「やってますねぇ」

 眼下に修錬場を見下ろす丘の上で、草原に腰を下ろしている浮竹隊長に後ろから声をかけると、「やあ、澤村くん」と穏やかな笑みで迎えられた。
 十三番隊の隊舎裏修行場では、ルキアと井上さんが互いの技を尽くして手合わせをしている。

「きみのおかげと云うべきか。随分と明るくなったな、朽木は」
「とんでもないことです。あたしではなく、黒崎のおかげと云うべきでしょう」
「そうか? この間の飲み会を見る限り澤村くんの影響も大きそうだけどなぁ」

 井上さんに戦線離脱を云い渡した浦原店長に立腹し、力をつけて見返してやるぞと意気込んだルキアが、此処まで彼女を連れてきたらしい。
 浦原店長の意見には全面的に賛成しているあたしだが、自分を救けるために尸魂界まで乗り込んできてくれた友人を想って、ルキアが能動的に動いているのはいい傾向だと思う。浮竹隊長も同じことを考えているのだろう。

 以来、冬の決戦に向けて修行中だ。
 あたしも業務の合間を縫って彼女らと仕合をしたり、檜佐木を引っ張り出して体を動かしたり、更木隊長にボコボコにされたりしている。

 浮竹隊長の隣に座ると、彼は口の端に笑みを浮かべたままあたしに視線を向けた。

「檜佐木くんが離してくれないんじゃないのかい? 顔には出さないけど、ずいぶん参ったようだよ」
「此方に戻ってから毎日、なんだかんだと食事に連れ回されていますよ。……大怪我して寝込んで、復帰するや否や日番谷先遣隊だったので、まともに支えてもやれませんでしたから」
「檜佐木くんに内緒で現世へ行ったんだって?」

 その通りだ。
 相当お気に召さなかったようで、瀞霊廷に帰ってからというものネチネチやられている。

「報告している暇もなかったんですけど、なんかえらく傷ついたみたいで……よく考えたら東仙隊長がいなくなったばかりの檜佐木に可哀想なことをしてしまったなとは思います」

 微笑ましげな浮竹隊長の視線を受けていると、修行中の二人が手を止めてこちらを見上げてきた。
 あたしが眺めているのに気づいたのか、「あとりさーん!」「姉さまー!」とぶんぶん両手を振ってくる。可愛らしい妹分たちに手を振り返していると、浮竹隊長はうんうんと一人でなにか納得して頷いた。

「あの更木がよく懐柔されたものだとあの頃は驚いたものだが、なんだかその気持ちも解るな」
「か、懐柔ですか。そんな猛獣みたいな……いえ強ち間違いでもないか」
「いやいや」

「きみがいなくなってからどことなく背中が寂しそうだと、みんな笑いを堪えるのに必死だった」はははと笑いながらお茶を飲む浮竹隊長の言葉に目を剥いた。なんか、とんでもないことを聞いた気がする。
 寂しそう。
 檜佐木とか、草鹿副隊長ならともかく、更木隊長が――寂しそう。

 天変地異でも起きるんじゃなかろうか。

「きみは大抵どんな相手にも身構えない。肩書きや身分に怯えない。得難い資質だ」
「……褒めすぎです」

 さすがに居心地悪くなって立ち上がり、誤魔化すように下りていく。
 快く迎えてくれたルキアと井上さんが息を合わせて合図もなくかかってくるのを笑っていなしながら、そのまま反撃した。


胡蝶の幽夢のひとひら




 十一番隊の隊舎裏修錬場で檜佐木と向かい合う。
 九番隊の業務で忙しい筈だが、「斬魄刀を使って実戦練習したい」と伝えると、仕事を無理やりひと段落させて飛んできてくれた。あたしが檜佐木を呼び出したという話が何故か伝わり、ルキアと井上さんが見学にきている。ついでに暇なのか知らないが銀爾くんやイヅルくん、阿近さんなんかもいた。

 念のため戦闘範囲に結界を張っておいた。見学者も結界の内側にいるが、自力で避けるだろう。

「斬魄刀・鬼道・瞬歩の使用可能、死ななければ良し。総隊長にも許可は頂いてるから」
「成る程な、久しぶりに本気の澤村と手合わせできるわけか。ハンデいるかよ」
「あ、じゃあ檜佐木は始解なしで」
「それ俺に死ぬほど不利じゃねーか!」

 緊張感のないやり取りを交わしつつ、互いに斬魄刀を抜いた。

「檜佐木副隊長ともあろうお方が、まさか三席相手にその程度のハンデで敗けたりはしませんよね?」
「……お前マジで十一番隊に行ってから口が巧くなったな」

 跳んだ。
 瞬歩で背後をとって斬りかかると半身を翻して受け止められる。鍔迫り合いになる前に地を蹴って後ずさり掌を突き出した。

「蒼火墜!!」
「円閘閃!」

 蒼い炎が拡散して爆発する。見学組の方にも容赦なく霊圧が散ったが、井上さんの盾の能力で事なきを得たようだ。
 土煙の中で檜佐木が姿を消した。
「嘯け」囁きながら紅鳳の鍔を鳴らす。「――紅鳳」

