わたしのイノセンスは父と揃いの刀剣の形に加工してもらった。
 原形のまま首に提げていても発動のイメージが湧かない、そう唇を尖らせたわたしにマリが「なら、先に馴染む形で作って貰えばどうだ?」と微笑んだのだ。加工には技術が必要だが、イノセンスは頑丈な物質なので科学班の手にかかれば何度でもリフォームできる。

 果たしてその試みは功を奏した。

 父との剣術稽古で手によく馴染んだ日本刀型のイノセンスは、これまでの苦労はなんだったのかと思うほどあっさりと武器として発動した。

 対アクマ武器『薄氷』。
 通常の刀剣としてアクマを斬撃で斃すことができるのに加えて、氷を生み出す能力を有する。斬撃に氷を乗せる、範囲を定めて氷結することができる、能力が強大になれば天候を支配することさえ可能かもしれない。
 ただ欠点がある。
 乱発すると辺り一面凍ってめちゃくちゃ寒いし滑る。従って『黒い靴』のリナリーとの相性が実はすこぶる悪い。

 その代わり、凄腕の剣豪であった父を師に仰ぎ剣術の腕を磨いた。
 八歳で初めての任務に出た。あの頃はまだ父や他のエクソシストのサポートといった役割が強かったものの、キャリアだけならかなり長い。

 父カゲマサは凄腕の剣豪であった。
 わたしが九歳の頃、中国での任務で片腕を失ってもなお、エクソシストとして五年間現役で在り続けた。直後にアジア支部の研究所が壊滅した一件で母が亡くなっても、毅然として、生き残ったユウをバクたちとともに保護し、剣の師として戦い方を教えた。
 ちなみにわたしと神田が出会ったのもそのときだ。

 神田がマリとともにアジア支部を逃げ出したあと、わたしと父は本部へ帰還した。
 一年後に本部で神田と再会してからも父は彼の師としてたびたび稽古をつけた。多分神田も父のことは師としてそれなりに(少なくともティエドール元帥に対する態度よりは素直に)慕っていたように思う。

 そんな父が殉職したのは、わたしと神田が十四歳の頃だった。


「あこや」

 珍しく神田がわたしの名を呼んだなと、その日思ったことを憶えている。
 神田とわたしは年若くともすでにお互い五年以上のキャリアを持つエクソシストだったので、この頃は一緒に任務に出されることも増えていた。神田がわたしと父以外のエクソシストとあんまり仲良くなかったことも一因である。

 確か、フランス北部の町に滞在していたときだ。
 イノセンスはなかった。アクマが数体いたので神田とともに殲滅し、報告を終え、本部へ帰ろうかと駅舎で汽車を待っていた。
 帰還の報告をしていた神田が、探索部隊の背負っている無線機からつながる受話器を差し出してきた。

「もしもし……?」
『あこやちゃん。コムイだよ。怪我はないかい?』
「うん、大丈夫だけど。どうしたの」
『うん。……落ち着いて聴いてね』

 その一言がすでに不吉だった。
 聴いたら落ち着いてはいられない報告をいまからするという予告だ。
 無意識に、隣の神田の腕を握っていた。きっと神田はすでにコムイから聞かされていたのだろう、珍しく文句が飛んでこなかった。


『カゲマサさんが亡くなった』


レゾンデートル


きれいなエンディングなど
どこにもないのにね




 地下一階の広大な大聖堂には常に柩が並び、人がいる。
 白い柩、黒い柩、それらに縋りついて泣く人、祈りの言葉を捧げる人。これまで数えきれないほどの家族がこの柩に収められ、本部最下層で火葬され葬られてきた。
 本部へ帰還したわたしを出迎えたコムイとともに、大聖堂に足を踏み入れる。

 あとで本人から聴いて知ったのだけれど、わたしはこのとき、フランスの駅舎で神田の腕を握ったまま一度たりとも放さなかったらしい。汽車に揺られ、本部に帰り、大聖堂に向かって、父の柩に相対して、大聖堂を出るまで、一度も。
 振り払わなかった神田もきっと動揺していたのだろう。

 あのときわたしたちは十四歳で、いまよりもずっと子どもだった。
 いまほど、喪失を受け止めるすべを持たなかった。

 多くの団員が父の柩の周りで涙を流していた。

「任務先のルーマニアで。アクマに包囲され、イノセンスを持った探索部隊を逃がすために一人で戦ったらしい。ほとんどを彼一人で撃退したけど、最後の一体が放った弾丸が探索部隊の方に向いて……」

