の横で握りしめられた華奢な手が震える。「そんな……」と絞り出された声は掠れていた。
「それを止める手立ては……あるんですか……」
ほとんど絶望的な表情になった彼女が、総隊長を直視もできずに俯くと、画面の向こうで一つも表情を変えなかったその人が双眼に焔を瞬かせた。
『無くとも、止める』
護廷十三隊を千年の長きに渡って束ねる歴戦の剣士の覇気は、頼もしいを通り越して壮絶ですらある。
乱菊さんと一緒に井上さんを振り返り、口の端でちょっとだけ笑った。
『そのための護廷十三隊じゃ』
「『決戦は冬。それまでに力を磨き各々戦の支度を整えよ』」
乱菊さんが一角たちのもとへ報せに向かい、あたしは浦原商店の恋次くんと茶渡くんのところを訪れた。
夜一さんと言葉を交わしたこともあるし、茶渡くんには寝床を提供してもらっている。存外あっさりと地下の秘密特訓場に案内され、その場にいた面々へと総隊長からの指令を伝えた。
「……で、茶渡くんちょっとは強くなったの?」
「全然ダメっすよ! 澤村先輩ホントにコイツに敗けたんスか!?」
どごーっ、と派手な音とともに土煙が上がる。惜しげもなく披露される恋次くんの卍解に、茶渡くんがあっさり吹き飛ばされたらしい。
「澤村先輩をボコボコに伸したとあっちゃァもうちょっとくれーは歯応えねぇと十一番隊の沽券に係わるんだよ! オラ茶渡立て!」
「あんた六番隊でしょうが」
「いやー、どうも澤村サンに怪我させたってことで随分やる気みたいっスよ。愛されてますねぇ」
浦原喜助とはこれが初対面になる。
元十二番隊々長、兼初代技術開発局々長。
一〇〇年ほど前の事件で尸魂界を追放された後、現世空座町に身を隠し浦原商店の店長をしている。
あの涅隊長の前任であるからには相当な変態を想像していたのだが、少なくとも見た目は普通の人に見えた。飄々として掴みどころがなく、本音の見えない笑顔は確かに一筋縄ではいかなそうだが。
「とっても優秀な方だってお聞きしてますよ、澤村三席」
「……いえ。手前は単なる十一番隊の書類要員です」
「またまたァ! 貴女ならアタシと同じことを考えているんじゃないかと思うんですが、どうでしょう?」
この人は先程、井上さんをこの場所へ連れてくるよう夜一さんに頼んでいた。
残念ながら彼の云う通り同じことを考えていたようなので、小さく溜め息をつく。
「井上さんを戦線から外す。賢明な判断だと思います。あの能力は藍染の興味を引く可能性が高い」
「ええ。――貴女の斬魄刀もです」
「…………」
浦原店長を一瞥する。
「あたしにも戦列を離れろと仰る?」
「いえいえ、四番隊で培った治癒能力に危険視される程の莫大な霊圧、そして『想像を現実にする』という稀有なチカラの斬魄刀。戦闘能力についても申し分ない貴女を外す理由はありませんが、人一倍警戒してもし足りないとは思いますよ」
「ご忠告痛み入ります」
あかんよ。あとりちゃん
人を食ったような笑み。
脳裡にきらめいた銀髪にふと苛立ちが募り、頭を振ってその残像を振り払うと、「どうやら心当たりがおありのようだ」とまた見透かしたような物云いをされた。
とっくに傷が治ったはずの右手首に、ちりっと痛みが奔った。
「浦原店長。他の誰がなんと云おうと、誰が貴方を赦そうと、あたしはまだ貴方に怒っているんです」
意図して冷たい声を出すと、浦原店長が笑顔のままぴたりと動きを止める。
「あたしの大切な妹分に得体の知れない物体を隠して結果あの子は極囚となった。かと思えば年端もいかないような少年少女に戦う方法を与えて命の危険すらある極囚奪還に向かわせる。そのうえでまだ秘密にしていることがあるらしい」
「…………」
「あたしに限定霊印があってよかったですね。でなければこの店、跡形もなく吹き飛んでいますよ」
きびすを返して出口へ向かうあたしに、恋次くんが「もう行くんスか!? たまには相手してくださいよ」と手を振ってきた。
立場的には上官になったというのに、相変わらず後輩気分のままでいてくれる彼を微笑ましく思いながら、「また今度ね」と返して背を向ける。
そんなあたしを見送ったのち、こっそりと身を寄せ合った恋次くんと浦原店長はこんな会話をしていた。
「……あんたなに澤村先輩怒らせてんだよ! めっちゃくちゃ怖かったじゃねーか! やめてくれよあの人怒ったら更木隊長でも頭上がらねーんだからよ!!」
「さすが十一番隊で三席を務めるだけのことはありますね……いや〜あんな冷や汗かいたの久しぶりっスめっちゃ怖かった〜」
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