与えられたもの


 ミラトア王国本土には、アルカンナ島で伝え聞くものよりも多くの神話が残っている。その中心舞台となるのが、ニウェースである。王国に住むものなら一生に一度は訪れると言われるこの場所には、神話や伝承を守っている中央教会、ラナクス研究院、そして学園が所在している。王都から少し離れたこの場所は、古くから祈りと学びの地とされており、この地を囲う白樺の森にも多くの伝説が残っている。進級式の晩、ヴィンスから教わった神様の兄弟の神話も、このニウェースでの出来事であるらしい。
 このようなことを、初日に渡された入学案内のパンフレットを見て知った。寮に引きこもって冊子をめくっているだけでも、かなり学園の敷地のことは知ることができたし、授業の進み方などもある程度はわかった。引きこもりというのも、シャルルは昨晩、予想通り体調を崩してしまい、半日以上ベッドで過ごしていたのだ。予想より遥かに悪く、体が異様に重く感じ、立ち上がって医務室に行くなどという気力すら生まれないほどに疲れていた。水だけ机に置いてくれたヴィンスは、前日の宣言通りに声もかけず、世話を焼いたりもせず、彼は彼で予習をしたり読書をしたりしていた。
 一日休んだおかげか、アルカンナより北の気候にも少しは慣れたようで、シャルルの食欲も朝食の頃には普段通りに戻った。
「そういえば、昨日じっくり説明の冊子を見てたけど、選択授業はどれにするか目星はついた?」
 ミルクをたっぷり入れた紅茶を啜ってから、ヴィンスが聞いた。彼はもう朝食を平らげている。少し食べるのが遅いシャルルは、アルカンナ産ママレードを塗ったビスケットの最後の一口を放り込んでから頷く。食べる前に答えればよかったか、と思い急いで飲み込んだ。
「でも、生物学と芸術で悩んでる」
「両方は取らない?」
「そこまで器用じゃないし、一つで十分だよ。ヴィンスは何を取るの?」
「僕は生物と武術。一年からずっと取ってるから」
「一年からかぁ。僕ついていけるかな……」
 喉に残ったビスケットを流し込むように、ハーブティーを飲む。今日からはじまる授業への不安も一緒に胃の中へ入っていく。
「大丈夫だよ。先生たちは優しいし、魔術関連じゃない限りは、君が行ってた学校の授業とそこまで変わらないはずだ」
「そんなものなの?」
「そんなものだよ。それに、一週間はお試し期間だから、気になる授業はひとまず出てみたらいいんじゃないか?」
「……そうしてみるよ」

 一番初めの授業は一般魔術。人数の少なさゆえに、ステルクスの生徒たちは必修授業の多くを他寮の生徒と合同で受けることになっている。この授業はクラシセント生との合同で行われる。ヴィンスに案内してもらいながら着いた教室には既に何人かの生徒が席に着いていた。その中に二人、同じ寮の生徒が居た。
「お、転入生じゃん」
 一人がシャルルに気づいたらしく、顔を上げて態とらしく言う。進級式の日に、寮の階段を走ってクロエに怒られていた生徒だった。
「その言い方、失礼。ごめんね」
 隣にいたもう一人のステルスクス生が、眉を下げて柔らかに注意した。
 注目を集めているような気がして、シャルルは急いで彼らの近くの席へ座る。ヴィンスは特別気にした様子もなく、シャルルの隣へ腰を下ろした。
「どっから来たの?」
 興味津々と言ったふうに、黄色いアイシャドウの生徒は身を乗り出した。
「自己紹介を先にするって言う考えはないのか?」
 呆れてヴィンスが呟くと、それもそうか、と言って彼女はシャルルに明るい笑顔を向けた。
「私、カミーラ! カミーラ・アディーブ。あんたと一緒の三年生。んで、こっちも同じく三年のアルレット」
 カミーラの隣に居た生徒は、シャルルに向かってふわりと笑った。長い猫っ毛を編んでまとめており、少し首を傾げると後れ毛が頬にかかる。
「アルレット・シャントルイユです」
 シャルルは少し気持ちを落ち着かせてから口を開き、二人と順番に握手をした。
