太陽が昇る。
 空が白群青に華やぐ。
 これから間をおいて次々と出立していく隊長たちを見送るため、あたしは一番隊々舎前の穿界門まで出てきていた。他の隊長や隊士たちにもそれぞれ任務があるので、見送りに来る人は多くないが、あたしは今日単独行動になるので時間に自由が利く。

「あとりちゃーんっ、おはよ!」
「おはようございます、草鹿副隊長。これ、おやつにどうぞ」
「わーい!」

 巾着に包んでいた金平糖を渡す。
 落とさないようにしっかり懐に突っ込むと、草鹿副隊長はくるりと宙返りして更木隊長の背中にぴとっと張りついた。出撃前だというのに呆れるほどいつも通りの二人に笑みが漏れる。
 そもそも虚圏侵攻組の危険度はそこまで高くない。
 先行した五人がいくらか健闘しているはずだし、治療のため卯ノ花隊長が直々に前線へ出られる。即死しない限りは帰還できると考えていい。見送るあたしも気楽だった。

「気をつけて行ってきてくださいね。隊長とはぐれちゃだめですよ」
「うん! 行ってきます!」
「遠足じゃねーんだぞ……」
「隊長はあんまり黒崎をいじめないように。それと無茶な戦い方をして大怪我しないでくださいよ。もし万が一死んだら……」

 莫迦莫迦しいと思いつつもつらつら小言を連ねざるを得ない。隊長もうんざりした様子だったが言葉は挟まず聴いていた。

「死んだら?」
「泣きます」

「ぶっ」顔を背けて笑ったのは見送りにきていた浮竹隊長と京楽隊長だ。肩が震えている。卯ノ花隊長と朽木隊長もそっと顔を逸らしていた。

「…………」
「そりゃみっともないほど泣きわめいて泣き散らかします」
「…………」
「それが嫌なら生きて帰ってください。大怪我していても泣きます。卯ノ花隊長に治して頂いても無駄ですよ、どの程度の負傷だったか詳細に聴き取りますからね」
「…………」
「聴いているんですか隊長」
「聴こえねぇ。耳の調子が悪りィみてぇだ」
「それは大変だ、今すぐ出撃を取りやめましょう。総隊長!! 更木隊長のお耳の調子が悪いようです!!」
「だあああ解った! 解ったヤメロ!!」
「剣ちゃん相変わらずあとりちゃんに勝てないねー」


翼なき鷲の刃




 そろそろ朽木隊長が「喧しい」と介入してきそうな表情になっていたので、適当なところで十一番隊の茶番は切り上げた。
 浮竹隊長と京楽隊長のコンビがお腹を抱えて悶絶しているのは、多分小娘に丸め込まれる更木隊長が面白いからなのだろう。あたしも実際この人を相手にしてここまで強気になれるとは思わなかった。我ながら図太くなったものである。

「更木隊長」

 まだなにかあるのかと嫌そうな顔を隠しもしない上官に笑みが零れた。

「どうか、御無事で」



 卯ノ花隊長らを虚圏へ送ったあと、浦原店長は間髪入れずに転界結柱の作業に取りかかった。涅隊長らが虚圏へ入った今、十二番隊及び技術開発局の指揮は阿近さんが執り、協力して作業を進めている。
 施術が完了した本物の空座町は流魂街外れで眠りについた。
 空座町防衛戦線の面々よりも一足早く、柱の守護を任された四人が穿界門に集まってくる。彼らの出立の方が先なのだ。

「隊長なんか云ってたか?」
「特には。いつも通りに出発していったよ」

 まさか「死んだら泣く」と脅迫して死ぬほど困らせたとは云えないので――云ったら爆笑して使いものにならなくなる――、一角と弓親にはしらを切っておいた。

「まあ、気をつけてね。死人が出るとしたら防衛戦だし」
「お前イヤなこと云うなよ……」

 げんなりしている十一番隊の席官二人の肩を叩いていると、檜佐木が「澤村来たのか」と声をかけにきた。

「あたし今日一日はもう自由時間だから、朝からずっとお見送りしてるの」
「そうかよ。まァなんだ、お前も無茶すんなよ。すぐ腹に穴開けて『檜佐木副隊長! 澤村三席が瀕死の重態です!』つって俺に伝令飛んでくるんだからよ。もういい加減俺もお前の重傷には慣れたけど」

