「あとりさま。わたしの名は、    」
「わたしの力は、表裏一体。あなたにしか使えない。方法を間違えないで」

「ギン。――殺しておけと云った筈だが」
「きみの斬魄刀は厄介だからね」

「――貴女の斬魄刀もです」
「四番隊で培った治癒能力に危険視される程の莫大な霊圧、そして『想像を現実にする』という稀有なチカラの斬魄刀――」



 紅鳳。
 あたしに戦うことを求めた斬魄刀。
 自ら進んで卍解の名を教えてくれた。斬魄刀の具象化と屈服、卍解に必要な手順をそっくりそのまますっ飛ばして。そうまでしてあの子はあたしに力を与えた。

 なんとなく気づいている。
 藍染があたしの始末を命じた理由も、あたしの斬魄刀を厄介だという原因も、浦原店長に忠告される要因も。もしかしたら、市丸隊長があたしを助けてくれた、そのほんとうのところも。

 想像を現実に。
 嘘を真に。

 不可能を可能に。


 夢を見るように。


トロンプ・ルイユ




「拳が大振りすぎる!! 自分よりも大きな破面とばかり戦えるわけじゃないのよ!」
「その捨て身の戦い方を辞めなさい!! 井上さんの治癒能力を当てにするのはもうおしまい!!」
「死にたいの!? 反応が遅い! 何も見えてない! その鬱陶しい前髪丸刈りにしてやろうか!?」
「も……もう一本……!」

 恋次くん直々に「澤村せんぱ〜い」と修行のお誘いに来られたので、あたしも体が空く限りは浦原商店の地下に籠もるようになった。

 黒崎と肩を並べて戦いたい、再び背中を預けてもらえるようになりたい、その一心で此処にやってきた茶渡くんの成長は如何とも云いがたい。彼の虚閃に似た霊圧の塊は発動限界がある。それを伸ばすために恋次くんとひたすら戦っているみたいだが、一方体の使い方に関しては直せずにいるようだった。
 そういうわけであたしは白打を重点的に見るようになっているのだが、訓練とか手合わせとかいうと――ついつい十一番隊スイッチが入ってしまう。

 ちなみにこの間、恋次くんと浦原店長は隅っこで眺めている。

「おっかないっスねぇ澤村サン……」
「なんだかんだ十一番隊で十年以上三席張れる女隊士だからな。普段はあそこまでじゃねーけど、なんか茶渡のこと可愛がってるみてーだ」
「あれ可愛がってるんスか。遠慮容赦なく投げ飛ばしてますけど」
「……多分……」



 何度目か茶渡くんを投げ飛ばしたところで目を回してしまったので一旦休憩にすると、卍解した『蛇尾丸』を携えた恋次くんがやってきた。

「次! 俺お願いします!」
「次俺ってあのねぇ……あたし斬魄刀も持ってないんだけど」
「尚更っすよ、破面と戦闘になった時の澤村先輩の対処法も練っとかねーとヤバイじゃないすか」

「そうなったら一角か弓親を盾にする」答えつつ、気を抜いている恋次くんに向けてぴっと指先を向けた。

「? なん――」
「破道の四。白雷」
「うおおおお!? いきなり!?」
「戦闘に始めの合図なんてないからね」

 がばっと上体を勢いよく逸らして間一髪避けた恋次くんに襲いかかり、茶渡くんとの組手の際は一切使用しなかった鬼道をこれでもかというほど駆使した。

「一応こっちも向こうも名乗るぞ!?」
「ん?『名乗るぞ』?――破道の六十三・雷吼炮」
「調子こきましたサーセン!!」

 単発での使用から二十詠唱、また破道と縛道の組み合わせなど、相手が卍解しているうえ程々にタフなのをいいことに色々と試させてもらう。
 恋次くんの卍解は見た目が派手で威圧感があるが、その分刃の動きが遅く鈍重だ。茶渡くんも同じ。そういう場合は懐に入り込まれたら致命傷になりかねない。
 瞬歩を閃かせながら攪乱し、接近して回し蹴りを叩き込み、距離をとって鬼道を放ち――

 と、右側から雪崩れこんできた蛇尾丸の刃節に気を取られて、左側から飛んできた恋次くんの上段蹴りをまともに喰らった。

「わーっ! 澤村先輩!!」
「……今本気で蹴ったでしょ……別にいいけどめちゃくちゃ痛い」
「すんません! まさかモロ入るとは!」

 茶渡くんが破壊した岩壁の山に突っ込んだあたしを発掘しつつ、恋次くんは嬉しそうににかっと笑う。

「けど、やーっと澤村先輩に勝てたっス!」
「もうずっと前から恋次くんの方が強いよ、後輩に敗けるのが嫌だから手合わせ逃げてただけで……。なにかご褒美でもあげようか」

 えらく喜んでいる恋次くんにちょっと笑いながら立ち上がると、彼はきょとんとして「いいんすか?」と念を押してきた。
 一応現世での任務中なのであまり立派なものはあげられないがそれでもよければと肯くと、恋次くんはぱーっと笑顔を輝かせる。
 なんだなんだ。最近めっきり副隊長として怖い顔をすることが多くなっていたというのに、可愛いじゃないか。

「あとりサンって呼んでいーっすか!?」
「え? なんだ、そんなこと?」
「あと俺のこと恋次って呼んでください!」
「重ねて云うけどそんなこと?」
「だって俺の方が付き合い長かったのにずっと『恋次くん』って呼んでたじゃないっすか。なのにあっさり一角さんたちのことは呼び捨てになって、しかもルキアのことまで名前で呼んで。一護と茶渡のヤロウは勝手にあとりさんとか呼んでやがるし」