 どっと胸元に衝撃を受けた。
 檜佐木の斬魄刀が容赦なく右胸を刺し貫いている。丁度その瞬間に煙が晴れて、「姉さま!?」とルキアの悲鳴に似た声が上がった。

 刀に貫かれたその体が、指先から緋色の蝶になって消える。

「は……!?」
「貰った!」

 目を剥いて驚いた檜佐木の背後から斬りかかった。寸でのところで半歩下がって避けられたが、剥き出しの腕に刃先が掠って血が飛ぶ。
 舌打ちを漏らした檜佐木が腕に巻いている小型の爆弾を飛ばしてきたので、紅鳳で切った。
 炸裂する筈だった其れが文字通り『消えた』のを見て、檜佐木の口の端が引き攣る。

「マジか!」

 一旦体勢を立て直すためか、檜佐木は結界内の端まで奔ると、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。

「……今の何だ?」
「『斬られたあたしは紅鳳の幻だった』『檜佐木の爆弾を消した』」
「おいおい洒落になんねーな、そんな能力あったか? いつもは位置を入れ替えたり盾を出したりとかだったろ」
「こんな能力もあったのよ。今まで使わなかっただけで」

 洒落にならないと云われても、いくら斬魄刀等使用可のなんでもあり実戦試合だといったって、迷いなく胸元を刺してくる檜佐木も洒落にならないと思うのだが。
 相手があたしじゃなかったら間違いなく重傷だ。

「……今まで使わなかったものを鍛錬する必要が出てきたってことか……」
「喋ってる暇。ある?」

 にこりと微笑んだあたしがざあっと音を立てて幾千羽もの揚羽蝶になって消える。
 次の瞬間には檜佐木の背後を取っていた。
 大上段に振り下ろすがさすがの反射神経を見せて檜佐木も回避する。そのまま二合、三合と斬り合い容赦なく刺突されるわ斬り伏せられるわ何度か重傷を負ったが、その度にあたしの体は蝶になって消え失せた。

 それから半刻ほども手合わせは続き、檜佐木の風死が紅鳳を弾き飛ばしたところで決着がついた。
 元々剣術に関してはこの同輩に遠く及ばない。終わりを悟った檜佐木もそれ以上攻撃しようとはせず、ただ首筋に切っ先を突きつけてきたので両手を挙げた。

「……参りました」
「おっ前……ふざけんなよ……死ぬかと思った……」
「檜佐木こそ容赦なかったじゃない」

 紅鳳の夢まぼろしの連続に加えて、あたしの放つ中級鬼道や二十詠唱に晒された檜佐木は息も絶え絶えだったが、惜しみなく攻撃したあたしの方もへとへとだった。ついでに修錬場の地面がかなり抉れてしまっている。
 最後の方は紅鳳の発動も追いつかないことがあったので、あたしも檜佐木もある程度負傷していた。

 井上さんがぱたぱた駆け寄ってくる。

「あたし治しますね!」
「うん、有難う井上さん。流石に疲れたわ……」
「こっちの科白だっつーの」

 見学者は増えたり減ったりを繰り返していたが、ルキアと井上さん、銀爾くんは最初から最後まで眺めていたらしい。
 物凄く苦い虫を何十匹も噛み潰したような表情の銀爾くんがゆっくりと歩いてきた。

「……澤村三席の斬魄刀、クソ難解ですね」
「解ってくれる? そうなのよ、大変なの」

 肩を竦めると、檜佐木の怪我の治療をしていた井上さんが「そうなんですか? あたし、紅い蝶が凄くきれいだなって見惚れちゃいました」と穏やかな感想を述べている。
 一方実際に戦った檜佐木も憮然としていた。

「あれ、一つ一つに指示してんだろ。頭こんがらがんねぇか」
「そうなの、途中から意味が解らなくなるのよ。タイミング一つずれたら全部おしまいだし。だからある程度で距離を取って一旦リセットするんだけど、途中から檜佐木それに気づいたでしょう」
「ああ、あれ解りやすく欠点だな。あと紅鳳を握っていないと発動できない。さっきみたいに刀飛んだら終わりだ」
「さっすが檜佐木ふくたいちょー! 慧眼恐れ入ります! よっ、檜佐木ふくたいちょー! 変なイレズミだぞ副隊長! 69!」
「テメェ莫迦にしてんだろ澤村。もういっぺんヤるか? ア?」

 あまりにも的確に、自覚する欠点を指摘されたものだからちょっと悔しくなってからかうと、額に青筋を浮かべて洒落にならない顔になった檜佐木に胸倉を掴まれた。
 こいつはこいつであたし相手に半刻も手こずったのが悔しかったようだ。


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