「シャルル・リーヴスだよ。アルカンナ島から来たんだ。よろしくね」
「よろしく、シャルル」
「ステルクスの三年はこれだけだから、一人仲間が増えて嬉しいよ」
 ニッと歯を見せて笑ったカミーラがそう言うと、シャルルの横に目をやる。目線の先には三人には我関せずと言ったように、ヴィンスが教科書を開いて眺めていた。
「仲良くしましょうね」
 アルレットの言葉にシャルルが笑顔で頷くと、先生が教室に入ってきた。生徒たちは既にみんな席に着いていた。急いでシャルルも持ってきたノートと教科書を並べて授業の準備をして教卓へと目を向ける。進級式の日と同じように、先生は手袋とブレスレットをつけていて、薄い花柄の描かれたブラウスに、黒いスカートを履いている。
「一般魔術を担当するベルトットです。三年生のこの授業では、魔力の基礎的な使用と理論を繋げて学習します。昨年までの知識も必要となるので、今日はその復習と、今年度の学習の導入をします。休暇前には実技テストに加え、三年以上では記述も行います。授業に関する質問は今受け付けますが、ありますか?」
 口調は授業だからだろうか、多少ハリのある印象がした。生徒は何も無いというように黙って次を待っている。微笑んだまま見回して、ベルトット先生は教科書を開く。
「一般魔術理論入門は持っていますね? 忘れた生徒は……居ないようですね。十ページを開いてください。去年までの復習です。分からなければ教科書を見て答えてくださいね」
 お願いだから当てないでくれ、と思いながらシャルルは開いたページに顔を向けた。ベルトット先生が歩き出して話を続ける。
「四能力全てに共通する魔力の核がありますね。魔力の核は訓練で成長させることが出来ますか? では、シモン」
 当てられたクラシセント生は教科書を見ずに答える。
「訓練では成長しません。心身の成長によって変化します」
「いいでしょう。能力のように必ずしも訓練で大きくなるという訳ではなく、身体の成長や様々な経験によって魔力の核は変化するんでしたね。では次、能力の形や程度には個人差がありますが、四能力の基本的な特徴を答えてください。……サマセット」
 このクラシセント生は当てられると思っていなかったらしく、シャルルの前方でがた、と身じろぐ音がした。彼は教科書から目を離さずに答える。
「はい、えーと……フォルツォは体を使った能力で、サナティオは癒しとかのエネルギーがあって、シエロは自然が使えて、ミデンはその全部です」
「おおよそいいでしょう。最近では能力が細分化されているところもあり、四つに分けられないという考えも出ています。要はミデンが木の幹とすると、そこから枝のようにわかれたのが、サナティオ、フォルツォ、シエロです。細分化とはその先の細い枝や、付いている葉や花の事ですので、研究対象にはなりますが分類には現れません。ここまで、よろしいですか?」
 シャルルも他の生徒と同じく頷く。ベルトット先生はシャルルの反応を見ると、続けて話を進めた。
「次で復習は終わりです。能力を使うために魔力伝達を行いますが、この魔力の供給源となる場所は身体のどの部分にあると考えられていますか? グレイ、どうですか?」
「魔力の核の場所は分かっていません。伝達は神経系を通じて行われるため、脳だと考える説が有力です」
 シャルルは教科書に同じことが書かれていないかと探していたが、ヴィンスが答えた質問だけは載っていなかった。
「そうですね。魔力の供給源とは核のことですが、その場所を含め、今の研究ではまだ解明されていない部分が多いです。よろしい、よく覚えていますね」
 シャルルは後でこのページはもう一度読んでおこうと、ページ番号に丸をつけ、先ほどの質問と答えを軽くメモする。役立つかはわからないが、きっとみんなは二年生までで学習していることだろうから、色々知っておいて損はないだろう。
