「…………」
『数は一体、現在レベル4に進化した模様、第五ラボ内のエクソシストの安否は確認できません。繰り返す、アクマレベル4が科学班フロアに侵攻中!!』
「行くわ。神田は一応コムイの護衛に向かってあげてよ」
エクソシストには替えが利く。
探索班も、医療班も、通信班も、科学班でさえ。
いまの教団本部を保つために唯一替えられないのがコムイだ。あれ以外で現在、中央庁と渡り合いながらエクソシストの人間性を護れる人間はいない。あこやにはそれが解っている。
解っているからわざわざ「向かえ」と言ったのだ。
万が一にも有り得る「いざ」を想定して。
──第五ラボ内のエクソシストの安否は確認できません。
「……あこやのヤロウ」
レゾンデートル
懐胎 破
レベル4はその存在理由実行のため、ティエドール元帥の『楽園ノ彫刻』による保護下にいる怪我人を狙った。
赤子の拳ひとつで生み出した凄まじい衝撃波が第五ラボを壊滅させる。咄嗟に最大レベルで発動した『薄氷』で分厚い氷の壁を築き、傍にいた元帥たちと楽園ノ彫刻の一部は庇ったが、防壁の多くは脆くも砕け散った。
「く……っそ、やばいなアレ……」
レベル4が、第五ラボを孤立させていた敵方の方舟ゲートを解除していく。
あの向こうには団員たちがいる。非戦闘員のみんなが、コムイが、リナリーが、ラビが、神田がいる。
アクマに立ち向かえない家族ばっかりだ。
吹っ飛ばされて体中が痛かった。
未知の強さ。
江戸に至るまでの道でかち合ったレベル3よりも、江戸で屠ったアクマの集合体よりもずっと強い。ちょっとさすがに勝てる気がしない。体の上に積み重なる氷塊や瓦礫を除けながら立ち上がると、情けなく震える体を抱きしめた。
──動け。
あっちにはアクマを破壊できない人しかいない。
体中痛いしぼろぼろだけど動けるエクソシストが、ここで恐怖に竦んで何になる。
懼れを振り払うように瓦礫を蹴った。
「あこや……!」
悲鳴のような声が聴こえて振り返ると、レベル4との一対一で指弾を受けて上階へ叩きつけられたアレンが、泣きそうな表情でこちらを見ている。
そうか、上にいたからアレンは助かったのか。その横にはリンク監査官も膝をついている。生存者が少なくとも二人。でももうアレンの体は動かないはずだ。
ピースサインを作って、アレンに向かって笑う。
「おねーちゃんに任せなさい! ちゃちゃっと斃してくるね!」
「あこや、駄目だ一人で……あこや!!」
方舟ゲートによる障壁が解除されたラボの入口を出て、レベル4を追う。夥しい数の死体が通路に倒れていた。
家族の死体を追っていけば、それで辿りつく。泣けるくらい解りやすい……。
コムイの首筋に手を当てたレベル4の後ろ姿を見つけて斬りかかった。
もう一人、戦力が近付いてきているのも視界の端に見えている。ここで彼と合流できるのは心強かった。
レベル4を弾き飛ばしてコムイの前に立ちはだかり、神田と背中合わせに刀を構える。
「ちっ……コムイテメー武器庫もっと充実させとけよ」
「やっほーコムイ生きてる?」
「か、神田くん……あこやちゃん」
新手の出現に一瞬だけ動きを止めたレベル4を、その隙に現場にいた全員が結界装置で包囲した。
何重もの光の隔壁に捕まったアクマが、それでも笑う声が不気味に響く。
元々あれは戦う術を持たない探索部隊が身を護るための装置だ。レベル2までなら攻撃も防げるが、3以上になると動きを止めるので精一杯。何重に包囲したとしてもレベル4をいつまで抑えられたものか。
「あこやちゃん、第五ラボは……!?」
「解らん。床ごと壊された。アレンと監査官は生きてると思う」
レベル4を弾いた一撃で砕けた刀を放り投げ、神田は背負っていたもう一刀を抜く。
「震えてるぜあこや。怖いならすっこんでろ」
