組分け


 ネクタイには星の模様とSを象った紋章が刺繍されてある。受け取ってじっと見ていると、ジュネット先生が声を掛けた。
「シエロにふさわしい寮だね。ステルクス、ディケンズ先生の寮だ」
「私の希望が叶ったか! 急いで寮棟に荷物を運ばせよう。では後ほど!」
 嬉しそうに部屋を出ていくディケンズ教授を見て、シャルルもほっとした。
「寮って、能力も関係してるんですか?」
 緑色のネクタイと液体を交互に見て、気になったことを聞いてみた。ベルトット先生が今度はカゴを持ってきてテーブルの上に置いた。教科書らしき本や道具がいくつか入っている。
「ジュネット先生がそう言うだけよ。組分けに能力はあまり関係しない」
「私は能力と性格が相互に影響し合う説が有力だと思っているんだけどな……」
 苦笑いを浮かべたジュネット先生は椅子を引っ張ってきて、シャルルに向かい合うように座った。
「そんなことは置いといて、進級式の前に軽く学園のことを説明しておこうか。ベルトット先生、入学説明書ありましたっけ?」
「ええ、ファン先生が用意してくれていましたよ。こちらに」
 カゴの一番上に置かれた薄いパンフレットをシャルルの前に置いた。
「ありがとう。詳しくは自分で読んでおいてくれるといいんだけど、気になっているだろうから寮と能力の話だけ先にしておくね」
 ジュネット先生はパラパラとめくっていき、三色に分けられた見開きの「寮紹介」のページで止まった。
「三つの寮はそれぞれの色が決められている。リブラールは赤、クラシセントは青、そしてリーヴスが入ることになるステルクスは緑。それぞれに寮監督の先生がついている。さっきの様子でもわかると思うけど、ステルクスの寮監はディケンズ先生だ。授業以外の生活の相談は基本的に寮監の先生にするようになっている。寮棟は校舎から離れたところにある。色分けされているし、場所も違っているから間違うことはない。それに、幸運なことにここから緑寮はすぐだね。あと、寮について何かあったっけ?」
 そう確認を求めると、隣にいたベルトット先生は、大切なことを忘れてますよ、と付け足す。
「寮は基本的に二人部屋なの。ルームメイトがいるから仲良くしてね。六年生で監督生に選ばれると一人部屋をもらえるようになってるから、頑張ってみるのもありね」
「うん。監督生はいわば寮の代表生徒だから、いつでも頼るといい。彼らはバッジをつけているし、君のところは帽子をかぶっているからすぐにわかるよ」
 パンフレットに載っている星空の写真を見つめたままシャルルは頷いた。どうやらステルクス寮棟の屋上には天文台があるようだ。どんな人たちがいるのだろうと、わくわくすると同時に、やはり緊張も同じだけあった。
 ジュネット先生はまたページをくって説明を続ける。さまざまな教室で授業を受けている生徒たちが写真に収められていた。
「普段の授業は学年別で他寮の生徒とも受けることになる。能力別のクラスは縦割りもある。このカゴの中に、今週一週間の時間割と一年間のスケジュールを書いたものを入れてあるから、授業が始まるまでにしっかり確認しておくこと。一週間後に選択授業を確定してもらうので、同封した紙に記入して寮監に提出しなさい。授業に必要なものも書いてある。……そんなところか」
 ベルトット先生は頷いて、壁にかかっている時計を確認した。ここにきてかなり時間が経ったような気がしたが、まだ着いてから先生にしか見ていない。他の生徒たちとはいつ会うのだろうとシャルルはぼんやりと思った。
「大丈夫だと思います。あとで寮に行くときに、忘れずこのカゴを持っていってね。たくさん言ったけど同じことを毎年してるから、分からなくなったらルームメイトに聞けばいいよ」
「はい。ありがとうございます」
「質問はあるかな? 能力については君が気になるものを教えよう」
 何せ膨大な量を話す羽目になるからね、と小声で付け足してジュネット先生は笑う。この学園の先生はどの人も、生徒に対してこんなふうに優しいのかな、とまた少し緊張が解けるような気がした。
「じゃあ、えっと、星読って何ですか」
 シャルルは先程聞いた耳慣れない単語を口にした。
「君の能力だね。シエロの代表的で重要な能力だ。授業でディケンズ先生が解説してくれるとは思うけど、簡単にいうと、天文学と占星術を合わせたようなものだ。わかりにくくて申し訳ないけど、こればかりはやってみないとわからないと思う」
 難しげな表情を浮かべたジュネット先生にお礼を言って、他に何か聞けそうなことはあるかと考える。一気にいろんなことを言われたから、気になったけれど覚えていないものもあって困った。
