目覚めは最悪だった。
 さすがに殴って気絶させられた程度で四番隊には運ばれない。十一番隊ではその程度ざらにある。久々に受けた雑な扱いを懐かしく思いながら身を起こすと、隊首室の寝台だった。
 かけられていた隊長羽織を抱えて立ち上がる。
 護廷十三隊の隊長のみがまとうことを許されるこの白い羽織は、本来なら間違っても、気絶した部下にかけていいような代物ではない。

 震える手でその羽織を握りしめた。

 解っていた。
 解っていたのに。

 だが自らの浅慮を嘆く暇も、無力を疎ましく思う暇もない。
 井上さんはある程度の自由を許されたうえで破面とともに消えた。そうは云っても、現世を想って力を磨いていた彼女が裏切るわけがない。同行していた死神二人の命を盾に取られ、場合によっては現世で戦闘する先遣隊の面々のことも脅迫に使われた可能性がある。
 総隊長が其れに思い至らぬ筈がない。

 ――切り替えろ。
 前を向く。しゃんと背筋を伸ばす。自分にできることをやる。立ち上がれる限り歩く。歩ける限りは前に進む。動ける限り戦う。拳ではなく刀を握る。

 大きな息を吐いて隊首室を出ると、板張りの廊下に寝転んでいた隊長が薄目を開けた。

「……殴ることないのに……」
「あぁ? 殴ってほしそうな顔してやがったくせに何云ってやがる」

 どんな顔だ。
 不満をありありと顔面に乗っけて恨めしい気持ちで更木隊長を睨みつつ、羽織を差し出した。腹筋だけで起き上がった彼の腕から羽織を通すと、隊長は「行くぞ」と顎をしゃくる。
 何処へです、と視線で尋ねると、彼はやはり面倒くさそうに鼻を鳴らした。

「てめぇの意識が戻り次第、空座町決戦の作戦会議を開始する。だとよ」
「…………起こしてくださいよ、じゃあ!!」
「ウルセェ」

 一番隊の隊舎内で行われた会議には、各隊の隊長及びその代理が出席した。
 よく考えたら三席の身でそんな重大な会議に参加するのかと戦々恐々したものだが、会議が進むにつれて、あたしがこの場に召喚された本当の意味も明らかになっていった。


俯仰天地に愧じず




「……澤村三席」

 低く滑らかなその声に呼ばれると、まるで自分の名前ではないような感じがする。
 危うく聞き逃すところだったのをなんとか踏み止まって振り返ると、そこにはいつも通り目もあやな美男子の朽木隊長が、半身を翻してこちらを見ていた。

「はい。朽木隊長」
「十一番隊の四席は不知火だったな」
「はい、それがなにか」

 あたしがこの人を命の恩人と思っていることはそれなりに多くの人が知っているし、恐らく本人も承知している。
 恐ろしいのはこの隊長があたしのことも、『ルキアの命の恩人』と思っている節があるということだった。
 実際あれからルキアを通して朽木家の晩餐へ招待されたり、ルキアの友人として朽木家本邸への立ち入りを認められたりと色々あったし、こうして道で呼び止められて言葉を交わす機会も増えている。

「……不知火四席を、空座町の転界結柱の守護に回すことは可能か」


 藍染の目的が判明し、決戦は冬と仮定された際、山本総隊長は現世の浦原店長へ二つの指令を下していたらしい。

 一つ目は、隊長格を虚圏へ送るための道を固定させること。
 二つ目は、護廷十三隊全隊長格を現世にて戦闘可能にすること。
 特に二つ目に関しては、転界結柱という特殊な手法が用いられた。四箇所に打たれた柱で指定した半径一霊里に及ぶ現世の空座町を、そっくりそのまま、流魂街外れに作られた精巧な町のレプリカと入れ替えるという荒業だ。

 四本の柱が破壊されたら、そこから本物の空座町が戻ってしまう。
 従って決戦に際してはそれぞれに守護を配置することとなり、昨日の隊首会ではこれにイヅルくん・恋次・檜佐木・一角の四人が任命される予定で話が進んでいた。


 ――が、朽木隊長がこういうことを云い出したということは、『そういうこと』なのだろう。
 しれーっとしている彼に対し、あたしもしれーっと返した。

「不知火四席には、隊長以下三席二名の抜ける十一番隊の指揮と瀞霊廷守護を任せるつもりですので厳しいです。そういうことでしたら綾瀬川五席に柱の守護をさせることになりますね、彼も四席に相当する実力の持ち主ではありますから問題ないかと」
「そうか」

 しれーっと嘯いた朽木隊長がきびすを返すので、あたしもしれーっと頭を下げて見送った。

 三番隊で通常通りの仕事を終えて定時で上がったあと、十一番隊詰所を訪れたあたしは自分の仕事机の中身を探った。
 暫らく前線に出ることもなかったので、此処にしまっておいた救急用品は全て前のまま置いてある。包帯やさらしは荷物になるだろうから、かつて一角たちにあげた血止め薬の新品を五つ手に取った。

