「茶渡。姉さまから伝言だ」

 一方、姿を消した当の六番隊副隊長阿散井恋次及び十三番隊朽木ルキアは、浦原喜助の手引きで虚圏へと突入し、現世死神代行組と無事合流した。
 あとりから渡された気休めの血止め薬を一人一つ手渡したあと、巨躯の少年を見上げる。

「『借りた鍵は次会った時に返す』」

 面倒見のいいあの三席のことだ。井上のことを救けに行けない自分をもどかしく思い、すぐ怪我をする黒崎を(自分のことは棚に上げて)心配し、自己犠牲の強い茶渡を(これまた棚に上げて)心配し、今頃まんじりとしない気持ちで業務に励んでいるに違いない。
 茶渡はルキアから伝えられたその言葉を噛み締めるように目を閉じた。

「か、鍵? なんのことだチャド」
「ム。……あとりさんが暫らくうちに泊まっていた」
「ハアアア!? あとりさんの云ってた『あて』ってチャドの家なのかよ! 謎すぎんなあの人!!」
「茶渡くん、あとりさんってあれかい、朽木さんと仲のいい十一番隊の」
「そうだ。お見舞いにメロンを買ってきて、ご飯も作ってくれた」
「剣八の部下なのにどこまでもいい人で逆に可哀想だぜ……」

 旅禍として尸魂界に侵入した現世の四人のうち、石田だけはあとりとの面識がない。はてなと首を傾げている滅却師を横目に、どうもあの三席のことを『十一番隊の女隊士なのにめちゃくちゃまともで物凄くいい人』と恐ろしい誤解をしている黒崎に向かって恋次は勢いよく首を振った。

 いや癖の強い十一番隊の中ではむしろ変人に見えるほど常識的で、なんだかんだと他隊の隊士にも慕われているいい人であることに間違いはないが、黒崎の認識には問題がある。
 ただの常識人が、ただのいい人が、荒くれ者ばかりの十一番隊に放り込まれて十年以上もやっていけるわけがないのだ。

「いやいやいや一護、更木隊長が唯一頭が上がらないのあの人だぞ。全然まともじゃねぇからなあとりさんは」
「マジかよ! 剣八が!? あの剣八が!? 嘘だろ!?」
「嘘ではない。無論戦闘においては更木隊長が絶対的なのは云うまでもないことだが、実質的な十一番隊の隊長は姉さまと云っても……正直、過言ではないな」
「隊長の業務、八割方あとりさんがやってるしな」
「うむ。私は正直、姉さまが書類と格闘しているところしか見たことがない」

 いたわしげな表情の恋次と自慢げに腕組みをするルキアがやいやい盛り上がる横で、現世三人組は心底憐れんだ。

「うおおおおあとりさん苦労するな……今度会ったら肩揉んでやろーぜチャド……」
「そうだな……そんな凄い人だったのか……」
「僕は話したことがないが、なんだか聞けば聞くほど不憫な人だな」


メメント・モリ




 遠く離れた虚圏の夜空の下、年下たちに不憫がられていることなど露知らず――


 本日正午、山本元柳斎重國総隊長の名において護廷十三隊に対し、現世重霊地空座町守護のための防衛戦力展開・ならびに虚圏侵攻作戦が発表された。
 黒崎をはじめとする死神代行組三名、及び独断先行した阿散井・朽木両名に加え、護廷十三隊からは六番隊々長、十一と十二番隊の隊長格二名ずつ、そして四番隊からも隊長格二名と席官一名の計八名が虚圏へ。
 残る各隊の隊長・副隊長及び十一番隊から選抜された斑目三席と綾瀬川五席が、転界結柱の施された空座町に展開し、藍染の侵攻に備える。

 そして。

「『各隊々長の決戦の間、流魂街外れの本物の空座町の守護を第一優先任務とし、其の身命を賭して死神としての職務を遂行せよ』ねぇ」

 立てた片膝に腕を乗せ、行儀のよくない姿勢で一角が盃を傾ける。
 その横に並んで足を崩したあたしは、夜空に霞む三日月をなんとなしに見上げた。

 魂の透き通るような星空だった。

「俺ァお前の霊圧の全解放なんか見たことないから知らねーけどよ、尸魂界を三回滅ぼせるってことは全解放したら自分も死ぬってことかよ」
「さあ。やってみないことにはなんとも」
「まあやってみたことがあったら尸魂界消し飛んでるってことだもんな」

 それから暫らく、無言で只管酒を空ける時間が続いた。
 今朝早くに現世へと向かい、浦原店長の手引きで虚圏へ向かった筈のルキアと恋次は無事でいるだろうか。今頃破面たちとの戦闘を展開しているであろうたった十五や十六の少年たちは、大きな怪我をせずにいるだろうか。
 どうか明日、卯ノ花隊長が到着するまではその命をつないでいてほしい。

 一角と二人差し向かいで飲むのは初めてだった。
 大抵いつも隊長や弓親がいて、檜佐木や乱菊さんがいた。賑やかに飲んで酔っ払って脱いで腹踊りを始める一角を、面倒くさくなって酒で潰して持って帰ったのもいい思い出――いい思い出だろうか、これは……いや、いい思い出だ。
 なんか余計なこと思い出しちゃった。いい思い出だということにしておこう。
 それでもとりあえず真顔のまま盃を空ける。