「やだな相棒、素っ気ないこと言わないで一緒に遊んでよ……ていうかオイ待てあんたそれお父さんの形見じゃないの」
「悪ィかよ」
「悪かないけど大事に使ってね」
──クスクスクス
──クスクス……
レベル4の笑い声に顔を歪める。
根源的な恐怖を煽るような甲高い周波。先程の攻撃のおかげでずきずきと痛む肋骨に響く。
それでも背中の存在感は頼もしい。
こんな状況でもなければ敗ける気がしないと言いたいところだが、残念ながら戦況は圧倒的にこちらに不利だ。
「下がってろコムイ」
「神田くん、無茶だイノセンスなしで!」
「こいつ一人の方がよほど無茶だ。俺はそうそう死なねぇよ」
「…………」
──どうする。
この時点で動けるエクソシストはわたしだけ。神田は確かにそうそう死なないけど、イノセンスなしでアクマを破壊できるわけではない。神田を追ってチャオジーも走ってきたが、彼にはまだ武器化された対アクマ武器がない。
必然的にこの場の命運がわたしにかかったことになる。
コムイが無線機でヘブラスカと連絡を取っている間、結界装置で確保されたレベル4と睨み合った。
「オイ。いま使えんのは『薄氷』だけだ。盾に使え」
「……やだ」
「あこや」
「神田のそういうとこ嫌い」
「…………」
「蹴らないでよいま体中痛いんだからっ! 絶対絶対、治癒恃みの神田を盾になんてしませんからね」
『──各班班長へ!』
傍らを飛んでいたゴーレムから、後ろに下がったコムイの声がする。
『これより僕の指示に従い各自班員を誘導、方舟三番ゲートからアジア支部へ避難する』
「…………」
レベル4はまだ結界の中でこちらを見ていた。
まるで人間たちの悪あがきを観察するように。
『──この本部から撤退する!』
柄を握る手が震えた。
本部から撤退。生まれ、育った、この家から。
第五ラボのエクソシストや元帥たちの安否が全く判らないいま、全滅だけは回避する必要がある。ヘブラスカの体内に保管されているイノセンスを持って、方舟で繋がっているアジア支部へ退避。現時点で下せるうち最も適切な判断だ。
正しい判断だと、そう思う。
父と母が出会い、眠るこの地から──撤退。
「あこやちゃんも避難だ。エクソシストをこれ以上減らすわけにはいかない!」
「……アクマを前にエクソシストが撤退? 冗談でしょ、死ぬまでここで戦うよ。大体あいつがアジア支部まで侵攻したらそれこそ終わりだし、誰かが足止めしなくちゃ」
「言うこと聞きなさい!!」
声を荒げるコムイから顔を背けて知らんふりする。
黒の教団本部室長として正しい判断を彼がしたように、わたしもエクソシストとして当然の選択をするだけだ。
周囲へ指示を出しながらヘブラスカのもとへ下りる昇降機に乗り込むコムイを追って、神田が柵を乗り越えた。
「コラッ、神田くんも避難でしょ!」
「ヘブラスカのところには俺の六幻もあるんだ、取ってこれませんでしたじゃ洒落にならん。結界もそうもたねぇ、いざってときは俺が盾になる」
「神田先輩が行くならオレも」と追従しようとしたチャオジーを後ろから掴んで止める。
方舟の一件で適合が判明したといっても、武器もなければ戦闘訓練も受けていない装備型。神田じゃあるまいし、チャオジーがレベル4を相手に持ち堪えられるわけがない。
「チャオジーは避難。行っても足手まといにしかならないよ」
「で、でも」
「いいから他のみんなを助けてあげて。──コムイ、神田連れて早く下りて」
唇を噛んだコムイがわたしを見つめる。
神田は溜め息をついていた。
さすがに勝てる気がしない、その思いは変わらない。
一人じゃ多分無理だ。
でも、神田がここにいても多分厳しい。