 次のページをめくると、人間の身体を描いた図と細かな解説が入っている。魔力がどのように流れていくかを図説しているのだ。基本的な知識であろうところが続いていて、ベルトット先生が十五ページを開けるように言う。
「能力の形は違えど、誰でも出来る基本的なものがあります。それを『基礎魔力転換』と呼んでいます。これは道具などをつかう時の魔力とは別物と考えてください」


……魔力転換とは、それぞれがもつ魔力を体外に出し一定の効果を生み出すこと。それは個人差があるものの、手順を踏むことで能力別ではあるが同じ効果を生み出すことが出来る。ここでは、その初歩的な魔力転換の理論と演習をあつかう。各能力での基礎魔力転換は以下である。
フォルツォ……魔力を指先に集めることを意識し、そこから変形能力へ転換させる。
サナティオ……魔力を手のひらに集めることを意識し、そこから治癒能力へ転換させる。
シエロ……魔力を感覚器官に集めることを意識し、そこから知覚能力へ転換させる。
ミデン……以上全てを行なう。二種混交である場合、個人の能力によって選ぶこと。


 教科書を読んでもイメージが湧かず、シャルルは助けを求めて隣のヴィンスを見たが、大丈夫だよ、と彼の口が動く。
「能力とは、がむしゃらに出して使えるものではありません。もちろんそうすることも出来ますが、コントロール不能になりやすい。小さい頃に経験した人もいるでしょう。また、ミデンに多いですが、持って生まれた魔力の核が大きければ大きいほど、君たちくらいの歳でもコントロールが難しいことがある」
 最後の言葉に教室がざわついた。
赤寮リブラールのあいつだろ? ミデンだし虚国の子ってウワサ」
 「虚国」と聞いてシャルルはそちらへ意識を向けた。この学園にあそこから来たモノが居るなんて、本当のことだろうか。王国領にはもう居ないんじゃなかったのか。父さんを殺した虚国のモノたちが?
緑寮ステルクスにもいるって」
「あれは嘘だよ、馬鹿だな」
「えー、じゃウチの寮にも隠れてたりして」
 クラシセント生達の間に拡がった囁きを制するかのように、教卓から手を叩いて注目を先生へと戻す。そんな、まさか。虚国からこの世界への扉は全て封鎖されたというニュースがあったじゃないか。あれから一か月も経っていないはず。王国内での紛争は今はない。だけど、虚国のヤツに殺されたという父さんは帰ってこない。今考えたところでどうしようもないことだ、と自分自身に言い聞かせて、シャルルは早くなった鼓動を抑えようと長く息を吐き出し、教科書に視線を戻した。
「あることないこと言わないのよ。私語が多ければ課題も増やしますよ?」
 ため息をついてベルトット先生が言う。静かになった教室を確認すると、先生は気を取り直して、この課題での理論について説明していった。
 多くは教科書に書いてあることで、補足しながら図に書き起こしてくれたため、とてもわかりやすかった。魔力の使い方は分かったが、かといって実際に使えるとは限らない。もしも、自分だけが失敗して課題ができなければどうしようかと、シャルルはまた不安で胃が痛くなる気がした。
「ペアもしくは三人組を作って、理論実戦を行います。能力は揃えなくてもいいですよ」
 教科書には、能力別の課題が書かれていた。シエロは「昼時の月面もしくは星光の観測」とあり、その下に観測結果を書き込む欄があった。
「各能力によって課題がわかれています。お互いに確認し合って、評価をつけてください。無駄なことはしないように。わからなければ手を挙げること。各自始めて。サナティオの生徒は課題に使うものを取りに来てください」
 それを合図に、ガタガタと椅子や机を動かして生徒はペアを作りだす。
「シエロは僕たちだけだし、二人でやろうか」
「そうだね。これ、外見えるとこがいいよね? あっちの席、空いてるみたい」
 シャルルとヴィンスも課題のため立ち上がって、窓際の席へ移動する。先程当てられていたサマセットが彼らに近づいた。申し訳なさそうにシャルルたちを見て、声をかける。
