ルキアと黒崎を黒崎家まで送ったあとは、浦原商店へ足を向けた。
幸い表の鍵はかかっていなかったので、勝手知ったるの気持ちで地下の訓練場へ下りていく。一角と弓親がギャーギャー騒いで日番谷隊長が呆れ顔になっているのを見て、こちらにも大きな被害はなかったらしいと胸を撫で下ろした。
「あとりさん……!」
「あ、茶渡くん久しぶり。ちょっとは強くなった?」
「その怪我……早く治療を」
あたしに気づいて血相を変える茶渡くんを宥めて日番谷隊長のもとへ向かう。こちらも眉を上げたが、さすがに動揺はしなかった。
「黒崎と朽木が前回と同じ破面と交戦し負傷しましたが、両者無事です。今は黒崎家に」
「そうか。……お前のその怪我は?」
目を伏せる。
その人の呼び名を、口の中で探った。
「市丸、と。交戦しました」
「……市丸だと」
日番谷隊長の翡翠色の双眸が見開かれる。
あの人の実力を十分に知る隊長であるがゆえの、あたしの怪我がこの程度で済んだことに対する純粋な驚愕だろう。あたしだってよくもまああの神鎗と対峙して、胴体と首がくっついているものだと感心しているところだ。
隊長は深く追及しなかった。
「あとで聞く。まずは治療してもらえ」
「はい」
「――、無事でよかった」
「……はい」
頑なに握菱さんの手当てを拒む一角を黙らせて治療を開始する。先遣隊の面々の怪我が癒えたあとはあたし自身も握菱さんの治療を受けて、ざっくり切れている死覇装を脱ぎ茶渡くんの衣服を借りた。
ようやく落ち着いたのが夜半すぎ。
そういえば井上さんの姿が見えないなと思い当たって日番谷隊長を見ると、彼もまた眉間に皺をつくっていた。
尸魂界との通信が繋がらないらしい。
「霊波障害でしょうか。よりによって……」
死神でなく生身の人間である井上さんは、正規の穿界門を通っても自動的に断界へ送られてしまう。そのため尸魂界側で断壁の固定を行ってから死神二名の同行を受けて現世へ来る手筈になっていた。
此処へは寄らずそのまま黒崎とルキアのもとへ向かったのかと、浦原商店の屋根から霊圧を広範囲に渡って探ってみたものの、少なくとも現世空座町近隣に彼女の霊圧は感じられない。
嫌な予感がする。
どちらにせよ霊波が安定して瀞霊廷と連絡がつくようになるまでやれることは少ない。井上さんの捜索に当たることになり、まずは日番谷隊長たちが根城にしていた彼女の自宅へ向かった。
線香の香りがした。
仏壇に上がる線香はだいぶ短くなっている。
やはり此方には到着しているのかと首を傾げた先、小さなテーブルの上にノートが開いているのが目に入った。近寄ってみると、井上さんのものと思わしき丸い文字で何事か書いてある。
『乱菊さんと冬獅郎くんへ』
どきりとした。
市丸隊長は、反膜によって虚圏へと帰還した。
交戦していた十刃それぞれも同じように、一斉に姿を消したのだという。
つまり最初から――帰還のタイミングは決まっていた。
それならなんのための襲撃だった。なんのために、現世の死神たちの動きを止める必要があった。何を成し遂げて破面たちは一斉に引き揚げた?
『洗たく物はたんすの左上にタオルがくるように入れてね』
『燃えるごみは毎週火曜日と木曜日の朝八時までに出しといてね』
『食べのこしたごはんは一食ぶんずつラップにくるんで冷凍庫に入れとくといいよ』
喪ったものを元に戻す、世の理から外れた力。およそ現世に生きる普通の人間が、具えて赦されるものではない。
あたしが藍染だったら、まずあの未知の力を確保する。
井上さんを戦線から外す。賢明な判断だと思います。あの能力は藍染の興味を引く可能性が高い――
『goodbye, halcyon days』
最後の一文を目にした瞬間、爪先から鳥肌が立った。
「隊長っ……日番谷隊長!!」
去らば穏やかな日々
夜が明けて、日番谷隊長自ら黒崎のもとへ赴き彼を連れてきた。
見た限り、昨日の戦闘で負ったあと治しきれなかった怪我が全て治っている。そのさまを見て、事態が悪化の一途を辿っていくことに頭が痛くなった。
霊波障害の除去が完了して尸魂界との通信がつながる。
通常であれば総隊長が坐すはずの映像には、まず浮竹隊長が映っていた。井上さんが現世へ向かう穿界門に入る時、最後に見届けたのが彼だからだ。
『井上織姫は破面側に拉致、若しくは、既に殺害されたものと思われる』
「なっ――」
険しい表情で告げられた尸魂界の見解に、井上さんが怪我を治してくれたはずの手首を見せて黒崎が喰ってかかった。
「証拠もねぇのに死んだだと!? 昨日の戦いで手首に大怪我をした、それが朝起きたら跡形もなく治ってた! ここに井上の霊圧が残ってんだよ、それでもまだ死んでるって……」
『それは残念じゃ』
浮竹隊長の背後から、総隊長が歩み寄ってくる。
先程目を覚ましたばかりで何が起きたのか理解が追いつかない黒崎は「残念ってどういう意味だよ」と目を見開いていたが、画面の向こうの二人も、あたしも、日番谷隊長も、黒崎のあの一言にひとつの結論を見出していた。
仏壇に線香が上げてあった。
ここで寝起きする二人への置手紙があった。
昨晩の戦闘で負った黒崎の怪我が、治っていた。
『もし拉致されたなら去り際におぬしに会う余裕などあるまい。即ち井上織姫は自らの足で、破面のもとへ向かったということじゃ』
その後も激昂する黒崎を恋次が抑えたり、救出に向かう向かわないの問答があったりしたが、最終的には瀞霊廷から朽木隊長と更木隊長が差し向けられた。
破面側の戦闘準備が整っていると判明した以上は、日番谷先遣隊も即時帰還し尸魂界の守護につかなければならない。
井上さんの戦闘力は尸魂界に利するほどではない。我々にとって大きな影響力を持つわけでもない井上さん一人のために、今や世界の均衡を崩す力を持った藍染への戦力を削るわけにはいかなかった。
護廷十三隊の職務は瀞霊廷の守護。
それでも。
――それでもだ。
「隊長……」
面倒くさそうな顔で見下ろしてくる更木隊長をつい縋ってしまう。
足が動かなかった。
井上さんを戦線から外す。賢明な判断だと思います。
解っていた。
解っていたのに。
「お前が駄々こねるとは思わなかったぜ」
立ち竦んでいたあたしの鳩尾を隊長の拳が捉えた。
「姉さま!」悲鳴を上げたルキアの肩を恋次が掴んでいる。
眩む視界の中、手探りで隊長の死覇装を掴んだ。殴ることないじゃないかと精一杯の抗議をしたつもりだった。彼は歯牙にもかけず、頽れたあたしの体を肩に担ぎ尸魂界へと戻っていく。
項垂れた黒崎の後ろ姿が、丸い障子窓の向こうに消えた。
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