浦原商店地下での特訓が始まってから二週間ほどが経った。
その間は破面の襲撃もなく、虚の出現は現地駐在の死神の手に負える程度に留まったため、現世組はたいへん平和に修錬の日々を送っている。
あたしは代わり映えもなく浦原商店に顔を出しては年下二人をこてんぱんに伸し、一角と弓親のところを訪れて剣術の稽古をし、日番谷隊長と乱菊さんのもとを訪れてのんびりお茶をした。
黒崎は隣町の廃倉庫で秘密の特訓をしているらしい。一度霊圧を辿ってそこまで行ってみたが、何者かによる結界に守られているようで顔を見ることは叶わなかった。
戦線離脱を云い渡された井上さんはルキアとともに尸魂界へ向かったようで、日番谷隊長の見立てでは修行をしているのではないかということだった。
『澤村補佐官』
「――はい、なにっ?」
茶渡くんの一撃を鏡門で弾き返した瞬間、懐に入れている通信機から無線が入った。
リンちゃんの声だ。
さすがに図太くなった茶渡くんが殴りかかってきたのを左腕一本で受け流しつつ応答すると、『檜佐木副隊長がお話したいそうなんですけど、お繋ぎしますか?』との取り次ぎがあった。
檜佐木?
「はい、どうぞ」
『澤村、悪いな突然』
「いいけど、どうしたの檜佐木」
風を切る蹴りをしゃがんで避ける。
どこかげっそりした感じの檜佐木の声に首を傾げると、再び茶渡くんの右腕の一発が繰り出された。「赤火砲!!」今度は破道をぶつけて相殺すると、衝撃波が地面を抉って、その先に胡坐を掻いていた浦原店長が「うひゃー」と悲鳴を上げる。
『お前なにやってんだ……?』
「ちょっと手合わせ中なの。ほら、あたしがボコボコにやられた元旅禍の子と。いいよ続けて、何か用事でしょ」
『あー、悪いんだが少し尸魂界に戻ってもらえないか』
通話中の相手に遠慮なく攻撃してくる茶渡くんも茶渡くんだが、戦闘中と解ってなお話を進める檜佐木も檜佐木だ。構わないと云ったのはあたしだが。
「尸魂界に? どうかしたの」
『いやそれが――』
『不知火がストレスで倒れて、吉良が胃痛で死にそうなんだ』
「今すぐ戻る!!」
寂しがりはかわいい
「不知火と吉良が?」
「はい……ここまでそれぞれ頑張ってくれたみたいなんですが、さすがに厳しかったようです。特に不知火四席は、三席と五席合わせて三人とも抜けたせいで余計に」
通信を受けて浦原商店を飛び出し、日番谷隊長のもとへ一直線に飛んでいくと、話を聞いた年若い隊長は一気に気の毒そうな顔になった。
「そうか……。いい、すぐ戻ってやれ。松本、開錠だ」
「はーい。あとり早く帰ってきてよぉ」
「あはは、了解です。ついでにルキアと井上さんの様子も見てきますね」
すぐさま瀞霊廷へ戻り、まずは四番隊に運び込まれたという銀爾くんを見舞うと、涙目の彼が「澤村三席ぃぃ」と寝台から身を起こした。
「申し訳ございません……俺には、俺には無理でした……」
「ううん、御免ね、大変だったわね。暫らくこっちで仕事するようにしたからゆっくり休んで」
そもそも十一番隊は先日の反乱の事後処理が山積みの状態であたしが抜け、更に一角と弓親が現世へ向かったのだ。結果どうしようもない人手不足である。
ひーひー目を回す銀爾くんを、十一番隊の主たる席官もさすがに哀れに思って書類を手伝ったり、檜佐木がよくよく面倒を見たりしてくれていたようだが、昨日無理がたたって業務中に卒倒。綜合救護詰所へ搬送され、虎徹副隊長に診てもらった結果一週間の休養を云いつけられた。
吉良くんの方はそこまで深刻ではないが、もともとの胃痛が悪化して胃薬が手放せないとか。
苦笑しながら銀爾くんを寝台に押し戻したところで、病室の扉ががらりと開いた。
お見舞いと思しきりんごを掌中に遊ばせる檜佐木だ。
「おー澤村、来たか。悪かったな急に呼び戻して」
「いやいや、教えてくれて助かったわよ。あ、お土産買うの忘れてた」
「あ、そーだよお前大体なんで何も云わずに現世に行くんだよ! ビックリしたじゃねーか!」
「うっかりすっかりばっちり忘れてた。召集を受けたのも急だったし霊圧制限の手続きに時間がかかって。三番隊の引き継ぎだけで精一杯よ……」
病室をあとにしたら一番隊の雀部副隊長に一時帰還を報告し、三番隊で吉良くんの顔を見て、暫らくは十一番隊の業務に従事する旨を伝えた。
真っ蒼な顔した吉良くんだったが、「瀞霊廷にいてくださるだけ精神的にマシです」と微笑んでくれた。
実に一ヶ月ぶりに十一番隊の詰所へと足を踏み入れる。