「なあ、入れてくんない? 俺一人溢れちゃって」
「相手がシエロでいいなら、だけど」
 ヴィンスはクラシセントの他の生徒たちをさっと見やると、小さな声でそう言った。サマセットは首を横に振ってから、笑顔を向ける。
「俺はそんなの気にしないよ」
 彼のふわふわとうねった長めの髪が揺れると、シャルルが抱えていた緊張感をとかすような気持ちがした。
「そうか」
 ヴィンスも同じようで、答えた時の冷たい表情は消えていた。
「一緒にしよう」
 シャルルは机を三つ近づけながら答えた。
「ありがとう! 君、転入生だよね? 俺、ウィリアムって言うんだ」
「よろしく。シャルル・リーヴスだよ」
「かっこいー名前! そういや、グレイって名前なんだっけ?」
「ヴィンセント。……名字は覚えてるんだな」
「そりゃあ、君の家有名だもん。ヴィンスって呼んでいい? なんか長いしさ、俺のこともウィルって呼んでよ」
「ああ」
 ヴィンスは教科書をめくって課題を確認しながら答えた。ウィルとの会話には、シャルルと話すときのような軽やかさがなく気になったが、それよりも引っ掛かる言葉がある。ウィルが教卓に何かを取りに行っている間に、ヴィンスにこっそりと聞いてみた。
「ヴィンスの家って有名なの?」
「……それは今はいい。早く課題をしよう」
「う、うん……」
 あまり答えたくないのか、さらりと受け流されてしまう。先生に注意されてもいけないし、シャルルも課題に集中することにした。
「ねえ、俺からやっていい? 多分すぐ終わるからこれ」
 手に萎れた花を持って戻ってきたウィルは、教科書を開きながら言う。
「サナティオはこれ元気にさせたらいいみたいだから」
 教科書を見ると「萎れた花もしくは瀕死の虫の再生」と書いてある。これが基本なのか、と驚きつつもシャルルはウィルの手の中を見た。
「行くよ」
 ウィルがそういうと、少し腕に力が入ったようで手先が少し赤くなった。確かに、道具を使ったりする時の微弱な魔力とは異なる使い方のようだ。シャルルは感心しながら、花が瑞々しくなっていくのを見た。茶色くなった茎や葉は青さを取り戻し、切り口からは水滴すら垂れてきそう。弱々しかった赤い花びらは真っ直ぐになる。
「こんなもんかな。これなんて花か知ってる?」
「ガーベラだよ。凄いね」
 シャルルはウィルから花を渡されて、その状態を見ながら言う。ヴィンスにも見せて、配られた評価シートにウィルの魔力転換の点数を書く。五段階評価で、シャルルは迷わず五を付けた。自分はきっと一か二だろうな、と思いながら。
「さすがだな」
 ヴィンスも同様に五の点数をつけていた。ウィルは大したことないというように、肩を竦めて花をポケットに刺した。シャルルはこっそり他のサナティオの生徒を見たが、切り取ったばかりの花に戻すことができている生徒はごく少数のようだった。ある者は時間がかかりすぎているし、他では再生が一部分だけという生徒もいる。
「俺のはよくあるやつだから。それよりもさ、シエロがどんな感じなのか気になる!」
 映画やショーが始まる前の子供のように、ウィルは目を輝かせてシャルルたちを見る。そうすると、ヴィンスが天文学の教科書を出してきて机の上に開いて置く。彼は索引に数多に並んだ見慣れない文字の中から、星の名前と思しき項目を指さして、教室の窓を開けた。青空が遠い。
 シャルルはウィルと一緒になって、その星のページを開いた。研究院の天文台が撮影した写真が載っている。
「僕はこの星の色と形を見るから、あっているか確認してくれ。今の時間帯に望遠鏡なんて使えないから」
 シャルルはヴィンスの様子をよく見ることにした。どのように昼間の星を見るのか、どうやって描きだすのか。
 合図もなしにヴィンスは魔力を眼に集めた。涼しげな青い瞳は、燃えるような赤に色を変えていく。ヴィンスの手元には教科書とペン。星が見つかったようで、ヴィンスがペンに指先を触れると、勝手にペンが描き始めた。「描写ペン」を使うから持っておけと言われた事を思い出し、このためだったのかと理解した。魔力を使う道具のひとつである描写ペンは使う人の意識した形を描き出す。絵心がない人が使えば、下手な絵になるし、画家になるようなひとが使えば写真同様の物を描き出せる。
