「澤村、あんた更木隊長の愛人って本当なの?」

 にやにやと楽しそうな笑みを浮かべてあたしに尋ねてきたのは、松本乱菊十番隊副隊長である。
 彼女の主催する飲み会に、檜佐木に半強制で連れてこられたあたしは隅っこの方でちびちびと食事をしていた。酒に強くないし日本酒の辛みも苦手なので飲み会はあまり参加しないようにしていたのだが、檜佐木が「酒飲まなくてもいいからたまにはみんなでわいわい飯を食おうぜ」としつこく誘ってくるので、ひょこひょこと後をついてきた次第である。

 松本副隊長主催とあって、集まっているメンバーは錚々たる顔ぶれだった。
 三番隊々長市丸ギン、第七席吉良イヅル、その同期の五番隊第十席雛森桃、五番隊々長藍染惣右介、八番隊々長京楽春水、九番隊副隊長檜佐木修兵、十番隊第三席日番谷冬獅郎、十一番隊第四席射場鉄左衛門、第五席斑目一角、第十五席阿散井恋次、十三番隊副隊長志波海燕……。
 会話したことのない人も多い。

 全員に酔いが回ってきた頃、その豊満なお胸を寄せてしなだれかかってきた松本副隊長の台詞を思い出して冒頭へと戻る。

「……ということになっているらしいですね」
「ハァ!?」

 あたしが肯定も否定もしなかったからか、隣で酒を飲んでうちの射場四席と語らっていた檜佐木がすごい勢いで振り向いた。
 酔った檜佐木は面倒くさい。
 顔を近づけて迫ってきた彼の顔面を掌で押し返す。近い近い近い。接吻でもするつもりかこいつは。

「どういうことだよ澤村! 何だそれ!」
「うるさいです酒臭いです檜佐木副隊長寄らないでください」
「そういう噂はキッチリ否定しろ!」
「……まだ何も云ってないけど」
「……お前がンなことできるわけねェだろ」
「檜佐木……」

 ……その目があたしと松本副隊長の胸元を行ったり来たりしていたので、渾身の力で殴り飛ばした。
 そりゃ松本副隊長に比べれば貧相だろうよ。

 お刺身をちみちみ頂きながら、肩を竦める。

「十一番隊の、あたしを気に食わない平隊士が云っているだけです。更木隊長は純粋に強さにしか興味がない人ですから、女の色香に酔って地位をやるなんてありえないって、わかってないんでしょうね」
「成る程ねぇ……。っていうか本当のところ、あんたってどれくらい強いの?」

 小首を傾げて尋ねてきた彼女に、うーん、と唸る。
 視界の端に一角くんが死覇装を脱いで腹踊りを始めたのが見えたが、ひとまず見なかったことにした。
 部下の恥は上司の恥だがあそこまでの恥をフォローしてやれるほどあたしはいい上司ではない。

「一応、それなりです。松本副隊長には遠く及びませんが」
「やァね、変なとこ遠慮しなくていいのよ。檜佐木よりは強いわけ?」
「んん……難しいですね」

 檜佐木と本気で殺し合うことになったら、きっと勝てないだろうと思う。
 だけど手合わせ程度なら檜佐木はあたしに対して手加減してしまうだろうから勝てる。檜佐木を基準に自分の強さを考えたことはなかったので、少し戸惑った。
 答えあぐねているうちに、殴られて飛んでいった檜佐木が戻ってきてあたしの頭をぐちゃっと撫でる。

「強いっすよこいつ。乱菊さん、この間の全体集会の日に霊圧感じませんでしたか?」
「ああ、十一番隊の方からの……え、アレって澤村だったの?」
「隊士の罵声にブチ切れて霊圧解放したらしいっす」

 壁際に座っていたあたしは、いつの間にか檜佐木と松本副隊長に迫られているような体勢になっていた。
「なんか知らんけど霊圧オバケなんすよね昔から」と人の過去を勝手に暴露する檜佐木が酒瓶を抱えているのを見て、「程々にしておいた方がいいと思いますよ」と一応忠言しておく。この人は酔いを翌日に持ち越さないタイプだが、一定量を超えると一気に潰れてしまうのだ。
 そしてそれを連れて帰るのは、今日の場合多分あたしの仕事になる。