 つまりは後輩としてやきもちをやいていたということか?
 わざわざご褒美にしなくても云えばすぐ呼んだのに。もっとこう、メシ奢ってくれとか、あれ買ってくれとか、そういうのを予定していたので拍子抜けだった。

 なんとまあ謙虚な後輩だこと。
 呆れ半分、可愛さ半分、「解った解った。恋次」とひとまず呼んでやると、たいそう満足した様子になったので本当にこれでいいらしい。

 すると怪訝そうな表情の浦原店長が下駄をカラコロ鳴らしながら近づいてきた。

「澤村さん、貴女、視力に問題でも?」

 さすがに鋭い。

「……過去に受けた傷が原因で長らく右眼の視力が殆どありませんでした。双極の丘での一戦で完全に潰れたので、技術開発局に義眼を造ってもらって今の状況です」
「成る程。ですけど右が全くの死角の状態であそこまで戦えるのは上出来ですよ、随分鍛錬なさったんですねぇ」
「ええまあ」

 肩を竦めて、死覇装にかかった土埃をぱたぱたと払う。
 右の死角に気づけなかったらしい茶渡くんが地味にショックを受けているのが見えた。今でも十一番隊の隊士の多くは察してすらいないのだから、そう落ち込まなくてもいいのに。

 今度は恋次と茶渡くんでド派手な戦闘が始まった。
 地下特訓場を破壊せん勢いで暴れ回る二人を、浦原店長と並んで眺める。

「……今回の戦い、貴女の斬魄刀の能力が鍵になる場面もあろうかと思います」
「まあ、そうでしょうね」
「卍解。できるんですってね」
「夜一さんに聞いたんですね?」

 藍染の鏡花水月の能力『完全催眠』は、その始解を目にした人間一人残らずその催眠の支配下に置く。それは先日の一件が示すように、護廷十三隊の隊長格でさえ打ち破ることが難しいほどの五感支配能力だ。
 だが云ってしまえば、所詮は催眠。
 虚実を現実に換える紅鳳に比べれば可愛らしい。

「そこでお尋ねしたいんですけど、貴女の斬魄刀の実現範囲ってどのくらいなんです?」
「どのくらいとは?」
「虚実を事実と思い込ませることで脳に錯覚を起こす所謂五感支配型なのか、それとも本当に虚実を事実に組み替えてしまうタイプなのか、そのどれでもないのかってことっス」

 内心舌を巻いた。
 紅鳳の能力は端的に云って『想像を現実に変えること』だ。今まで誰もそれ以上を突っ込んでこようとはしなかったが、さすがに藍染に比肩する頭脳の持ち主だけあって聡い。

「全部ですよ」
「……そりゃまた……」
「五感支配で錯覚を起こす。霊子結合そのものを組み替えることもある。毒素を撒いて幻を見せることもある。場合によってはその全てを行使して、不可能を可能にもする。……ただしあまりにも現実からかけ離れたことをすると霊力を消費しきって死ぬでしょうし、干渉できるのは『霊力側』のものだけですから、不可能もあります」

 あたしのその説明を聴きながら、彼は顎に手をやって暫し黙した。

「……つまり断界の拘流や拘突に干渉することはできないと」
「はい。あれらは『理』側のものですから」
「死んだ死神や魂魄を生き返らせることもできない」
「死んだものは生き返らない。これも『理』です」

 恋次の卍解の刃節に吹っ飛ばされた茶渡くんが岩壁に突っ込んでいく。
 霊力の高さが生命力の高さになる死神などの存在ならまだしも、生身の人間があれで死なないのだから、本当に呆れるほど頑丈な子だ。

「例えばですが、藍染の鏡花水月を打ち破ることは?」
「あたし一人がかかっているだけなら紅鳳の勝ちですが、例えば十三隊の隊長格全員に催眠がかかっている場合は厳しいです」
「成る程。藍染と一対一なら澤村サンが勝ちますかね?」
「『一対一で、鬼道や白打や瞬歩を使わない状況で、斬魄刀を全く同時に始解するとしたら』というたいへん厳しい条件付きでよければ或いは」

 浦原店長は難しい顔つきになって呻く。
 破面という戦力を持ち崩玉を手元に置く藍染に対しては、欠片も望めない厳しい条件だ。

「……虚化した死神を、元に戻すなんてことは……」

 ぽつりと零されたそれに思わず目を丸くしてしまった。
 死神の虚化、虚の死神化。それを突き詰めた究極の物質が崩玉であると聞いているが、今の云い方だと、既に死神の虚化が成功しているというような口ぶりだ。
 この人が現世へ追放された罪状を頭の中に思い出して小さく嘆息した。

 ――そういうことか。
 黒崎が秘密の修行をしている場所。内なる虚。死神の虚化。崩玉。虚の死神化――
 全て、一〇〇年前の事件ともつながっているのだ。

「どうしてもと仰るなら試してみてもいいですよ。恐らく不可能ではありません。単にあたしが生きるか死ぬかだけです」

 汲んだ一杯の水に砂糖を入れることは容易い。
 けれどその砂糖水を再び砂糖と水に元通り分けることは、ずっと難しい。

 十分解っているのだろう。浦原店長は俯いて息を吐いた。

「忘れてください」


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