 シャルルとウィルが見守るなか、描写ペンは精巧なスケッチを書き終えた。ヴィンスの瞳は青色に戻って、シャルルたちに教科書を差し出して比較するように促す。
「すっげー……これ写真みたい」
「ほんと、どうしてこんなに描けるの」
 自分の絵心のなさを心配しながら、椅子に座ったヴィンスに聞いた。昔、リリと描いた猫が、犬と蛇の合体した生き物みたいだと言われてショックだったくらいには、シャルルは絵が下手だ。
「視覚で捉えた情報をそのまま魔力でこっちに流すんだ。見えたと思ったら、普通にペンを持つんじゃなくて、魔力を多めに転換させて触ったらいい。勝手に描いてくれる……。けど、色々考えても仕方ない。やれば出来るさ」
「そうか……」
 ヴィンスの評価シートに満点をつけてから、シャルルは自分の教科書とペンを持って窓際に立つ。緊張して手汗が出てきそうだ。あまり難しいことをして失敗をしたくないから、うっすらと白く見えている月を見つけると、ペンを教科書の上に置いた。
「見やすそうだから僕は月にするよ」と、自信なさげにヴィンスとウィルに伝える。
「分かった。ウィル、月のページは最初の方だぞ」
「開けたよ〜。シャルルがんばれ!」
 シャルルは意識を目に集中させた。月を見つめていると、周囲の色は夜のように変わって行く。まるで自分の目が望遠鏡にでもなったかのように、太陽に照らされている月面がよく見えた。影になった部分にも注意しながら、シャルルはペンにそっと触れた。ペンはひとりでに起き上がってくれたようだ。描き終わる音がするまで意識を空の遠くに向けたまま、シャルルは昼の月を眺めた。
 ふと、誰かがシャルルに向けて笑いかけたような気がして、はっとした。意識が明るい昼間に引き戻されていく。誰だろう、と周囲を見ようとすると当時にスケッチは終わった。既に月面は描き写されていたようで、周囲の星々まで欄外に描こうとする勢いだ。仕事は終わったと、ペンは教科書の上に転がっている。
「シャルルの目、灰色になってた。今はもう緑色だけど」
 ウィルが興奮して言った。自分の顔が熱いような気がして、シャルルは手の甲で頬に触れた。
「え? あ、ほんと?」
「ああ。魔力転換すると変わるんだよ。というか、これ、成功以上かも……」
 ヴィンスに言われてもう一度自分の教科書を見た。太陽の光を反射している部分はもちろん、影になった部分もクレーターまでしっかりと描かれていた。シャルル自身の能力であるとは思えないほど緻密な線が、よくできたモノクロ写真のように月を写している。
「三人とも素晴らしいわね。今日の中では一番じゃないかしら」
 彼らの様子を見にきたベルトット先生が、感心したように言う。心配していたことが嘘のようだ。シャルルは気恥ずかしくなりながら自己評価を書いた。
「魔力転換の初歩は小さな力ですが、魔力が能力として放出されるまでには細かな段階があります。自然に行っていることでも、プロセスを知ることは、他の授業や訓練と同様に重要です。それがこの授業で扱う理論ということですね」
 四年生以下の全生徒の必修科目が曜日ごとに割り振られている。終えたばかりの一般魔術に加え、文学と数学と社会科目もある。学年によって社会科目は内容が異なっているようで、シャルルたちは歴史の授業を受けることになっているのだ。
 午後は能力別の必修科目の時間であり、生徒によっては選択科目になる。シエロの必修は天文学と占星術。サナティオは生物学と芸術、リブラールは武術と技術魔法、と言う風に能力に見合った学習を勧められるようにカリキュラムが組まれている。他の能力の授業も選択できるが、どの生徒も一つは選択科目として受けなければいけないのがこの学園の決まりだ。