「ちなみに、ジュネット先生もシエロを持ってるよ。私はサナティオ」
 口籠るシャルルを見てベルトット先生が助け舟を出してくれた。
「そうなんですか?」
「私はサナティオとの混合で、つまりミデンというわけだけど、星読はできない」
「星読以外にも、その……できることがあるんですか?」
「自然のエネルギーを操ることに長けている人も多い。例えば、ディケンズ先生は水を操ることができるし、私は植物に縁があるね」
 島から移動してくるときにディケンズ先生が噴水から大きな波を作っていたことを思い出した。自分にもそんな能力があるのだろうか、とシャルルは自分の右手を少し握った。
「……ベルトット先生はどんな能力なんですか?」
「サナティオは細かく分けるとたくさんの種類があるの。お医者さんのように人を癒す力があったり、芸術作品を作って人を楽しませたりね。私は声に魔力を宿らせることができるから、言ったことを再現できる。もちろん、できないこともあるし、無闇にはしないけど」
「ちょっとやってみせたらいいんじゃないですか?」
 ジュネット先生がそういうと、目を瞬かせたベルトット先生が悪戯っぽく笑う。
「あら、じゃあ実験台になってくれます?」
「……仕方ない」
 肩をすくめたジュネット先生に、ベルトット先生がさっきとは違う声色で「髪をまとめなさい」と言った。すると、どこからかリボンが現れて長いジュネット先生の髪を後ろで一つに結んだ。
「私の髪が気に入らなかったのか」
 少し不満げにジュネット先生が呟いたが、シャルルは鮮やかに魔力が使われるのをみて感動していた。これまでずっと、魔法の道具のためだけに魔力を使うのだと思っていた。アルカンナではこんなふうに使っている大人を見たことがなかったから。すごい。こんな風に魔力が使えたらきっと母さんもまた笑ってくれる。
 先程まで不安でかげっていた顔が明るくなったことに二人とも微笑んだ。
「能力は学ぶことで洗練されていくから、リーヴスも自分自身の力を大切にしてね。それに、ここの生徒たちは、どの子もみんな素敵な能力を持っているのよ」
「フォルツォにも様々な得意分野の人がいるから、これから知っていくといい」
 ジュネット先生がそう言うと、ドアをノックする音が聞こえた。ディケンズ先生がまた戻ってきたのだ。
「リーヴス、一度寮に行きますよ。制服に着替えないといけないから」
 シャルルは立ち上がってカゴを持つと、二人の先生に頭を下げる。
「ジュネット先生、ベルトット先生、ありがとうございました」
「また進級式で会いましょうね」
 ベルトット先生が微笑むと、ジュネット先生もリボンを解いた手を振ってシャルルたちを見送った。

 ディケンズ先生に案内されてついた建物は話に聞いたように緑色の屋根で、壁にはネクタイに書かれた紋章と同じものが掲げられていた。
「君が来てくれて本当によかった。緑はここ数年かなり人数が少なくなっているんだ」
 寮の扉を開きながら、先生は嬉しそうに言った。
「僕の他にもいますか?」
「もちろん。三年生は君を含めて四人だが……」
 そんなに少ないのか、と寮棟の廊下を見渡しながら驚いた。その数少ない生徒はまだいないようだ。
「心配しなくても、しばらくすると来るはずだ。君の部屋に行こう。二階だ」
 一階と同じような作りになっているようで、階段から二番目の部屋の前で立ち止まる。先生は小さな緑色の星型のチャームを取り出した。
「これが寮の入口と部屋の鍵になっているから、無くさないように。身につけていると勝手にドアが開く。チェーンを通してネックレスにする生徒もいるし、ピンで服に留めているのもあるな」
「わかりました」
 ネックレスにしておいた方が心配ないな、と思いながら返事をした。
「万一無くせば罰則がある。とはいっても寮の掃除なんかの雑用だ」
 厳しくなくてよかった、と安堵してシャルルは頷いた。
 ドアにはプレートがかかっていて、シャルルの名前と別に「グレイ」という名前が書かれていた。ルームメイトのことだろう。部屋にはすでに先程の荷物が運ばれていて、ベッドのうえに真新しい制服が置かれていた。右側の壁沿いに同じようにベッドが置かれているので、恐らくそちらがルームメイトのもの。
「机とベッドは左側のものを使ってくれ。進級式の時はマントまできちんと着用すること。そのネクタイも締めてくるように」
 持っているものを指さされ頷いた。カゴを左側の机に置いて、載せていたネクタイを制服と一緒に置いた。
「わかりました。あの、先生が荷物を全部運んでくれたんですよね。ありがとうございました」
「いや、事務員の方に手伝ってもらったんだが、礼は私の方から伝えておこう」
