最後の書類が、なんとか終わった。
 隊長からの信用を知ったあの日から修羅場は一週間続き、あたしはようやく十一番隊で迎える初めての月末を乗り切った。月次会計報告書、収支計画書、月次行事経過報告書、行事計画書、月次隊務報告書(尸魂界と現世一部ずつ)、その他幾部の庶務書類、総隊長への提出が済んだのだ。

「あとりちゃん! お仕事ごくろうさま!」
「副隊長〜〜〜有難うございます」

 副隊長は、あの日の翌日、隊長に連れられて謝りにきた。もじもじする副隊長の頭を押さえて下げさせて「オラ。悪いことしたらなんつーんだ」と凄んだ更木隊長に、あたしよりも周囲の隊士の方がビビッていた。
 それから副隊長は邪魔をすることもなく、むしろ時折様子を見に来ては、あたしと不知火くんに金平糖をくれたり頭を撫でてくれたりするようになったのだ。

 へろへろになりながら提出に向かった一番隊では懐かしの雀部長次郎副隊長に労われ、わざわざ顔を見に来てくださった山本総隊長に褒められ、その他懐かしい面子に心底同情された。しかし更木隊長が認めてくれている通り、書類の不備は見つからず、一発受理となったのだった。

 そして、次の月初め。
 護廷十三隊では、月初めには各隊で全体集会が行われる。唯一平隊士から隊長までが一堂に会し、月々の目標やら予定やら注意事項やらを隊長直々にお達しする、貴重な集会である。
 十一番隊は、更木隊になってから全くやっていない。
 それを今回復活させてくれと頼んでみると、隊長は二つ返事で了承してくれた。

「それではっ、第一回、全体集会をはじめます!」

 更木隊になってからやったことのない全体集会が急に招集されたことにざわめく隊士たちは、草鹿副隊長の号令で徐々に静かになっていった。
 道場に席次順・隊列で並んだ隊士たちを一段高いところから、更木隊長と草鹿副隊長、そしてあたしが見下ろす。

「剣ちゃんのお言葉!」
「特にねぇ」
「次、あとりちゃんのお言葉!」
「隊長。何か考えといてくださいって云ったじゃないですか」
「うるせえ」

 相変わらずな隊長に嘆息しつつも、想定の範囲内なので焦らない。
 あたしは連絡事項を取りまとめてある紙を眺めながら、できる限り大きな声を張り上げる。

「注意事項です! 一つ目。今月から、買い出しをする際には領収書を取ってきてください。領収書のないものは必要経費として認めません。領収書の書き方がわからない人は不知火七席まで訊きに行ってください。なお、大量のお菓子などは自腹とします」

 ざわり、隊士たちが不穏なざわめきを生む。
 視界の端で副隊長が悲しい顔をしているが無視だ。

「二つ目。虚の討伐任務に出動した際は、詰所に帰ってきてから速やかに報告書を書き、三日以内に提出すること。月次の報告書に正確な情報を書くためです。これを怠ると、十一番隊の手柄にしたくても手柄にはなりません! 書き方は不知火七席まで」

 大きな声を出すのは苦手だ。
 震えてくる喉を叱咤して、手を握りしめる。

「三つ目。現世での駐在任務に就いている者は、必ず一日に一度は一言でいいので定期報告を入れ、月末には報告書を提出すること。これも先程と同様です。手柄にしたきゃ報告しろ!」

 ふぅ、ここで一息。
 下から見上げてくる隊士たちの表情は険しい。今までしなかったことをやれと云っているのだ、それもそうだろう。しかもこんな貧弱そうな女隊士が偉そうに、隊長たちの隣に並んでいるのだ。

「これら三つ、厳守していただきます。提出〆切に関しては、守らない者は罰として掃除当番をしてもらいます。次に、今月の行事予定ですが――」

 ひゅっと視界の端を何か小さなものが横切って、あたしの右目の上に飛んできた。
 額に当たってがしゃんと割れたそれが足元に散らばり、視界が真っ赤に染まる。無言で押さえながら視線を下ろすと、投げられたのはお猪口だったようだ。朝っぱらから酒飲みやがって仕事中だぞこいつら。

「澤村せんぱ――」
「引っ込めやザコ三席!」

 あたしを案じる声は、きっと恋次くんだろう。その声を遮った一言を皮切りに、隊士たちの不満が噴出した。
「それくらいも避けられないのか」「そんなザコがなぜ三席に」「女だったら色を売れば容易く昇進できるのか」「更木隊から出て行け」
 要約すれば大体こんなものだろう。隊長たちは何も云わずあたしの対応を見ていたようなので、好きにやれということだと判断する。

 ――聞き捨てならないなぁ。特に、みっつめ。

 ひとつ息を吐き出して、普段は微弱に抑えている霊圧を一気に解放した。

 霊圧の持ち主のあたしはびくともしないが、道場内に立っていた隊士のほとんどが音を立てて床に倒れ伏す。
 辛うじて膝をつくに留まるのは上位席官の数名―― 一角くんや射場さんは心底驚いたような表情をしている――平気な顔をしているのは隊長と副隊長くらいなものだ。

