進級式


 正方形に近い大広間は、教会学校の校舎の敷地分ほどあるのではないかと思うほど。天井は見上げれば吸い込まれるように高い。ラナクス学園の全生徒が集まっている様子を見て、これまで小さな島から出たことがなかったシャルルは目を丸くした。皆同じような出立ちで、違うと言えばその個人の容姿と、制服にデザインされた所属寮を表す色くらい。知らぬ世界へ迷い込んだような旅人の気分になり、軽く目を回す。
 首を伸ばして見ると、一番奥には壇があり、そのすぐ手前には上級生が長い棒を持っていた。棒の先には寮の紋章を掲げた旗が吊るされて、生徒たちが集まるための目印になっている。左から、リブラール、クラシセント、ステルクスの順で、長椅子で列を作っている。寮をまたいでおしゃべりをしにいっている生徒もいるし、退屈そうに長椅子の背にだらりと腕をかけている者もいる。
 職員たちは左右の壁に並んでいた。ディケンズ先生が旗を持つ生徒に何やら話しかけている様子が見える。シャルルの能力を測ってくれたジュネット先生は、右の壁際で背の高い男の人と話をしている。ベルトット先生は扉近くで、生徒たちがきちんと制服を着用しているかの確認をしているようだ。たまに「シャツを入れろ」と言うようなことが聞こえてきた。
「順番は適当だよ。こっち空いてる」
 ヴィンスが呆然としていたシャルルの手を引いていく。空いた席に並んで腰を下ろすと、シャルルは、ふう、と息を吐き出す。
「これで全校生徒?」
「いいや、明日、新入生がこれに加わる」
 肩をすくめてヴィンスが答えた。
「入学式はまだなんだね。それにしても、多いなぁ……」
 独り言のように言って、シャルルは他の寮の列に目をやった。明らかに自分の寮の生徒が少ないことに気がつく。あとの二つの寮は同じくらいのように見えた。
「アルカンナの学校ってどれくらい?」
 人数に圧倒されているシャルルにヴィンスが尋ねた。
「全員合わせて五十人くらいだったと思う。その十倍は居るみたい」
「もっとだ。一年生を合わせると八百人程度かな。千以上の年もあったと聞くけど」
「そんなに! 僕の島の人口より多いかも」
 ちらりと後ろの扉を見ると、全生徒が広間に入ったらしく、ベルトット先生はほかの先生達に合流していた。

 鐘の音がした。前方で先生らしき人が振って鳴らしている。それを聞いて、散らばっていた生徒たちは自らの寮の列へと戻る。進級式が始まるのだろう。
 コツコツコツと早歩きの足音が広がる。クロエが二人の生徒と共に入ってきた。白金に光る髪をまとめて後頭部で青いリボンで結んだ人は、胸元にたくさんの徽章をつけている。そして一番背の高い人は、ヘーゼルで軽く波打った前髪を右側に垂らしたアシンメトリーな髪型をしている。クロエは先端に緑の石が付いた白いステッキを持ち、ほか二人は帯刀していた。
「髪の長い方がクラシセントの寮長のノーランド。もう片方がリブラール寮長のサマセットだ」
 三人が一番前へと歩いていくのを見ながら、ヴィンスが耳打ちをした。彼らは旗をもつ生徒の横に並んで立ち、恭しく一礼をする。それと同時に旗が降ろされ、旗持ちも着席した。
 寮長たちはそれぞれが持つ剣と杖を高く掲げる。しんとした大広間の中、三人が合わせて息を吸う、かすかな音すら聞こえてくる。
「新たな年、我々ラナクス学園の学徒はこの聖なる地に再び集い、星地の神々、ミラトア国王陛下の名において、学び励まんと誓いたてまつる」
 広がる声が静寂に溶けていくと、彼らは杖を下ろし、剣をしまった。礼をするとそれぞれの寮の一番前の椅子に腰をかけた。
「お芝居みたいだね……」
 沈黙の後、咳やくしゃみが聞こえてくる中に紛れてシャルルがこっそりと伝えると、同意するようにヴィンスも笑って頷いた。
「あ、今、壇上に来たのが学園長のイベール先生」