「はい、ありがとうございます」
「じきにルームメイトが来るから、寮生全員で監督生に従って大広間に集まってくれ。では改めて、これから期待しているよ、リーヴス」
 ディケンズ先生が去ってから、シャルルはまず用意されていた制服に着替えることにした。ジャケットは黒で、襟の部分に緑色のラインが入っている。マントは着方が分からないため、ルームメイトに聞いてみようとベッドの隅に寄せた。ころんと星形のブローチが転がった。服の間に隠れていたようだ。これで止めるのだろうか。なんにせよ後回しだ。
 白シャツに緑色のネクタイを締め、同じ色のジャケットとトラウザーに身を包むと、どこか気が引き締まるような気がした。測っていないはずだが、仕立てたようにシャルルの身体に丁度の大きさだ。
 服を畳んでいると、外から人の声がいくつかしてきた。生徒が来たのだ。シャルルは緊張から居心地の悪さを感じて、カゴの中身の本を整理し始めた。いじめっ子だったら、大人しすぎる人だったら、よく怒る人だったら、離島出身の自分を嫌がったら、話せなかったら、仲良くなれなかったら、どうしよう。いくつかの足音が階段を上がってくる。二人分通り過ぎて、シャルルの部屋の前で一人分が止まった。ドアが三度叩かれて、シャルルの心臓も三度跳ねる。怯えた「はい」という返事を聞いてからドアが開いた。
「やあ」
 微笑んだ薄い唇。さらりと黒髪が青い目にかかる。几帳面に切りそろえられ、額の中央で左右に分けられている。スーツケースを引きずって部屋に入った少年は、シャルルより少し上背があるようだ。同じ制服を身につけていて、手にマントがある。
「君がリーヴス?」
 彼は荷物を置きながら尋ねた。シャルルは頷いて名乗る。
「うん。シャルル・リーヴス」
「シャルル、でいいかい? 僕はヴィンセント・グレイ。ヴィンスって呼んで」
 涼しげな笑みのまま手を差し伸ばす。シャルルは握手をして安堵した。心配しすぎで終わった、と。
「よろしく、ヴィンス」
「よろしく」
 ヴィンスはマントを椅子の背にかけると、一休みするようにベッドに腰を下ろした。
「今日来たのか?」
「うん、昼頃に」
「なら疲れてるだろ。座って話そう。寮長が呼びに来るまで、ちょっとは時間があるから」
「ありがとう。そういえば、なんで僕の名前分かったの?」
 シャルルも同じようにベッドの縁に腰掛けた。思いのほかふかふかで、寝心地は良いだろう。
「転校生と同室っていうことはさっきディケンズ先生から聞いたから。アルカンナ出身なんだっけ? オレンジと花が有名なとこ」
「そう! よく知ってるね」
 嬉しそうにシャルルが言うと、ヴィンスは少し照れてはにかんだ。
「そういうのが得意なだけだよ。じゃあ、あんまりこっちのこと分からない?」
「本土のことは全然……。自分の能力も今日初めて知ったんだ。ここの人はみんな調べてるんだよね」
「うん。能力調査は一歳になったらすぐやるんだ。分からないことあったらなんでも聞いてくれ。僕が答えられるものなら教えるから」
「ほんと? ありがとう」
「マント着用ぉーーう!」
 突然の叫び声に驚いたシャルルは、子猫のようにベッドの上で飛び跳ねた。シャルルとヴィンス、お互いの自己紹介が一区切りするのを見計らったかのように、上階から声が聞こえてきたのだ。
「寮前集合ーー!! 急いでも走るなあー!!」
 腹の底から出したような良く通る声で、周囲の部屋からドタバタと慌てる足音が聞こえた。呆れたように笑うヴィンスは肩をすくめた。
「寮長だよ。びっくりするだろ?」
「なんか、すごいね」
 シャルルはヴィンスに教えてもらいマントを羽織った。黒のマントは奇妙な形だ。肩に引っ掛けるようにして、緑のラインが入っている三角になった部分を胸のところで合わせ、同じ色の手のひら大のバッジで留める。魔力の込められたバッジのようで、マントがずり落ちたりしないようになっている。
 鍵はひとまずジャケットの内ポケットにいれて、シャルルはヴィンスと共に部屋を出る。
「式典の時は着ないといけないんだ。冬はとても寒いからみんな普段も防寒に着てる」
「雪降るの?」
「積もるくらいね」
 階段を降りながらそんな話をした。ここからずっと南の温暖な島で育ってきたシャルルにとって、雪とは写真などで見るものだったから、どんなに寒いのか想像もつかない。
 途中追い越して走っていく生徒がちらりとシャルルを一瞥した。短い髪の下、目にはきらきらと光を反射するイエローのアイシャドウ。知らないやつが居る、という視線が刺さる。
「アディーブ、階段を走るなよ。危ない」
 その後ろ姿にヴィンスが声をかける。