ある程度覚悟はしていたが、執務室も隊首室も悲惨なことになっていた。
そのどこにも隊長と副隊長の姿がなかったので、頭を抱えて道場に向かう。扉を蹴倒す勢いで――というか実際に蹴倒して入ると、中で相変わらずの手合わせにもならぬ手合わせをしていた隊士たちが振り返った。
その中心で木刀を肩に掲げた、更木隊長が口角を釣り上げる。
「なんだァ。そんなに俺が恋しかったのかあとり」
一ヶ月ぶりの再会だというのに相変わらずの物云いだ。
「あたしに向けるその愛情の一かけらくらい、銀爾くんにも分けてやってくださいよ」
「なに云ってやがる。お前に連絡つけてやろうと思ったら檜佐木の野郎がとっとと駆け込んでやがったんだよ」
できれば倒れる前に連絡してほしかったんですけどね。
とはいえこの人には云っても無駄なので、大きな溜め息をついてから肩を竦めた。
「然様でございますか。とにかく今から執務室の大掃除を開始しますから隊士を数名寄越してください」
十一番隊上位席官を総動員して執務室の整理にまる一日。
ほぼ隊長と副隊長のお昼寝スペースと化していた隊首室の清掃にもう一日。
三日目からようやく仕事に着手して、通常通りに業務が回るようになるまでは二日。
その合間に三番隊の吉良くんの補佐にも回りつつ、さながら馬車馬のごとく働いた。
「お前すっかり十一番隊が板についたよな」
ひと段落ついた頃を見計らって、檜佐木は『澤村お帰り会』とかいう意味のわからない名目で飲み会を開いた。
いつもの乱菊さんや一角、恋次といった面々が揃って現世に行っているため、面子は集まるに任せた結果なかなか異色なものとなっている。
吉良くん。荻堂。射場さん。檜佐木。退院した銀爾くん。阿近さん。京楽隊長、更木隊長と浮竹隊長。それからルキアと、未成年の井上さん。
お猪口を空けた檜佐木の言葉に、あたしは微妙な顔になった。
「……嬉しいような嬉しくないような……」
「三番隊にいるお前ってなんか猫かぶってる感じがするんだよな」
「やっぱりそうですよね!?」
「うおっ、吉良お前飲みすぎだ! 澤村、茶!」
「はいはい。あーちょっとルキアはもうそれ以上飲まないで、あたしが朽木隊長に殺される……荻堂! お冷頼んできて!」
「ういーす」
檜佐木の横から身を乗り出してきた吉良くんがお猪口を持ったままくだを巻いている。いつも蒼白い顔をした後輩が真っ赤っかになっているので、檜佐木は慌ててその手からお酒を取り上げた。
今日は一緒に飲んで騒いでくれる乱菊さんたちがいないので、悪酔いしなくて済む檜佐木が介抱に回っているのである。
お酒というよりは空気に酔ってあたしの左腕にしっかり抱きついているルキアの向こうでは、井上さんがきょろきょろと周りを見渡していた。
「井上さんもなにか飲む? 檜佐木の奢りだから気にしなくていいよ」
「おい澤村」
「あ、はい、ええとオレンジジュースで!」
隊長三人組は上座でまったり飲んでいる。現在の護廷十三隊の中でかなりの古株であるお二人は、型破りな更木隊長のことも大らかに受け入れてくれているので、それなりに和やかに過ごしているようだ。単純に付き合いも長い。
『更木隊長』と『和やか』が似つかわしくなさすぎて恐ろしく違和感はあるが。
「最初の頃はさすがに十一番隊で浮いてたけどよ、ここんとこすっかり斑目と綾瀬川とトリオだよな」
「なに。寂しいの檜佐木」
「気色悪いこと云うんじゃねぇ」
「まあ正直になりなさいよ。そういえばあたしが長期の出張に出るのって初めてだもんねぇ。寂しかったのか? ん?」
「うぜぇ……!」
久々の気安いやりとりを楽しむあたしを、井上さんがきょとんとした目で見つめている。
銀爾くんが「どうかしたのか」と訊ねると、彼女は「いやぁ」と笑った。
「今のあとりさんが、黒崎くんと一緒にいる時の朽木さんにそっくりで……」
「ああ。朽木もなぁ、最初の頃は大人しいお嬢さんって感じだったのに、すっかり澤村三席に似なくていいとこまで似てしまって」
「不知火四席! 聞き捨てなりませぬ!! 似なくてよいとはどういうことですか!」
「うお、朽木が怒った」
ぎゃあすか騒ぐ酔っ払いどもを宥めすかしつつ、今頃一角と弓親と乱菊さんの三人に振り回されているであろう日番谷隊長の心労を想った。
あたしが向こうに帰るまでに、日番谷隊長の血管が切れないことを願うばかりである。
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