 言われて前に視線を戻すと、先程ジュネット先生と話していた男の人が壇上に置かれた演説台の前に立つと、まるで全員と目を合わせるかのように静かに大広間を見渡していた。遠く見えないはずなのに、シャルルは一人の生徒である自分自身を見られているような気がした。満足したようで、彼はマイクに向かって話し始めた。
 声は明朗、学園長と言うには些か若いようで、四、五十程ではなかろうかという見た目だった。ディケンズ先生らと同じようなジャケットの上に、菫色の装飾が施されたローブを羽織っている。
「みんな、おかえり。夏休暇は楽しかったかな? また君たちのきらきらとした顔がこうやって見られて、私たちもとても嬉しく思っていますよ。いつものように、進級式でお話することは三つです。新しい先生の紹介と、規則の確認と、今年ある行事についてです。前年度で辞められて軍に異動されたサーリ先生の後任として、今年からはケインズ先生が武術を教えてくれます」
 そう言って学園長が左の壁沿いに立っていた、スーツを着た先生に目線を送る。ケインズ先生は一歩前に出ると黒い中折れ帽を脱ぎ、生徒たちと壇上に向かって軽くお辞儀をした。生徒たちが学園長にならって拍手をするので、シャルルも慌てて同じようにした。「武術」を教える人という割には細身に見えるが、動作はきびきびとしている。
「次は、校則の確認です。何度も言いますが、規則は守りなさい。罰則になるのは、破る人自身のせいです。第一に、廊下で能力や魔法道具を使ってはいけません。他の生徒や先生に当たると危ないですからね。昨年、賭け事をした生徒もいましたが、生徒間の金銭のやり取りも禁止です」
 学園のある地区の外や教会近くの森など、行ってはいけない場所がいくつかあげられて、外の世界の道具は勝手に使ってはいけないことなどが続けられていく。能力に関すること以外は、シャルルがこれまで通っていた教会学校とほとんど同じようなものだった。立ち入り禁止の場所がどこか、寮に帰ったら確認しようと頭に留める。
 学園長は一息ついて、また生徒たちの様子を伺うように首を動かした。
「当たり前のことをして初めて、行事が楽しいのですからね。今年度も秋の星祭りを行います」
 わっ、と歓声が生徒たちの間に広がる。星祭りとは何のことだろうか、とシャルルは学園長が続ける話に耳を傾ける。
「静粛に。毎年のことですが、マーケットができるのは五年生以上です。四年生までの皆さんはできないので注意してくださいね。今年は新しく能力での出し物や展示を許可しますので、やってみたいという人は寮監督の先生に相談してくださいね。また詳しく決まると先生方や監督生から連絡があります」
 在校生のための式だから、わざわざ説明し直すことはしないようだ。少し残念に感じながらも、楽しい行事なのだろうと言うことは、シャルルにも十分わかった。ざわめきの絶えない大広間を、にこやかに眺めると学園長は手を叩いて注意を向ける。
「この一年も同じ学園に過ごす仲間と、しっかりと学び、遊んで、良い毎日を過ごしていきましょうね。天が皆をお見守りくださいますように」
 そう言って学園長が降壇し、そのまま奥の小さな扉から大広間を出ていった。あんなところに出入り口があったのかとシャルルが思っていると、寮長たちがまた立ち上がった。
「リブラール生より順に退席! 連絡事項があるため、評議員はこの場に残ること!」
 真ん中で声を張り上げるクラシセントの寮長。その声と同時に、広間に漂っていた緊張が解けて、生徒たちのざわめきが大きくなり、進級式は終わったのだと知る。シャルルがヴィンスの方を向くと、数時間前に初めて会った時のように涼しげな微笑みを見せた。
「どうだった? 進級式」
「思ったより早かった。学園のことが全然わからないから、何とも言えないや」
