ラナクス学園


 シャルルはディケンズ先生のあとを、トランクを引きずりながらついていった。建物は重厚な作りで、アルカンナの学校とは比べ物にならないくらい広く大きい。迷ってしまわないだろうかと思いながら、前を歩く先生の背中を見た。生徒がいる気配がない。先生と自分だけが今この建物にいるのだと思うと石の壁が怖く感じた。まさか全然生徒がいない、なんてことはないだろうけれど、知らない場所があまりに静かで不気味だ。
「広いだろう。でも、すぐに慣れる」
 シャルルの気持ちを察したように、ディケンズ先生は前を向いたまま話した。
「入学式は明日だが、進級式は今日でね。子供たちが帰ってくる夕方までに、転入の手続きを済ませてしまわないといけないんだ。私としては、ぜひうちの寮に来てもらいたいんだが、試験をしてみない限りには、わからないからね……」
「試験があるんですか?」
 ずり落ちてきたリュックを担ぎ直した。寮に入らないといけないことは聞いていたが、試験があるなどシャルルは初耳だった。
「試験といってもテストなんかをするわけじゃなくて、どこが向いているかを調べるものだ。ちょっとした質問に答えてもらって、能力を見せてもらって終わり。心配しなくても、これが評価につながるわけではないよ」
 廊下をずっと歩いていると、階段の手前でようやくディケンズ先生が立ち止まった。何の変哲もない扉には、天文学準備室と書かれていた。
「私が使える場所って言うとここくらいでね。狭くてすまないがひとまずトランクとリュックを置いてくれるかな」
 部屋には、入り口のすぐそばに先日島から送ったシャルルの荷物が積まれていて、奥にはみたこともない道具が棚や机に並べられていた。中には、勝手に動いているようなものや、一定のリズムで音を鳴らしているものもある。
「ここに置いていいですか?」
 不思議な道具に気がとられたが、すでに積まれている自分の荷物の横をさして尋ねた。ディケンズ先生は頷くと腕時計を確認した。重たいトランクとリュックから解放されて身軽になったシャルルは、急いでいるんだったと思い出して部屋を出る。ディケンズ先生がドアを閉めると、勝手に鍵がかかる音がした。
「では、試験場にいこう。ラナクスの話はレイモンドから聞いたことはあるかな?」
 再び歩き始めながらディケンズ先生はシャルルに話しかける。シャルルはゆるく首を振った。
 シャルルの父、レイモンドは王国本土の出身で、ラナクス学園の卒業生だった。それだけしか知らない。シャルルが五歳になるときまではアルカンナの病院で勤めていたが、それ以降は本土に戻り研究院で働いていた。会える時は年に三回の短い休暇の間だけだった。そして、二年前から軍部に招集され、海軍専属医として働いていたのだ。
「そうか。忙しくしていたからあまり話せる時がなかったんだろう。レイモンドのことは……本当に残念に思う。とても良い後輩だったから、話を聞いて驚いたよ」
「そういってくれると、きっと父さんも喜びます」
 最後に見た花に囲まれた父の顔を思い出して、シャルルは俯いた。父はアルカンナの教会の裏に横たわっている。シャルルの様子を見てとると、ディケンズ先生は明るい話題へ変えようとした。
「学生時代からとても優秀な人だったよ。私と寮は違っていたが、まあ色々あって仲良くなってね。もし興味があれば、レイモンドの学生時代の話をしてあげよう」
「ぜひ、お願いします」
 微笑んで答えるシャルルの声は少し弱々しいものだった。

 中庭を通り抜けて階段を登り、二階の廊下をずっと進んでいった突き当たりに、大きな両開きの扉がある。その前でディケンズ先生と同じような服装の人物と、シフォンのブラウスと長いスカートを身につけた人物がシャルルたちを待っていた。
「お待たせしました」
 ディケンズ先生は片手を上げて、二人に声をかける。シャルルを見て、スカートの人物は人の良さそうな笑みを浮かべた。器用に結んでまとめられた髪が、母と同じような赤みがかかった色で、シャルルはどことなく親近感を覚えた。