「お前、こんな時まで敬語使うなよ」
「……とはいいましても」
「あたしのことなら気にしなくてもいいのよ〜」

 ひらひらと手を振りながら焼酎を呷る松本副隊長に、戸惑いつつぺこりと頭を下げる。

「……潰れた檜佐木を連れて帰るのが毎回面倒なんだから、これ以上飲まないで」
「大丈夫だっつの!」
「あーホラ……」

 止めるあたしに子どもみたいに反抗してぐいーっと飲んでしまった檜佐木は、酒瓶を取り落としてパタリと倒れた。云わんこっちゃない。
 松本副隊長は慣れたものなのか「あらあら」と笑っている。

 幸い空になっていた瓶を机の上に置いて、座布団を二枚ほど頭の下に敷いてやった。

「……あんたと修兵が付き合ってるっていう噂も、あるのよ」
「―――……」

 まだその噂あったんですかと云いそうになったところで、死覇装の袂をくいと引っ張られる。松本副隊長と二人で顔を見合わせ、檜佐木を見下ろすと、ぐーすか寝入っている彼がしっかりあたしの着物を掴んでいた。
 こういうところがそういう噂の出所になるんですよねぇ、と思わずぼやくと、彼女は吹き出す。

「あたしは人前では控えるようにしているつもりなんですが、檜佐木が無防備というか不用心というか、女子の情報網を舐めているというか」
「修兵はあんた大好きだものねぇ」
「困ったものです」

 檜佐木はとても、小心者だ。

 見た目は威圧感があって少し柄が悪い。しかし見た目に反して朗らかで懐も深く、強くて優しいし面倒見がいい。だからみんなに好かれるし、副隊長という重責をもなんとか凌いでいる。けれどそんな檜佐木の奥の方で、ひっそりと、小心者の彼がずっと泣いているのだ。
 檜佐木は色んなことに対する恐怖を全部その小心者に持たせて、自分でも気づかないような奥の方に仕舞いこんで、普段はあっけらかんと過ごしているのだ。

 そんな檜佐木を知る者は、あたしと、きっと東仙隊長、そしてほんの少しの親しい人だけ。
 中でも付き合いが一番長くてすぐ手の届く距離にいるあたしの前では、その小心者の檜佐木が出てきてしまうのだろう。だから無防備になる。そのせいで噂がたつ。だけど、そうしないと檜佐木は疲れてしまう。

 どうやら松本副隊長も、そんな小心者の彼を見抜いたうちの一人であるようだった。

「あんたも色々大変ね。十一番隊の仕事に修兵のお世話なんて」
「檜佐木は基本的に放っておいて大丈夫ですから別に。むしろあたしの方がお世話になっている気がします」
「へえ」
「十一番隊の方はそうですね、ちょっと参ることがないでもないですが、まだ大丈夫です」

 へらりと笑うと、松本副隊長はふっと笑ってあたしの頭を撫でた。

「あんた、もっと緩くなって大丈夫よ。しんどくなったら十番隊に休憩においでなさい」
「有難うございます」
「ついでに乱菊さんって呼ばせてあげてもいいわよ?」

 ……ああ、凄い人だなぁ。
 十番隊の副隊長をこなしながら、色んな人の色んな部分をちゃんと見て、声をかけて、懐に迎え入れてやることのできるおおきな人だ。檜佐木が憧れてしまうのも解る気がする。
 こんな女性に、なりたいな。

「はい。……乱菊さん」
「ええ」



 飲み会がお開きになり、あたしは十一番隊の参加者とともに隊舎への帰路を辿った。射場さんの背中には一角くんと恋次くんがまとめて背負われ、あたしの肩には檜佐木が寄りかかっている。
 十一番隊の二人は熟睡中だが、檜佐木の意識は少しだけ浮上していた。でないと彼の体重をさすがに背負えないのだが、耳元で上機嫌で鼻唄を歌われるとまあ鬱陶しい。

 射場さんはあたしの十一番隊入りを最初から歓迎してくれていたうちの一人で、今までの更木隊の書類を不知火くんと共に適当ながらなんとか処理してくれていたうちの命綱だ。

「今日は楽しかったか?」
「はい。ご飯も美味しかったですし、乱菊さんとも仲良くなれそうです」
「ほーか、そりゃえかったのう」

 事実、あれから乱菊さんとはずっとお話をしていた。
 書類のことや鬼道の話から始まり、十三隊の恋愛話だったり、おすすめの甘味屋さんを聞いたりして、久しぶりに女の人と会話した気がする。十一番隊は男所帯であたしと草鹿副隊長以外に女性隊士がいないものだから、本当に女性との接点がなくなってしまうのだ。
 射場さんはサングラスの奥で少し笑うと、あたしの頭を撫でた。