それでも、力のない探索部隊が死を覚悟して結界装置でアクマの足を止めてくれているのに、エクソシストのわたしが尻尾を巻いて撤退などできるものか。
いまのうちにコムイが無事撤退できれば、少なくとも神田・ラビ・リナリー、チャオジーとクロウリーがエクソシストとして生き残れる。それならわたしがここに残って足掻くべきだ。まだ生きている家族を護るためにできることを、すべきだ。
エクソシストは死ぬまでエクソシスト。
父のように片腕を失っても、マリのように目が見えなくなっても、どんな怪我を負っていても絶望的な戦局でもたった一人でも、その体が動いてイノセンスを扱える限り戦場から逃げることは赦されない。
薄氷を発動して大気の温度を操る。
足元から徐々に氷の範囲を広げていきながら、コムイと神田に笑ってみせた。
「大丈夫。がんばれるから」
「っ……」
振りきるように降下の釦を力強く押したコムイと、最後まで何も言わなかった神田の姿が小さくなっていく。
昇降機が何階層か下ったところで吹き抜け部分に氷の壁を張った。気休めだが、これでレベル4も追いにくくはなるだろう。
結界装置を構えている探索部隊が白い息を吐く。
「ごめんね。寒いけど我慢して」
「なんのこれしき」「頼むよあこや!」がちがち震えながら笑っている探索部隊のみんなを見ていたら、なんだか勇気が湧いてきた。
違うか。勇気じゃないな。
腹を括ったというのが正しい。
降下開始から十を数えた瞬間、結界が割れた。
結界装置を構えていた探索部隊を覆うように氷壁を展開する。結界を振り払ったレベル4の凶手をどれほど防いだか確認する間もなく、昇降機に向けて急降下していく殺戮の赤子に斬りかかった。
一合目、腕で弾かれる。
二合目も蹴られる。斬撃に乗せて飛ばした氷塊は二つ命中。
三合目、四合目と受け流しながら吹き抜けに張った氷壁を一枚突き破り、二枚目も蹴り壊す。破片に飛び移りながら繰り出した氷の龍がレベル4を呑み込んだが、内部からあっさりと破壊された。強度が足りない。
もっと強く、もっと硬く。
舌打ちを零したわたしの背後に気配が移動した。
振り返る間もなく蹴り飛ばされる。氷壁にまともにぶち当たりそうになったから水に戻し、戻したそれを氷の矢にしてアクマへ差し向ける。幾千の氷の矢を喰らったレベル4の動きがさすがに止まったのを見て、効かないわけじゃない、と自分を励ました。
左腕が折れている。
このまま落ちたら降下中の昇降機に叩きつけられそうだったから、気合いを入れて体勢を整えた。
だん、と着地すると衝撃で昇降機が揺れる。コムイが目を丸くして、神田は刀を構えた。
「あこやちゃん!?」
「ごめんくるよ、盾構え!!」
同乗していた探索部隊二人が追ってくるレベル4に向けて盾を構える。わたしの襟首を掴んだ神田がコムイもろとも背に庇った。
盾になどしないと啖呵を切っておきながら──!
歯を食い縛りながら右手に薄氷を握り直し、強度を上げた氷の龍をレベル4へ差し向けた。
衝撃を受けた昇降機が傾く。
コムイの頭を抱きかかえたままヘブラスカの間の床に倒れ込んだ。わたしたちを庇った神田の体がウィルスに侵されて、物凄い勢いで治癒していく。
「神田くんっ……ボクを庇って!?」
「うるさい──騒ぐな」
立ち上がった神田が刀を構える隣に立つと横目に一瞥してきた。
さすがに治癒直後は苦しそうだが、その目に恐れはない。
「まだ動けるな?」
「とりあえず利き手は生きてる」
「コムイ!!──と、ユウにあこや!?」
ラビの声に反応した瞬間、背後にレベル4が姿を現す。
「おいかけっこはおしまいですか、しつちょう」その言葉であれの狙いがコムイであることを察し、駆け寄ってきたラビは神田と背中合わせに武器を構えた。
「下がってていいんだぜ」
「引っ込んでていいのよ」
「またまたお二人さん!」