 布を裂いて、一つずつ包む。最後に巾着に五つをまとめると隊舎を出て、今度は瀞霊廷内の朽木家本邸へ向かった。
 二度ほどお邪魔したことがあるので、家の人も顔と名前は承知してくれている。ルキアに会いに来たと伝えると控えの間に通された。

 ぱたぱたと軽やかな足音が近づいてくる。
 勢いよく襖を開けて、小袖に着替えていたルキアが顔を出した。

「姉さま! 如何されたのですか?」

 広い屋敷を駆けてきたのだろう、少しだけ息が上がっている。

「何年あなたたちの先輩をやっていると思っているの」
「……姉さま」

 あたしの向かいに腰を下ろしたルキアを見て肩を竦めた。

 かれこれ軽く十年以上である。成る程よく似た幼なじみ二人組は、先日の処刑の一件があるまでは非常に微妙な関係を拗らせていたものの、壊れかけた絆を手繰り寄せて以降はすっかり悪友になってしまっていた。
 そんな二人それぞれを、別々に、ある意味一番近くで見守ってきた身としては、考えることなどお見通しだ。

 二人はどうしようもないほどすれ違ってしまっていた。
 その絆を再び結び合わせるきっかけを作ってくれたのは黒崎だ。
 その黒崎が井上さんを取り戻すと考えている以上、この二人がやることなど決まっている。そしてその二人に此れでもかという程甘い、あの朽木隊長の考えることも。

 ルキアの華奢な手を取り、用意してきた巾着袋を握らせた。

「……虚圏には四番隊はいない。井上さんも囚われの身。負傷一つが命取りになると思いなさい。向こうはどうせ、黒崎と茶渡くんと、あと石田くんが行っているんでしょ。あとはルキアと恋次で五つ入れてあるから、一人一つ、大事に使ってね」

 現段階では、昨日の隊首会の内容は副隊長以下にさえ通達がいっていない。なんといっても作戦の話し合いが難航しているのだ。恋次の場合、自分が空座町決戦における柱の守護に回されることすらまだ知らないはずだ。
 知ってしまえば、彼は行けなくなるだろう。
 なんだかんだで真面目な後輩だ。

「あと、茶渡くんに伝言」
「茶渡ですか?」
「うん。『借りた鍵は次会った時に返す』と云っておいて」

 借りていた鍵を返す間もなく現世と尸魂界を行ったり来たりして、井上さんのことが明らかになってからは、寝床を借りたお礼を云う機会さえないまま此方に帰ってきてしまった。
 いまだに捨て身なきらいのあるあの子の戦い方は気になるが、こうなってしまっては仕方がない。

「畏まりました」
「見送りには行けない。黒崎と、恋次にも宜しく。あとのことは朽木隊長とあたしに任せなさい」
「――はい」

 真っ直ぐに此方を見つめるルキアの目が、群青にきらめく。
 ルキアは強くなった。
 現世での駐在任務が原因で大変な目に遭って、二度と生きて会えないかもしれないとすら思ったけれど、今となっては彼女にとっていい荒療治になったのだろう。現世で黒崎と出逢い、井上さんと知り合い――多くの友人を得て。

 いい目をするようになった。

「ルキア」
「はい」
「行ってらっしゃい」
「はい。行って参ります」



「申し上げます!」

 翌朝、『たまたま』廊下で出会った朽木隊長と他愛無い世間話をしていると、隠密機動の警羅隊が参上した。

「六番隊副隊長阿散井恋次殿及び十三番隊朽木ルキア殿、両名の霊圧が隊舎より消えた模様です!」

 現在我が隠密機動第二分隊警羅隊が捜索範囲を瀞霊廷全域に広げ云々かんぬんと報告している不憫なその人の口上を全て聞いてから、朽木隊長は無言のまま羽織を翻す。
「ご苦労さまです」ぺこりと頭を下げてそのあとを追った。

「兄からの推薦状では――」

 朽木隊長が唇を開く。
 恋次が六番隊の副隊長として抜擢された際、更木隊長の名義で推薦状が送られた。無論、内容はわたしが書いたものなので「兄からの」になるのである。

「信義に厚く職務に忠実とあった筈だが」
「ええ、十一番隊にいた頃はそうでしたけど……」

 此方をちらりとも見ない朽木隊長だが、すっかりこの人との距離感に慣れてしまったあたしは平然と云い返す。

「六番隊に異動してからやんちゃになったようですね。誰かからの影響でしょう」
「……頭の痛い話だ」
「朽木隊長の影響もあるのではと云ったつもりですが?」
「侮辱しているのか」
「いいえ、とんでもない。誰かのために信念を貫く美徳を、あなたから受け継いだのですよ」

 朽木隊長は答えなかった。
 こんな軽口も許してもらえる程度には信頼を勝ち得ているらしい。

 そして白々しく嘯く。

「さて、困りましたね。阿散井副隊長が姿を消したとなりますと、柱の一本を守る者がいなくなることになりますが……」
「十一番隊の綾瀬川五席を総隊長に推薦しておく」
「畏まりました。更木隊長にもそのようにお伝えします」


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