「それもそうだよな。さっき学園長が言ってた、星祭りって言うのは他の寮生との交流を深めるための行事で、基本的によく街であるお祭りと同じだ。何かするのも自由で、しないのも自由」
「へえ! 生徒がお祭りをできるなんてすごいね。ヴィンスは去年何かしたの?」
「僕は何も。上級生のマーケットへ行って、古本を集めて並べてる人から小説を一つ買ったくらい」
「それも素敵だ」
 肩をすくめるヴィンスの横で、星祭りを想像しながらシャルルは笑顔になる。アルカンナで今日あるはずの夕暮れのお祭りと同じように楽しいかな、と思うとほんの少し寂しくもあるが、新しい生活への期待が大きくなるのを感じた。

 寮の窓から見える西の空は、もう濃紺のカーテンを下ろし始めている。木陰の隅から昼を惜しむような橙色の光が次第に細くなっている。
「暗くなるのが早いね」
 大広間から戻り、寮の食堂で夕食を取っていた。校舎にあるカフェテリアと各寮の食堂は、開放されている時間帯ならいつでも利用可能らしい。料理好きな生徒のために、自由に使えるキッチンも各寮の食堂に備えられている。
 シャルルが生まれ育った島では日が暮れる前までに、食事を終える人が大半で、夜にはたくさん食べない習慣があった。シャルルも例外でなく、昼食は多め、学校から帰るとサラダなどの軽食を食べていた。夜は好きな飲み物を手に、家族との会話を楽しんでいた。
 学園では、他の生徒と同じ時間に食事を摂るなどのきまりはほとんどないようで、シャルルは習慣が大きく変わらないことに安堵した。学期の変わり目などには、体調を崩してしまうことが多く、変化が小さくなることは、シャルルにとって願ってもいない事だった。
 シャルルとヴィンスは、窓際から吹いてくるそよ風が気持ちの良いテーブルについていた。食堂には、彼らの他に勉強をしている上級生も数人見られ、比較的静かだった。
「ここはアルカンナよりもずっと北だから」
「うん……」
 あまり食欲もなく選んだ野菜スープにスプーンを浸したまま、シャルルはぼうっと空を見ていた。それを見て、ヴィンスが気遣うようにグラスを差し出す。
「疲れてるね」
 礼を言ってひんやりと心地よいグラスを受け取り、両手で掴んだ。疲労と眠気で熱くなったシャルルの手のひらが、中に入った氷を溶かすようだった。
「……一日目だからかな。早く慣れると良いんだけど」
「無理もないよ。明日は入学式で僕らは授業も無いから、ゆっくり休むといいさ。長く寝たければ、起こさないように静かにしてるし」
「ありがとう」
 シャルルはやけに重たく感じるスプーンを握って口へ運んだ。先程までは湯気が立っていたが、風で冷まされている。細かく刻まれたトマトと玉ねぎが優しい甘みを作っている。ほんのりとハーブが効いていて、島の郷土料理の味が思い出されて少しほっとした。
 ヴィンスはサラダとチキンのソテー、それにスライスしたバケットを選んでいた。丁寧な手つきで、チキンを切って口に運ぶ。マナーに厳しい家で育ったのだろうか、とシャルルは思った。座っている姿勢がいいことも、人を気遣うような言葉も、上品な人間の特性のように見えてくる。そう思ったとしても、初対面で色々と聞きすぎるのは良くないな、とシャルルはまたスープを啜る。
「あのさ」
 シャルルの視線を少し感じてか、ヴィンスは顔をあげる。
「どうしたの?」
 話しづらい話題なのだろう。シャルルが続きを促すが、「どうしよう、でも言い出したからな……」とヴィンスは口の中でためらうように呟く。意を決したように持っていたフォークを置いた。
「答えにくかったら無視して欲しいんだけど」
「うん?」
「どうして転校してきたか、聞いてもいい?」
 ヴィンスが申し訳なさそうに尋ねた。