 この日は生物学と技術魔法の授業があり、シャルルはヴィンスとウィルと一緒に出席した。
 生物学を担当しているのはユシマ先生だ。この先生もディケンズ先生たちと同じようなジャケットを着ていた。その時シャルルは初めて教えてもらったのだが、あのジャケットをきている人たちはラナクス研究院にも所属していて、「教授」という専門的な研究職についている人たちだそうだ。反対に、研究院の制服であるジャケットを着ていない人たちは「教諭」といって、研究院以外のところから来た先生のことらしい。
「どちらにせよ先生と呼ぶのは変わりないから、気にする必要はないけど」
 とヴィンスは言ったが、シャルルとしては学園の常識を知っておきたいため教えてくれてありがたかった。
 生物学は導入と言いながらも今年度の学習内容についてさらっと説明をし終えると、ほとんどユシマ先生の研究対象は何かという話と、前年度からの生徒たちの質問に答えるといった内容だった。シャルルがアルカンナ島から来たとわかると島で有名なオレンジの栽培について語り出し、終いには面白がった生徒たちから「ユシマ先生のお気に入りの果物は?」という質問に対して、「ポムファ産の四種類のりんごは格別」という話をし始めた。
「だいたいあんな感じの先生だから、めーっちゃ楽だよ」と授業が終わり教室を出るときにウィルが言っていた。


 次の時間は図書館に行ってみようと、技術魔法の教室に向かうウィルと別れて、シャルルとヴィンスは学校の北の塔へと向かっていた。教会学校をはるかに凌ぐ規模の学園は、八角形を描くように各方角に塔が建っている。その間を埋めるように教室やら廊下やらがつながっているようだった。不思議な作りをしているのだな、とヴィンスの案内を受けながら辺りを見回していた。
「これ、迷ったりしないの?」
「一年目の一学期だけ。割とわかりやすい構造をしているんだ。例えば、北の方は図書館を中心にして、文学や歴史関係の教室、あとその関連の先生の部屋がある」
 空中に地図を書くように手を動かして、ヴィンスが説明する。
「休みの日に探索してみるよ」
「それがいいね。迷いそうだったら僕に声をかけてくれたら一緒に行くし」
 話しながら二人が中庭が見える廊下に差し掛かった時、軽い爆発音と叫び声が聞こえた。
「なにッ⁉」
 大きな音に驚いてシャルルは咄嗟に耳を塞いだ。ヴィンスも驚いたように目を見開いているが、動揺している様子ではない。
「誰かがまた悪戯したんだろ」
 爆発音が聞こえた方向から数人走ってきて、おそらく上級生と思われるクラシセント寮の生徒たちが、シャルルたちに声をかけた。
「ロイが暴走した! 西側行け! 焼かれるぞ!」
「こっちに火がくるわよ!」
 彼らが走っていくのを唖然として見ているしかなかったシャルルとヴィンスは、振り返って事件が起こった方向を見る。赤い光と、紫色の煙が寸前に迫ってきていた。思わず口を押さえたシャルルは、ヴィンスに肩を掴まれて側の壁際の柱の後ろに押し込まれた。
「ヴィンス⁈」
「今から逃げても間に合わない。そこから動かないで」
 そう言ってヴィンスはポケットからチェーンにつながった何かを取り出して、右手に握った。
「ねえ! 逃げなきゃ!」
 盾になるように前に立っているヴィンスの背中にシャルルは叫んだ。何が起こっているのか見当がつかないが、危ないということだけはわかる。
「大丈夫、防げるから」
 ヴィンスは左手にチェーンを掴み、前方に手を伸ばし何かをしたようだった。煙と炎は彼らに届くまで一歩もない。もうダメだと目を閉じそうになったが、シャルルは見えた光景に驚愕した。
 ヴィンスが伸ばした手より内側には火の手が及ばないのだ。まるで透明な防火ガラスがヴィンスの前に現れているようだった。窓もないのに風が吹き込んで、ヴィンスの黒い髪を靡かせていた。
「なにこれ……」
「僕の能力。すまないけど集中するから話しかけないで」