「お待たせ、と言うほどではないですよ。ね、ジュネット先生」
「ああ。まだちょっと時間があります。そろそろ準備ができると思いますが。……君が転入生?」
 ジュネット先生と呼ばれた人はウェーブした長い髪を耳にかけると、シャルルに向かって微笑んだ。長い髪や細い体格に一見女性のように感じたが、シャルルに差し出された角張った手がそうではないような印象を与える。
「はい、シャルル・リーヴスです」
「私はジュネット。歴史学などを教えている。こちらはベルトット先生」
 ジュネット先生はひんやりとした手を離すと、そのまま隣の女性をさして紹介した。ベルトット先生も同じように握手を求めた。薄い紫色の手袋をはめていて、手首にはアメジストのような石がついたブレスレットをしていた。
「よろしく、リーヴス。私は今日はジュネット先生の助手です」
「よろしくお願いします」
 優しそうな雰囲気の先生ばかりで、シャルルはかなり安心した。怖い先生がいたらどうしようかと、転校が決まった時からずっと悩んでいたのだ。
「緊張しているね?」
 ジュネット先生が固まっているシャルルに声を掛ける。その通りで、試験は大したことがないと言われても、どんなことをするのかが全くわからないのだ。失敗しないだろうか、入学させられないと言われないだろうか、というようなことを思っていた。
「はい……」
「一応説明はしたんだが」
 消え入りそうなシャルルの返事に、頬を掻いてディケンズ先生が弁明するが、ベルトット先生に笑われる。
「ディケンズ先生は言葉足らずな時がありますからね。不安になるのも仕方ないですよ」
 ジュネット先生はそれに数度頷くと、シャルルの目線に合わせて屈んだ。
「大丈夫。君が不安に思うようなことは何も起こらないからね。今からやることは」
 そう言いかけたところでジュネット先生の背後の扉が勢いよく開いて、彼の腰にぶつかって鈍い音を立てた。ぐ、と唸るような声を出したジュネット先生は、出てきた人の肩を咎めるように叩いた。他の二人の先生が笑いを堪えているのがわかった。
「おっと、居たのか。すまん」
「わかってただろうに。……まあいい。準備できたんですね?」
 ジュネット先生は呆れているようだが、扉から出てきた人物は気にした様子もなさそうに、彼に鍵を預ける。小さく縮こまっているシャルルを見ると、にかっと大きな笑みを見せた。
「おう。今から正門へ行くから、終わったら鍵しておいてくれ。転入生、頑張れよぉ」
 彼はそう言い残して階下へと向かっていった。
「気を取り直して、はじめようかね」
 ディケンズ先生の声に、大きな扉の向こうへ進んだ。

 長机や椅子が、一組だけ残して部屋の端によけられている。中央に置かれた机には、平たい大きな皿のようなものと、紙とペンが置かれている。ジュネット先生とベルトット先生がその机の前に動くと、ジュネット先生はどこからかディケンズ先生と同じようなステッキを取り出した。よく見ると色も装飾も違うようだ。
 ディケンズ先生は単にシャルルの付き添いなようで、その辺りの椅子に腰掛けて休んでいる。ジュネット先生は大きな皿に透明な液体を注いで、ステッキをかざして何やら呟いている。
「ここに座って」
 ベルトット先生がシャルルに声を掛ける。おずおずと椅子を引くと、まず目の前に何か色々と書かれている紙と、それに書くためのペンを渡された。
「本当は入学前に書いてもらうんだけど、君は転入だから訳が違ってくるの。そこに名前と、あ、ちゃんと全部正しく書いてちょうだいね? 名前と、住所と、あとはその下の質問に色々答えていって、当てはまるものに丸をつけて、わからなかったら飛ばしてね」
「はい、わかりました」
 本当に大したことない内容で、シャルルは気が抜けようだった。質問は二十個ほど並んでいて、そのどれもがリリとよく遊びでやっていた性格診断によく似ていた。例えば、十番目の質問はこうだ。