 この類の質問はきっと聞かれるだろう、ということは転校が決まった時から想像していたから、シャルルはそこまで驚かなかった。理由を話すことに抵抗はあれども、自分が考えていた以上にするりと答えがでる。あらかじめ考えていた定型文のようだ。
「父さんの遺言で、ここに転校することになったんだ。僕はきちんと力に向き合う必要があるんだって」
 父の死が伝えられた時、母はすでに病に臥せっていた。母は知らせを聞く数日前から急に具合を悪くして、島の病院に入院していたため、シャルルは一人だった。休暇がはじまる一週間ほど前で、その日の月が異様に白かったことを覚えている。
 シャルルは自分自身の魔力のことについては、父も母もそれまで一切口にしなかったのに、遺言を届けてきた同僚の軍医によって初めて明かされたのだ。
「両親に、祖父に頼らずとも生きていくために魔力を正しく使いなさい。そのために、シャルル、お前は学園へ行かねばならない」
 と、父の同僚が淡々と書面を読み上げた。前後はあまりの衝撃ではっきりとは覚えていないが、どうしてかこの言葉だけ明確に記憶にある。なぜ初めから本土へ行かせなかったのか、とその時、場違いにも思ったことも。
「……不躾に聞いてごめん」
 ヴィンスは頭を下げて謝った。シャルルは慌てて手を伸ばしてヴィンスの肩を叩いた。
「大丈夫だよ。気にしないで」
 そろりと面を上げるヴィンスに、シャルルは柔らかな笑顔を見せた。不躾というのはもっと深入りしてくるものだ。ヴィンスとは会ったばかりだけれど、その言葉に悪意がないことを感じ取っていたため、本心から「大丈夫だ」と言った。転入生に学園のことをあれこれと教えるなんて、手間のかかることだ。どれだけお人好しでも、単なる親切心だけでできるものではない。ヴィンスが仲良くなろうとしてくれていることは、シャルルにはよく分かった。
「もちろん父さんが居なくなって悲しいことには変わりないよ。でも、新しいことを勉強できるのは楽しみなんだ。それに、転校してヴィンスに会うこともできたし」
 ぬるくなったスープを飲み込んで、シャルルは正直に話す。気持ちを隠しすぎても良いことはない、と祖父がよく言っていたのを思い出していた。
「やさしいんだな」
 眉を下げて微笑んだヴィンスに、首を傾げながらもシャルルも笑い返した。
「君もだよ、ヴィンス」 

 日は暮れ落ちて、校舎の明かりも消えた。生徒たちは寮に戻る時間となり、新学期一日目の夜をめいめいに過ごしている。消灯時間まではあと少しだが、そよ風に乗って聞こえて来る話し声は止みそうにない。それはシャルルとヴィンスの部屋も同じことだった。
「夜は『暗色の皇帝』が作っているって話、シャルルは知ってる?」
「暗色の、なんて?」
 荷物の整理をしていると、ヴィンスが聞き慣れないことを言った。彼はとっくに片付け終えたらしく、ベッドに腰掛けて窓の外を見ていた。街の明かりが周囲にない学園からは、星がよく見えた。
「『暗色の皇帝』だよ。まあ、神話の一つだけど……」
 窓からシャルルへと顔を移して言う。先程までつけていたデイジーのピンバッジを思い浮かべて、シャルルは首を横に振る。
「神話、たくさんあってあまり覚えてないよ。アルカンナはマルガリア様の話ばかりだから」
「アルカンナの守り神、花の神様だよね」
「そう。ヴィンスは神話に詳しいんだ?」
「詳しいってほどじゃない。シエロの生徒は必修みたいなものなんだ。歴史や占星術の授業でもちょっとやるし、上級生は神話学を取らないといけないからね」
「授業で勉強するんだ……」
 面白そうだな、とシャルルは手を止めて自分の椅子に座り、ヴィンスと同じように外を眺めてみた。北の空に明るく光る星が、遠くに見える蝋燭のあかりと等しく、微かに、何かを誘うように揺らめいていた。雲はない。

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