 急いで口を閉じたシャルルは息をすることすら忘れてしまいそうだった。だが、二人の周りに吹いている風がそれをさせなかった。
「あっつ……」
 吐き捨てるように呟いたヴィンスに何かできないかと思ったが、シャルルは自分の手足が全く動かないことに愕然とした。なにもできない。先生を呼ぼうにもそうする手段がない。僕の手元にあるものは役に立たない教科書だけ。
 耳に聞こえる風の音と、その先にくぐもって聞こえる燃え盛る火の弾けるような音に、かつ、と足音が混じり、シャルルは顔を上げた。
 ひどく顔色の悪い男の子が、ヴィンスの前に立った。
「なあ、お前、グレイだろ」
 気怠げな声で話しかける。煩わしげに眉を顰めた彼は、煙の中でも至って普通に、何にも守られず立って、真っ黒な目に炎を反射させていた。その目がシャルルを映した、一瞬、眼球は全て赤に変化した。驚いて二度見をした時には、少年はシャルルに対して興味がなくなっているようで、ヴィンスに顔を向けている。
「だからなんだ。どうにかしろ、この火」
 ぐ、とチェーンを掴む拳をより強く握りしめたヴィンスは、目の前の少年に言い放つ。こめかみのあたりに汗が一滴流れた。
「お貴族様がこれくらいで弱ってんなよ。はーあ、つまんねぇ」
 飽きたと言わんばかりに、彼はまた歩き出した。どこへ向かっているのだろうかと、シャルルは赤い火の海を見つめた。
「関係ないだろ。自分の能力の制御くらいしろ。ソン・ロイ」
 去っていく背中へ向かって呟いたヴィンスの声に、少年は足を止めた。暴走したと言っていたのはこの人物だったのかと、シャルルは良からぬ気配を感じつつも、ヴィンスの肩越しにロイを見た。
「……守られてるお前に、何がわかる」
 振り返りこちらを見たロイの後ろで炎が大きくなり、ヴィンスの肩が少し動いた。
「ロイ!!!」
 反対側から、煙の中走ってくる背の高い影が叫んだ。
 それが手に持ったステッキを一度振ると周りの煙が消えて、シャワーのように水が落ちてきて火も収まる。シャルルたちの周りには、ヴィンスが作っていた壁で濡れてはいない。
 視界が晴れて、声の主がジュネット先生だとわかった。後ろには、新任だというケインズ先生とディケンズ先生もいた。水はきっとディケンズ先生だろう。
「大丈夫か?」
 寮監はヴィンスとシャルルが壁際に立っているのを見て急いで駆け寄ってきた。
「はい……」
 ヴィンスは肩の力が抜けて、大きく息を吐き出した。同時に風が止んだ。
 シャルルはジュネット先生たちの方を見た。ケインズ先生が、逃げようとしていたロイの手を掴んでおり、ロイは抵抗はせずただ睨み返している。
「……おっさん連れて来んな」
「クラウスに文句を言うのは構わないが、今のは制御できただろう。なぜしなかった」
 ジュネット先生の言葉に、ロイは唇を硬く閉ざしたまま返事を返さない。
「ロイ」
 語気を強めたジュネット先生に、自分が呼ばれたわけではないのにシャルルは固まった。先生はあの子を怒っているわけではなさそうだが、いつだって誰かが怒鳴られたりするのは嫌だと思うのだった。
「やめてやれ、クイン」
 軽く首を振ったケインズ先生に静止されて、ジュネット先生はため息をつき、すまない、とつぶやく。ロイはまた興味が失せたように、そっぽを向いた。
「……ディケンズ先生、寮でよろしいですね?」
 生徒を庇うように立っていたディケンズ先生は頷くと、ヴィンスとシャルルをチラリと見やる。
「ああ。大丈夫だ。この子たちを医務室に連れて行ってくるから、あとは頼んだ」
 別段怪我はしてないと思ったが、煙を吸っていてはいけないからと、半ば無理やりその場を離れさせられる。疲弊したように黙ったヴィンスを気にしつつ、シャルルはディケンズ先生の後ろをついていった。少し振り返ると、ジュネット先生があたりに侵入禁止のロープを張っていた。

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