「怖いか?」

 沈黙を破ったのは一角だった。

「怖い……そうだね、怖いかも。少し」
「少しかよ。相変わらず肝据わってんな」

 呆れたような顔になった同僚にちょっと笑いながら、おつまみに持ってきた魚を摘まむ。
 ちなみに場所は十一番隊の道場の隅っこ。
 人の気配はない。

「もうこの際、怯えたら敗けだと思ってるからね」
「そうかよ。――ま、お前の力が必要になった時にゃ現世で戦う俺たちは全員死んでんだ、心安らかに藍染と戦え。それでお前が死ねば俺らが先に逝って待ってるってだけのことだ」

「死神に逝く先も何もないでしょうに」苦笑で答えて、盃を呷る。

 この月と入れ替わりに太陽が昇ったら、まずは更木隊長たちが虚圏へ突入することになっていた。
 それと同時に転界結柱を施し、入れ替えた現世空座町周辺には強固な結界を張り、全隊長格が空座町へ展開する。技術開発局は現在、空座町のレプリカ作成や結界の準備で昼も夜もない生活になっているらしい。明朝に間に合えばいいのだが。

「つーかお前、死ぬかもしれねぇ作戦の前夜になんで俺と飲んでんだよ。檜佐木はいいのか檜佐木は」
「えー、なんか改めてそんな晩酌したら縁起悪くない?」
「相変わらず色気ねぇなぁお前ら。わかんねーぞ、檜佐木が思い余って『この決戦が終わったら結婚しようぜ』とか云いだすかもしれねーだろ」
「茶渡くんに教えてもらったんだけど、現世じゃそういうの『死亡フラグ』って云うんだって」
「仲良しかよ」

 けっ、とわざとらしく吐き捨てた一角の目元はほんのり赤い。

「一角こそ」

 手酌しようとするので注いでやった。
 いつもは瓶ごと飲もうとする人だが、さすがに明日に決戦を控えてそんな真似は控えているらしい。

「変に意地張って卍解隠して下手打ったりしないでよ。今回のことはあんた一人が死ねば済む問題じゃないんだから」
「……ウルセー」
「大丈夫、卍解がばれたって一角のことを隊長に推薦するような人いないから。よしんば推薦されたとしても反対多数で否決だわ」
「お前マジでそういう厭味なとこ弓親に似てきたぞ」
「やだな、弓親を引合いに出されたら褒められてる気がしないんだけど」
「貶してんだよ」

 三席として肩を並べるようになってからというもの、呼吸にも等しくなるほどやり取りしてきた軽口をいつも通りに叩き合う。
 明日からの決戦でどちらかが死ねば、もう二度と叩けない軽口だった。

 空になった盃をお盆の上に戻して、傍らに置いてあった紅鳳を抱き寄せる。
 抱えた膝の間に立てて鞘に額を当てると、一角が息を呑んだ気配がした。

「……どうした?」
「いや。お前の斬魄刀ってけっこうホイホイ出てくるんだな……紅い着物のガキが後ろから抱きついてる」
「ああ、それは幻の方だね」

 そんなことをされたらあたしが気づかないはずがない。
 夜空に紛れて一羽ひらりと翻る、緋色の蝶を指さした。

「紅鳳の具象化した姿はあっちの揚羽蝶。話したい時は女の子の姿になって出てくるんだけど、……空を覆い尽くす緋色の揚羽蝶が羽ばたいて消えていくさまは凄く綺麗で、あたしはそっちの方が好き」
「へぇ」

 紅鳳。
 十一番隊の隊士が手にすべきは直接攻撃系の斬魄刀のみと暗黙の了解で決まっているがゆえに、大半の隊士の前ではこの子を始解することは控えていた。
 夢まぼろしを見せて敵に錯覚を与えるなど、自らの剣術以外を頼りにするなど、卑怯者のやることだと十一番隊では云われるのだ。
 まあ今更三席相手にそんなことを叩く勇者がいるとは思えないが、異動直後は随分と肩身の狭い思いをしたものだった。
 当時のことを思い出してちょっと笑みが零れる。

「ふふ。あたしに向かって『腰抜けが』って云ってきた隊士にね、あたしが怒るより先に恋次が激怒するのよね」

 真央霊術院時代からの顔見知りで、護廷十三隊への入隊後も吉良くんを通じてなんとなく知り合っていたため、十一番隊に異動してきた時は恋次が一番に味方になってくれた。
 人のために自らを突き動かして、人のために怒れる、実直で真面目で信義に厚い後輩。

「……あーっ、六番隊に恋次取られたくなかったーっ」
「推薦したのテメェじゃねぇか」

 呆れ顔の同僚の肩を渾身の力で叩く。
 そういう問題ではないのだ。

「腰抜けなぁ」
「まあ正直なところ十一番隊向きの強さじゃないしね。入隊した前後のことを思うと腰抜けも的外れではないし」

 一角は沈黙して、あたしの右眼に視線をやった。
 遠い昔の話だ。
 今でも夢に見る程度の、昔の話。

「そんな腰抜けが対藍染の最終兵器なんだからよ」

 にっと口角を上げる。悪役じみた笑みだが、十一番隊には似つかわしい性悪な表情だ。
 でもあたしもきっと同じ表情をしている。
 肩を並べた三席同士。


「大した腰抜け野郎だぜ、テメェは」


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