「義眼のメンテナンスしてやるから来い。ついでに注文の品もできたぞ」

 という言伝を頂いたあたしは超特急で抱えていた書類を仕上げ、技術開発局へ駆けつけた。
 先遣隊として出立する前に阿近さんに頼んでいたものである。
 最初の出発に間に合わないのは計算のうちだったが、次に現世へ戻る時には欲しいと思っていたから、阿近さんは本当に時宜がいい人だ。

 双極の丘で藍染に潰された右眼には、現在阿近さんの作ってくれた至って普通の義眼が入っている。
 釦を押したら飛び出すとか、ビームが出るとか、撮影機になるとか、そういうことの一切ない安心安全な硝子玉だ。
 技術開発局に顔を出すと、阿近さんの研究室に通される。

「メンテナンスなんてするんです?」
「一応な。ほらそこ横になれ。麻酔かけるから暫らく寝てろ」
「わざわざ麻酔までかけるんですか」
「起きたまま右眼刳り貫かれたいならそれでもいいぞ」
「お休みなさい」

 真顔で云ってはいたが、この人はやる。
 伊達に長年涅隊長の右腕を務めていないし、あたしだって伊達にこの人と付き合いが長いわけじゃない。阿近さんは確かに奇人変人変態揃いの技局ではだいぶ話が通じるまともな人だが、気心知れたあたし相手には容赦ないのだ。

「決戦は冬だと」

 薄めた麻酔を皮膚に一滴垂らされる。
 徐々に重たくなっていく瞼に逆らわず、静かな呼吸を繰り返していると、傍らに立つ阿近さんが小さく呟いた。

「……そうですね……」
「お前が前線に引っ張り出されないわけがねぇよな。立派な治療要員で、鬼道の達人で、おまけに霊圧莫迦だもんな」
「まあ、そうですね」

 どうしたんだろう。
 何故阿近さんがそんなにも、切なそうな顔をするのだろう。
 まるで――ルキアの治療を見守る黒崎みたいな瞳だ。

「……お前、また無茶すんだろうなァ」

 好きで無茶してるわけじゃないです。
 痛いのは嫌いだし、死ぬのも怖いし、剣を揮うこともいまだに恐ろしい。
 でもそれ以上に嫌なのは、怖いのは、恐ろしいのは、その怯えに屈して大切なものを守れないことだと思えるようになったんです。それだけの力を身につけた。その根底にはいつだってあなたの、霊圧を制御するための力添えがあった――

 云いたいことはたくさんあったのに、麻酔の眠気に逆らえなかった。
 代わりにちょっとだけ微笑むと、阿近さんも痛みを堪えるように笑った。


「出会った頃は、傷も痛みも知らない小娘だったくせにな」


グッナイベイビー畜生め




「戻っていたのか」

 阿近さんからは問題なしのお墨つきを貰い、三番隊々舎へ向かう途中の通路ですれ違った朽木隊長に頭を下げたところ、おもむろにそう声をかけられた。
 藍染の一件で護廷十三隊には色々な変化が訪れたが、その中でもこの人の鉄面皮に一筋の緩みが出たことは、あたしの中ではたいへんな驚きだった。
 ルキアや恋次との関係をこの人なりに再構築しようとしているようなのだ。

 頭を上げて、怜悧な双眸を見つめ返す。
 その雰囲気はだいぶん柔らかくなった。

「はい。留守を頼んでいた隊士が倒れたというので、一週間前に檜佐木副隊長から帰還するよう頼まれまして」
「そうか」
「阿散井副隊長でしたら、現世死神代行組の男の子の特訓をつけてやりつつ、卍解の修行をしていらっしゃいますよ。前回の襲撃で多少怪我はしましたが元気にしています」
「そうか」
「ルキアも、ご存知でしょうけど現在は十三番隊の修錬場で井上さんと特訓中です。浮竹隊長はルキアによい友人ができたと喜んでおられました」
「そうか」

 返事は全部「そうか」だが、一つずつ微妙に声音が違う。
 いつも通り表情に変化はなく、精巧につくられた人形のような端麗なお顔立ちだ。どこか冷ややかな霊圧は耐性のない隊士にとっては恐怖の対象であるらしく、遠巻きにされているのを感じる。
 上手に付き合ってみると意外とお優しい方なのに勿体ない。