 あたしが在籍していたのはエリート中のエリート一番隊その第七席。
 一番隊の上位席官は、他隊の副隊長に並ぶか、或いはそれを凌駕する程度の実力を持つ。

 事実あたしが得意とする鬼道の正確さや威力は同期で主席だった檜佐木を上回る。桁外れて膨大な霊圧は院生時代からうまく制御ができなくて、技術開発局のお世話になった。今ではザコ三席程度に抑えているものの、開放することは容易い。剣術が上手でないあたしが生き残るために鍛えた歩法はいずれは朽木隊長に並ぶやもと総隊長にお墨付きを頂いていた。
 ただで十一番隊の第三席を頂いているわけじゃない。
 あたしの実力は客観的総合的に鑑みて、十一番隊で三番目に強いのだ。

「……続けます。静かに聴いて下さい」

 半分以上意識ねェぞおい、と更木隊長が愉しそうに嗤った。
 静かになった道場内であたしは淡々と、額からぼたぼた血を流しながら連絡事項を伝えた。



「何やってンだテメェは!」

 卯ノ花隊長に笑顔でお小言を頂戴しながら怪我の治療をしてもらっていると、スパーン、と扉を開けて檜佐木が怒鳴り込んできた。
 ……他隊の檜佐木に怪我の話をしたのは誰だ。あたしは目だけをぐるりと動かして檜佐木を睨みつける。

「檜佐木副隊長、お静かに」
「うっ、済みません……」

 静かに卯ノ花隊長に叱られて、小さくなった檜佐木は静かに扉を閉めた。
 幾分か冷静さを取り戻した彼は粛々と治療を受けるあたしの傍らに立って、包帯を巻かれていく様子を眺めている。全く九番隊副隊長殿ともあろう者が、他隊の一席官の怪我にいちいち隊舎を飛び出してくるようじゃあ、部下にも示しがつかないだろうに。
 治療が終わってから四番隊を出る。檜佐木と並んで歩いていると、不機嫌な彼に小突かれた。

「阿散井に聞いた。……避けようと思えば避けられただろ」
「うん、まあ」
「女の癖に顔に傷作りやがって」
「檜佐木こそ、あたしなんぞのためにお仕事ほっぽりだしてきちゃって」
「……うるせえ」

 あ、照れたり都合が悪くなったりすると「うるせえ」って目を逸らすの、更木隊長とそっくり。

「霊圧、九番隊まできてたぞ。珍しく怒ってたな?」
「うん」
「……何かあったのか」

 久々に霊圧を解放したものだから加減を間違ったか。本当は十一番隊の隊舎内で収めているつもりだったのだが。
 包帯を巻く時に下ろした髪の毛を片手で弄りながら黙りこむと、「澤村」と強い口調で名を呼ばれる。何かあったかと云われる程のことでもないのだけれど、云ったら檜佐木はきっと怒る。檜佐木が怒るとちょっと怖いので、あたしは困るのだ。

「澤村。こっち見ろ」

 立ち止まった檜佐木に手首を強い力で握られ、顎を掴んで顔を上げさせられた。

 人目がある場所でこれは、不味い。
 何が不味いって――近づいてくる霊圧が松本副隊長のそれだ。

「何もなかったよ」
「嘘つくな。何もなくてお前があんなに苛立つかよ」
「……離してください、檜佐木副隊長」
「誤魔化すな」

「なになに、修羅場?」

「…………」「…………」

 ほら来たぁ。
 松本副隊長が興味津々といった風に目を輝かせているのに気づいて初めて、檜佐木はこの体勢が不味いということを悟ったらしい。熱くなると周りが見えなくなるのは昔から直らない。
 あたしは咄嗟に泣き真似をしながら松本副隊長の背中に隠れた。

「あたしは嫌って云ってるのに、檜佐木副隊長が無理やり」
「テメ、澤村! なんてことを」
「ううっ、斯くなるうえは更木隊長に泣きつくしかない」
「何を云ってんだテメーは!」
「あらあら澤村、可哀想に」

 彼女はがばっと振り返ってあたしを抱きしめた。よしよしと頭を撫でられる。豊満なお胸に顔が埋まって息ができないのだが、視界の端の檜佐木はたいそう羨ましそうな顔をしていたので、ざまーみろーと内心舌を出した。

「では松本副隊長、失礼します」
「あら、もう行っちゃうのね」
「隊務は相変わらず滞っておりますから」

 松本副隊長に一礼してから、檜佐木にはちょっとだけ笑っておいて、あたしは手っ取り早く瞬歩を閃かせた。

「女だったら色を売れば容易く昇進できるのか」
 こんな、更木隊長が色香に惑って席次を与えたかのような、彼の人を侮辱するような一言を許すわけにはいかなかった。
 だけどこれを云ったら檜佐木はあたし以上に、あたしを侮辱されたと怒るのだろう。
 それくらいには大事に思われている自覚はあったから、今回のことは胸の内に秘めておこうと決めた。


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