 コムイがその死に様を教えてくれた。
 父らしい最期だった。

「……イノセンスと仲間を庇って、弾丸を受けた。残された団服と対アクマ武器は回収してくれたから、柩の中には服が収められている。『桜火』はしばらくしたらヘブラスカのもとへ」

 泣き崩れていた団員が、茫然としているわたしと神田を気遣って、柩の蓋を開けてくれた。
 中にはぼろぼろの団服と、そのとき身につけていた衣服と、父が髪をまとめるのに使っていた組紐が丁寧に収められている。一体のアクマが残って活動する中、きっと必死にイノセンスを守りながら父の遺品を拾い集めて、ここまで帰ってきてくれたのだろう。

「ぁ……」

 空気が喉の奥から洩れる。
 コムイが深々と頭を下げた。

「立派な最期だった。──カゲマサさんらしい、立派な……」

 団服に手を伸ばして触れる。
 わたしは父の最期に立ち会うことさえできなかった。
 遺体すら残らない──これがわたしたちの戦争だった。

 教団で戦う家族の訃報を受け、遺品を手にすることができるわたしはましな方だ。通常、団員の遺体は教団で火葬され、その死が遺族に知らされることはない。
 その死を悼んだ遺族に伯爵が目をつけないとは限らないからだ。
 もしもそうなれば、わたしたちはアクマとなった仲間の魂を破壊しなければならない。

 なにも言えずに団服に触れるわたしを、黙って傍にいた神田が乱暴な手つきで抱き寄せる。こときれた人形のようにその腕の中で放心していたわたしは、神田の拍動を聴いてようやく思い知った。

 父は死んだ。
 神は父に慈悲を齎さなかった。

「神とは、人を救う存在ではなかったのだろうか……」

 神田が片手で抱きしめてくれていたのをいいことに、その肩に縋りついて泣いた。そうでもしなければ、肺腑の底から湧き上がった衝動的な悲しみに耐えられなかった。



 それでも戦争は終わらない。
 神はまだ我々人間を救わない。

 コムイの采配でわたしの任務の多くは神田と組まされるようになった。情緒不安定になったわたしが突然泣き出したとき、対応できるのが神田かマリくらいだったのだ。
 任務で宿泊するときは絶対に神田と同じ部屋に泊まった。本部に帰還してたまに夜眠れないとき、神田の部屋の扉を叩くこともあった。彼はそういうとき、大体黙ってドアを開けてくれた。

 父の死から三ヶ月ほど経った頃のことだったと思う。
 神田との任務を終えて本部に戻った夜だ。

 父の死後、神田はまた無茶な戦い方をするようになっていた。
「攻撃を真正面から受けて特攻することは獣にもできる」「一流の剣士は相手の攻撃を受けずに勝利する」入団当初、高い治癒能力を恃み自らを進んで壊すような戦いをしていた神田に、父が辛抱強く教えたことだ。その甲斐あって一時期神田の負傷はぐっと減っていたのだが、近頃は婦長が真っ蒼になるような怪我を負うこともある。

 それは大抵わたしとの任務で負った怪我だった。
 わたしが足手まといになっているのか、神田が自暴自棄になっているのか、大人たちには判断がつかなかったらしい。
 でも多分、両方だ。

 怪我の治療を受けて自室に戻り、日付が変わっても目が冴えたままだったので、溜め息をついてベッドを出た。神田の部屋は同じ階にある。
 扉を叩くと、しばらくしてから仏頂面の神田が無言で顔を出した。
 基本的に口以上に目でものを語る少年なので、彼は「またかよテメエ」みたいな目でわたしを見たあと、なにも言わずに寝台に横になる。その足元に腰を下ろして、膝を抱えて、任務で疲れた体が気絶に等しい睡眠をとるのを待った。

 それでも眠れなくて、瞼を押し上げて小さく溜め息をつくと、舌打ちを零した神田が起き上がってわたしの手を握る。
 部屋を出た神田は無言のまま廊下を突き進んだ。

「神田?」
「…………」
「どこ行くの、神田」

 ゆっくりと歩いて、昇降機でなく階段を使う。医療班フロア、大浴場、三階層に渡る修錬場と順番に、時間をかけて下っていく。
 低い位置で結ばれた神田の黒い髪に、父を思い出す。