「朽木隊長が優しいっつーのも妙な話だけどな」

 奇妙なことを聞いたとでも云いたげな檜佐木の横で、昼食のうどんを啜る。
 銀爾くんが業務に復帰し、あたしは十一番隊と三番隊を行ったり来たりしながら日々を過ごしていた。三番隊の隊長代行権限が漸くイヅルくんに下ろされたし、十一番隊の反乱の事後処理もほとんど済んでいる。
 ついでなので先日の破面との戦闘による現世の市街損壊に関する決算も片づけておいた。――ということを日番谷隊長に報告するとやたら有難がられたので、普段乱菊さんはよっぽど仕事から逃げ回っているのだろう。

「そう? いい人だと思うんだけどなぁ」
「いや悪い人だと思ったことは一度もねーけどよ」
「ルキアの幼なじみの恋次を副官として自ら傍に置くくらいだから、色々思うところはあったんでしょうね。あの人もあの人で背負うものがあって大変なのよ」
「……澤村って実はすげぇ心広いよな……感心するぜ」

 心が広いというか、十一番隊の変人連中に付き合っていればいやでも他の人がまともに見えてくるだけだと思う。

「……あれからもうふた月になるのか」

 定食を食べ終えた檜佐木が湯呑みに口をつけて息を吐く。ふうっと吹き上がる白い湯気を目で追う間の抜けた横顔を眺めつつ、彼の零したその言葉に染み入った。

 藍染の反乱から、ふた月。
 体の傷は癒えても、心の傷を癒すにはまだ足らない。
 裏切りに痛む心に蓋をしてただ目の前のことに手をつけて、ひっそりと涙を呑むことしかできない。

 調査の結果、ルキアの魂魄から解き放たれた崩玉は強い睡眠状態にあり、如何な手段を持ってしても覚醒まで四か月はかかるとのことだった。即ち決戦は冬とされたものの、それまで何事もないという保証もない。
 関わる両隊が落ち着いたからには一旦現世へ戻ることも考えた方がいいだろう。

 決戦までのこの仮初の平穏が、少しでも長く続けばいい。

「……そろそろ日番谷隊長の血管が心配なのよね……」
「阿散井に斑目に綾瀬川に乱菊さんだもんな。朽木とお前は尸魂界だし……俺でも遠慮したい面子だぜ……」
「初日に日番谷隊長から『俺は今猛烈にお前を尊敬している』って云われちゃった。凄くない?」
「そりゃすげぇ。そこまで云わせるあいつらがすげぇ」

 うどんを食べ終えて「ごちそうさまでした」と手を合わせる。
 檜佐木がぱっとこちらを向いた。
 なんだなんだ。

「……デザートのわらび餅やるよ」
「有難き幸せ」
「だから今晩飲みに行こうぜ」
「またぁ? こっち戻って来てから殆ど毎日じゃないの」
「どうせまたすぐ現世戻るんだろー。それなら戻るまで目一杯相手しやがれ。朽木から聞いてんだぞ、茶渡とかいうやつ可愛がってんだろーが」
「もー、どいつもこいつも茶渡くんにやきもち妬いて……」

 可愛いやつらである。

 呆れ交じりに肩を竦めてわらび餅に手をつけた時、ひらりと食堂に現れた黒い地獄蝶が傍らで羽ばたいた。
 どこから呼び出しかと訝しく思いながら首を傾げる。


『空座北部にエスパーダと見られる破面出現!』


 耳を疑った。
 藍染によって生まれた成体の中でも、高い殺戮能力を持つ十体の破面――十刃、エスパーダと呼ばれるものがいる。先日、日番谷隊長と交戦した個体から齎された情報で、あの時黒崎とルキアが対峙したグリムジョー・ジャガージャックが其れだった。
 まだ来ない筈だった。
 ――来るとしてもまだ先だと誰もが思っていた。

「莫迦な……」
『数は四――』
『日番谷先遣隊と交戦状態に入りました!!』

 唖然とする間もなく立ち上がる。弾みでうどんの汁が跳ねた。
 十刃が四体。
 それ以外の破面にあれほど苦戦したばかりなのだ。いくらなんでも勝ち目がない。

「澤村!!」
「日番谷先遣隊澤村、朽木隊員と合流して現世へ向かいます。十三番隊々舎前の穿界門の開門処理願います――檜佐木わらび餅食べといて!」
「わか……解ったけどお前また腹に穴開けてくんじゃねーぞ!」
「今回は一角を盾にするから大丈夫!」

 入口へ向かうのももどかしく、窓を開けて飛び降りる。
 十三番隊の隊舎前でルキアと合流し、地獄蝶を持たない井上さんとは後ほどの再会を約束して、二人で穿界門をくぐった。


 考えが甘かった。

 井上さんの能力に藍染が目をつける可能性もあると解っていながら――その可能性に早い段階で気づいていながら。

 あたしは、実に甘かった。


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