「イヤな慣れだね」弓親が顔を歪めて含み笑いを零す。檜佐木は肩を竦めて「ほんとだよ」と溜め息をついた。

「嫌な慣れだが、重傷までなら許す。もし万が一死んだら」
「死んだら?」
「泣く」

 げほっ、背後で見送りの浮竹隊長と京楽隊長が噎せる。
 なんか聞いたことのある科白だなと思ったら、つい先刻あたしが更木隊長に向かって云ったものではないか。

「いいな。大の男が、仮にも九番隊の副隊長が、お前の訃報を聞いたら世間に憚らず大泣きして泣き散らかすぞ」
「……檜佐木もしかして朝の聞いてた……?」
「なんのことだ? とにかくいいな。お前が死んだら俺泣くからな! 死ぬなよ!」

 そんな脅しを聞いて若干引いている一角と弓親とは裏腹に、後ろにいる最古参の隊長二人が抱腹絶倒しながら「は……ハラ痛い……」と呻いている。
 そうこうしているうちにイヅルくんもやってきて、現状を見やり「何かあったんですか?」と首を傾げた。

「解った解った……あたしが出撃するかどうかは戦線にかかっているんだから、死なせたくなかったら頑張って」
「それもそうだな」

 虚圏侵攻がある程度進めば、藍染がそこで隊長格を出迎えるか、空座町へ進出して王鍵創生にかかるかが解る。空座町へ出てきた場合は総隊長をはじめとする防衛戦が始まり、そこで決着をつけるのがあくまで作戦のうちだ。
 そのあとのことは最早作戦外。
 瀞霊廷の通常守護は八番隊の伊勢副隊長を中心に各隊から選出された上位席官が務める。流魂街外れの本物の空座町には一応、念のため、保険としてあたしが待機する。

 現世で決着がつけば、あたしの出番はない。
 そしてそうなるように今から彼らが出撃するのだ。

「じゃ、行くわ」
「うん。行ってらっしゃい」

 まるで普段の虚の討伐に向かう後ろ姿を見送るように、穿界門をくぐるみんなの背中を眺める。
 その後に集まった隊長格ら防衛戦最前線の全員が現世へ出立し、鬼道衆が閉門処理をする様子を見届けて、それから十一番隊の隊舎へ向かった。

 自室に戻り、文机の抽斗から小箱を取り出す。
 箱自体は真央霊術院の卒業祝いで檜佐木がくれた贈り物の外箱だった。中には組紐や、香水の空の容器など、お気に入りのあまり棄てられないものが収められている。

 特殊な加工と術式の施された、阿近さんお手製の霊圧制御装置の耳環。傷のついた表面を指先で撫でた。
 長い、長い付き合いだけれど、今日は此れは要らない。

 簪が二本、箱の中で転がる。
 ひとつは黒塗りの二本足の先に扇形の装飾がついた、かつて眞城から貰ったもの。
 もうひとつは漆塗りの一本足、瑪瑙の玉飾りがついた、四番隊時代の誕生日に檜佐木から貰ったもの。

 そのうち眞城から貰った方を懐に収めて小箱の蓋を閉める。もとの場所に戻して自室を出ると、そのまま隊舎を出た。

【十一】と大きく書かれた扉を見上げる。
 最初は恐ろしくて仕方がなかったこの数字も、今ではしっかり心に馴染む。
 目に焼きつけるように少しの間そこに佇んでいると、ややあって草を踏む音が近づいてきた。

「……銀爾くん」

 ゆっくりと歩いてきたのは腹心だった。
 今日一日、彼には十一番隊の指揮と瀞霊廷の守護を任せている。

「散々人を見送っておいて、ご自分は一人で出立するおつもりですか?」

 頼もしい部下は、悪戯っぽく笑った。
 どうやらあたしの見送りのために業務を抜けてきてくれたようだ。有難いような申し訳ないような、くすぐったいような。

「銀爾くん、あたしが戻らなかったら部屋の文机の中にある小箱の中から簪を出して、ルキアに渡しておいてくれる?」
「嫌です。ご自分でどうぞ」
「……銀爾くん……」

 すげなく断る彼に苦笑いしながら小首を傾げると、つんと澄ました銀爾くんはそっぽを向いた。

「死んだあとのことを頼むのはやめてください。生きて帰ったあとのことでしたら、幾らでも、喜んで承りますが」
「上官に向かってそれだけ云えたら十一番隊の三席も務まるわよ。一角が死んだら昇進ね」
「ご冗談を。更木隊長が虚圏にいるんです、あの人のいない現世での戦いで斑目三席が殉死なさるわけがないでしょう? 十一番隊はまだまだ今のままの体制が丁度いいんですよ」

 あたしもずいぶん図太くなったものだとは思うが、図太くなったのはこの子も同じか。
 門の内側で踵を揃える彼に背を向ける。

「澤村三席」

 振り返らなかった。
 それでも銀爾くんが深く、深く頭を下げたのがわかった。


「どうか――御無事で」


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