 食堂までやってきたところで神田は注文口に顔を出した。
 科学班や任務帰りの団員のため、夜の間は一人か二人が夜番で詰めている。今日の担当はジェリーだったらしい。

「アラ、どうしたの二人とも、こんな時間に」
「牛乳あっためたやつ」
「ホットミルクのこと? 眠れないの?」
「こいつがな」

 顎をしゃくってみせた神田からわたしに視線を移すと、ジェリーはちょっとだけ微笑んだ。

「ちょっと待っててね。お砂糖とはちみつとどっちがいいかしらん」
「どっちでもいい」
「あこや、眠れないの?」
「ここ最近はずっとだ」

 わたしへの質問になぜか神田が答えていくが、ジェリーは気にしない。
 ふんふんと鼻唄を歌いながらミルクを温めて、マグカップに注いだそれを「はいどうぞ」と手渡してくれた。

「もう遅いしマグは明日でいいわよ」
「ああ」

 ホットミルクを手に持つわたしを引っ張って、神田はまた階段を下る。
 今度はどこに行くんだろうと思いながらついていくと、大聖堂を見下ろす回廊までやってきた。さすがにこの時間になると人はいない。地下の通信班や科学班のフロアにはみんないるだろうけど、夜の大聖堂には用事がないからだ。
 適当な位置で腰を下ろした神田の横に座る。
 大聖堂を見下ろしながら、ホットミルクを一口飲んだ。

「……ごめんね神田」
「あ?」
「最近ずっとわたしと組まされて大変でしょ」
「……別に」

 ぶっきら棒に返事しながらそっぽを向いた神田を、ちらっと見上げてもう一口。

「お父さん死んじゃったね」
「…………」
「お母さんが死んだときも……すごく悲しかった。こんなのきっと、普通の人なら耐えられないよ。アクマが生まれる理由がよく解る」
「…………」
「わたしもユウがいなかったら多分だめだった」
「……ファーストネーム呼ぶな」
「ごめん」

 小さく謝りながらもう一口。

 神田の下の名前を呼んでいいのは、もういないあの子だけ。
 母さんを殺したあの子だけだ。

「……ごめんね神田」
「うるせェ」
「なんか神田がわかりやすく優しくて気味悪い……」
「ブン殴るぞテメエ」
「ふふ……」

 手から力が抜ける。滑り落ちそうになったマグカップを難なく受け止めて、神田がわたしを見下ろした。

「あ、ごめ……」
「とっとと寝ろ」
「うー……」

 神田の言う通りだった。さっきから急激な眠気が訪れて瞼を開けていられない。
 教団内を歩いてちょっと疲れたからか、ホットミルクを飲んだからか、神田が下らないわたしの語りを聴いてくれたからか。こてりと彼の肩に身を寄せて、諦めて眼を閉じた。



「寝ちゃったかな?」

 白々しく訊ねながら近づいてきたのはコムイだった。ジェリーの作った睡眠導入剤入りホットミルクで、ものの見事に寝入ったあこやの顔を見つめて、まるで自分が怪我をしているかのような笑みを浮かべる。
 コムイに向かってまだ中身の入っているマグカップを突き出すと、なにも言わずに受け取った。

「神田くん」

 あこやの体を抱きかかえる。
 重かったら背負おうと思っていたが、大した重さではなさそうなので横抱きにした。子どもの頃から日本刀を扱っている体には、戦うために磨かれたしなやかな筋肉がついている。身長に応じたそれなりの体重のはずだが意外と軽い。

 白々しいまでの軽さ。
 あこやの怪我は簡単には治らない。
 アクマの弾丸を受ければ一発で砕けてしまう脆弱な人間だ。カゲマサのように、遺体も残らない。

「あこやちゃんのためにも、ちゃんと体を大事に戦ってね」
「…………」
「この子の目の前であんまり怪我しちゃだめだよ。あこやちゃんが眠れないのって、任務で神田くんが負傷したあとでしょ」
「……うるせえ」

 コムイの横をすり抜ける。
 そんなことは言われなくともとっくに気づいていた。例えあこや本人がそのことに気づいていなくとも。
 この男よりもよほどあこやとの付き合いは長い。

「おやすみ」

 返事はしなかった。
 ただあこやの体を抱く手の力だけ強くした。

 畜生、カゲマサ。
 ……あこやだけ残して、勝ち逃げしやがって。


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