「もしあなたの大切な持ち物がなくなったら、どうしますか? @出てくるまで自力で探す。A少し探して出てこなかったら諦める。B誰かに頼んで一緒に探してもらう。C同じようなものを買う。Dそのほか(記入すること)」
 この質問には三番に丸をして、難なく最後まで終えた。途中、よくわからない言葉もあったが、言われたように空欄にした。
「終わりました」
 シャルルがペンを置いて顔をあげると、二人の先生はそれぞれの準備を終えて見守っていたようだ。ジュネット先生が微笑んでシャルルが記入した紙を手に取る。一通り目を通すと、ベルトット先生に渡した。
「しっかり考えていたね」
「はい。難しい質問もあって……」
「よく考えることは、とてもいいことだよ。さっき書いてくれてもので寮を決めるんだ。ベルトット先生が後で教えてくれる」
 ベルトット先生は教段の上にいて、置かれた書類の山の後ろから顔を覗かせて微笑んだ。
「うちは三寮制なのは知ってる? リブラール、クラシセント、ステルクスで、この質問に答えてもらって決まる。普段の生活も授業もその寮の仲間と過ごしてもらうからね」
 どうやって割り出すんだろうかと気になったが、ジュネット先生がコンと皿を叩いた音に引き戻される。
「さて、次は君の能力を測るんだけど、今の魔力階級はいくつかな?」
「Bです」
 シャルルは去年やったテストを思い出して答えた。確か、リリよりも少し高かったような気がする。
「よろしい。能力の種類は?」
「わからないです」
「四種類あるのは知っているかな?」
 その質問には頷くことができた。王国本土の出身の父から教わったのだ。癒しのサナティオ、身体能力のフォルツォ、天と自然のシエロ、そして、いくつかの力を持つ始まりのミデン。それぞれ得意な分野が違うから、職業も違っていると聞いた。医者だったシャルルの父はサナティオだと言っていた。シエロとミデンはとても少なくなってきていると言っていたことも思い出した。
「能力がわかれば、自分の力を最大限に高めることができるし、上手く使うことでいろんなことに役立たせられる」
 興味深そうにシャルルの様子を見ていたディケンズ先生が説明してくれた。
「大抵が親と同じような能力になるけど、まれにそうではないこともある。こういった特例は先祖の力が隔世遺伝すると言うようなことで、難しいことだから今は説明は省こう。さあ、ここに手を伸ばして」
 父さんと同じ能力だったらいいな、と思いながら言われるままに右手を伸ばす。ジュネット先生が掲げた黒いステッキの上部には、植物の蔦が絡み付いているような銀の装飾がされていて、ディケンズ先生のものよりも豪華な印象を与える。
「手のひらを上に……そう。ちょっと痛いかもしれないけど、すぐに治る」
 痛いのは嫌だと引っ込めそうになる手をジュネット先生に抑えられ、手のひらに銀の葉っぱが触れると、火傷をしたような一瞬の痛みが走る。思わず目をぎゅっと閉じてしまう。そろりと目を開けると、今度は手を裏返されて、皿に並々と注がれた透明な液体に付けられた。ジュネット先生に手首を掴まれたままじっとしていると、冷たい液体に沁みような痛みは引いて、皿を満たす液体は薄い緑に色を変えた。
 それを確認するとジュネット先生は手を離し、ポケットからハンカチを取り出す。
「乱暴してすまなかった。これで終わりだ。手を拭いて……まだ痛むかな?」
 涙目になっている様子に、心配した様子で聞いてくる。シャルルはハンカチを受け取って右手を拭った。色がついてしまわないかと思ったが、杞憂だった。
「ありがとうございます。ちょっと痛いのが苦手で……今は大丈夫です」
「そう、よく頑張ったね。リーヴス、君の能力はシエロだ。そして、濁りのない色だから星読の力が強いだろう」
 ジュネット先生は安心したように微笑むと、作業を終えたらしいベルトット先生も再び机の前にやってきた。その手には、これもまた緑色のネクタイがあった。



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