「噂のことは気にせんでエエ。所詮平隊士のほざくことじゃ、わかっとるやつはわかっとるけえの」
「ええ。あまり気にしないようにします」
「澤村は檜佐木の部屋、知っとるんか?」
「はい、大丈夫です。送ってきますから、ここで。おやすみなさい」
「おう」

 射場さんと十一番隊の前で別れて、九番隊々舎へ向かう。既婚の隊士や隊長格は瀞霊廷内に別邸を持つことが許されているが、檜佐木は面倒くさいと云って相変わらず隊舎内の寮で暮らしていた。
 居住区内にある檜佐木の部屋の前で、肩を叩く。

「檜佐木、ついたよ。鍵は?」
「ああ……悪ィ」

 受け取った鍵で引き戸を開け、草履を脱がせて座らせる。慣れた手つきで布団を敷き、手を引いてそこまで連れて行った。檜佐木の部屋には何度も来たことがあるので、何がどこにあるのかも大体把握している。勝手知ったる檜佐木の部屋。

 水を飲ませて、少し様子を見る。
 眠そうにうつらうつらしているが、気持ち悪いとか吐きそうとかは云いださないので大丈夫だろう。

「じゃあ帰るね。風邪ひかないように」
「……待って」

 手首を強い力で掴まれた。
 ギリと音のしそうなほど力を籠められ、つい動きが止まる。

「何だよ、あの噂」
「噂……?」

 いつもの檜佐木とあたしの噂なら今更だろうと訝しく思ったところで、そういえば更木隊長とあたしのことも話したなと思い当たった。
 呑気にそんなことを思い返していたら、檜佐木に手を引かれて布団に倒れ込んだ。そのまま強い力で抱きすくめられ、吃驚して身体が固まる。

「…………、くそ」
「檜佐木、」
「何で俺、九番隊なんだろう……十一番隊ならひと暴れしてやれんのになァ」

 ぱちぱち、と瞬いてしまった。
 不謹慎でも嬉しくて、緩む口元と声音が抑えられない。

「……莫迦なこと云ってないで、寝なさいよ。あたしなら大丈夫だから」
「お前が大丈夫でも俺が大丈夫じゃないんだよ」

 酔っ払って力の加減が出来ない檜佐木の腕は、あたしをぎりぎりと締め付ける。

「お前が色を売るなんて、そんなことできる奴じゃないの、俺が一番知ってる」
「貧乳だからねぇ、乱菊さんと違って」

 なんだか恥ずかしくなって茶化すと、「そうじゃねぇよ」少し苛ついた感じの檜佐木に締めつけられた。ちょっと酒臭い彼の体温は、酔っているからか少し高い。
 時間も時間なのでその温かみに包まれて眠ってしまいたい欲が湧いてきたが、さすがにそれはだめだと自分を叱咤する。

「お前は……そんなことしねえよ」
「ん」
「誰より真面目で頑張ってるのに、何で十一番隊の奴らはそれがわかんねーんだ」
「ん……」

 少し息が苦しくなってきたところで彼の頭をすっと撫でた。つんつんした髪の毛がくすぐったい。
 あたしのことをあたし以上に怒ってくれる人がいることは、とても幸せなことだ。あたしも檜佐木にとってそんな人で在りたいな、とぼんやり思った。

「……帰るね」
「ああ。悪い」
「いいよ。怒ってくれて嬉しかった、有難う」
「……お休み」
「おやすみなさい」

 ぽんぽん、檜佐木の頭を撫でる。
 最後に抱きすくめる腕にぎゅうと力を籠めてから、彼はあたしを解放した。

 檜佐木の部屋を出て、自分の居住区へ戻る道をゆっくりと歩く。
 見上げると月が昇っていた。
 みんな、あたしが十一番隊の配属になったことをさも大変で過酷であるかのように云うし、事実そうだ。けれど大変なことばかりじゃなかった。
 ついつい浮かんだ微笑みを隠しもせず、あたしは軽やかな足取りで帰路を辿った。


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