「クロエに見られてないからだいじょーぶー!」
「見えてるわ」
 入口の脇に立っていた平たい帽子を被った人が腕組みをして、走ってきた少女を睨む。不思議な形の帽子と制服のマントを纏った姿には、小さな頃にサーカスで見たピエロのような、絵本に出てくる遠い国の魔術師のような雰囲気があった。黒い髪は清々しいくらいに、ばさばさと眉のあたりで切られていて、切長の目がより強く見える。この人が監督生なんだろう。
「げ」
「げ、じゃない。走るなっつったろ。スカートのポケットの中に入ってるもの出しとけよ。着こなし悪いってベルトットに没収されるぞ」
「はーい」
 ポケットから化粧品をいくらか出して、ジャケットの方へと移すと、彼女は外へ出ていった。
 シャルルたちも寮を出ると、寮長は施錠を確認して生徒をざっと見回した。何人かはもう校舎へ歩いているようだ。夕暮れにオレンジ色に染まっている辺りは、楽しげなざわめきが響いている。
「グレイと転入生で最後だな」
 そう言うと、寮前に出ていた生徒たちに向かってまた叫ぶ。
「大広間に移動ーう! ……マントに手間取っただろ?」
 くるり、とシャルルに顔を向ける。びっくりしてシャルルは裏返った声で、はい、と返事をした。集団の後ろの方を歩いていきながら、帽子の寮長が話し始める。厳しそうな印象を持っていたが、存外に親しげな口調だった。
「俺は黒江秋。クロエは名字でシュウは名前。みんなクロエって呼んでる。日本出身でこの寮の六年監督生。よろしくな」
「よろしくお願いします。シャルル・リーヴスです」
 日本、とは聞いたことがあるが、「外側にある国」のことだろうか、と考えながらシャルルは微笑む。それに笑い返したクロエは小さな袋を二つ取り出した。
「リーヴスに歓迎のプレゼント、っても地元によくあるせんべいだけど。グレイにも、はい」
「ありがとうございます」
 丸いクッキーのようなものを受け取って、シャルルとヴィンスは礼を言った。後で食べようとシャルルはポケットにしまう。
「君もシエロだって寮監から聞いたよ。変な試験させられた?」
「あ、はい」
 火傷の痛みを思い出して手のひらをちょっと見る。傷跡というか、虫刺されのように小さく赤くなっている。
「特別生だから、クロエもこっちに来てから能力調査したんですよね?」
 ヴィンスが言う「特別生」に首を傾げるシャルルを見て、クロエが苦笑いする。
「ああ。非魔法文化圏……外側って言うんだっけ、ま、そこから来た生徒のことをこの学園ではそう呼んでるってだけ。全然特別なんかじゃない。ちなみに、俺もグレイもシエロだ。一学年に一人いていいくらいなんだけど、君らの学年は二人。そりゃ、寮監も飛んで喜ぶよな」
 校舎に入るとざわめきが途端に増えた。石の壁を伝って、休暇明けの生徒たちの声が明るく反響している。
「シエロってそんなに少ないんですね」
ゼロなら片方隠してるやつもいるだろうけど、それでも少ないよな……」
 そう言って、クロエは前方の人が集まっている所に目をやる。あちらに大広間があるらしい。するとクロエの名前を呼んでいる声が聞こえた。
「あれ、呼ばれてませんか?」
「え? よく聞こえるな。ちょっと待て」
 シャルルが指をさしている方向に首を動かし、クロエは目を凝らすようにすると大きくため息をついた。
「他寮の監督生たちだよ。また誰かが何かやらかしたな。君たちは他の生徒と並んでてくれ」
 人混みから外れていった寮長を見送って、シャルルとヴィンスは大広間へと向かう。
「さっきクロエが言ってた零ってなんの事?」
 扉の前で混雑しているので立ち止まったときに、ヴィンスに尋ねてみた。
「ミデンの別名だよ。隠語とも言うけど。あと、いやしはサナティオ、武はフォルツォ、天はシエロ。で、あの人もミデンらしい。どんな能力なのかは知らない」
「へえ……そう言えば、ミデンも少ないって聞いたんだけど、ホント?」
 ジュネット先生がミデンと言っていたが、他にもいると知って、父が言っていた通り少ないのだろうかという疑問が浮かぶ。
「本当。教授に一人と、今生徒にはクロエ含めて三人くらいじゃないかな。大っぴらにすると面倒だから隠している人もいるのは確か」
 ヴィンスは声を落として話す。周りの生徒たちは新学期にはしゃいでいる様子でこちらには気を止めていないようだ。あまり話題にしてはいけないのか、とシャルルは同じように声を落として相槌を打つ。
「大変なんだね……」
「シエロもかなり、ね」
 呟いたヴィンスの唇は少し固く閉じられたようだった。


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