嫌われもの


「それで、結局図書館には行けたの?」
 火事騒ぎの翌朝、西の塔にあるカフェテリア。ウィルがわざわざ他寮の入り口までやってきて「朝ごはん食べよ!」とシャルルとヴィンスを引っ張り出してきたのだ。
「いや、無理だったな。当然だけど」
 ヴィンスは包帯が巻かれたままの十本の指を見つめてうんざりした様子で応えた。その痛々しさにウィルとシャルルは少し顔をしかめた。
「寮で休んでなさいって言われたんだよ。僕はなんともないんだけど……」
 と答えたシャルルの隣では、包帯で二周りほど太くなった手で慎重にグラスを掴んで、ヴィンスが水を飲んでいる。
 他のテーブルから聞こえた話によると、事務職員か先生が東側の三階廊下、つまり焼け焦げてしまった事件現場を綺麗さっぱり元通りに直してしまったらしい。一体誰が、どのようにして、と噂好きな生徒がわいわいと騒いでいる。昨日あの場にいたシャルルは、それはきっとジュネット先生が片付けたんだと思う、と心の中で彼らに教えてあげた。
 そして、ロイは罰則を受けているらしいが、この学校の罰則なんてきっとすごく嫌なことに違いない。教室掃除なんていう生易しいものではないだろうな。悪いことはしないに越したことはないがもし自分が何かしてしまったら、と妙な想像をしてシャルルはぶるりと震えた。
「二人が大怪我してなくてよかったけど、それ、マジで痛そう……」
 改めてヴィンスの手を見て、ウィルは口をへの字にして言う。当の本人は肩を軽くすくめるだけだ。
「痛くはないけど不便だな。昼休みに即効性の軟膏をもらってくるよ」
 そういえば医務室の先生が病院に行って取り寄せると言っていたな、とシャルルは昨日の怒涛の午後を思い出した。ディケンズ先生に連れられて行った医務室で、ほぼ尋問のような問診のあと、ヴィンスの手当をしている間、シャルルも喉やら目やら鼻の穴やら、あちこちを検査されたのだ。寮に戻る頃には図書館の利用時間はゆうに過ぎていて、二人ともげっそりして夕食もそこそこに、ベッドへ倒れ込んだのだった。
 おかげでお腹が空いていた二人が山盛りにしていたお皿もすっかり空になった。授業へ移動するために行くために、カフェテリアを出たところでシャルルはふと呟く。
「一時間目は数学だけど、ペンとか持てないね」
 ヴィンスは元よりそのことは承知だったようで、ペンケースは持ってきていない。ただ教科書を抱えて見せて「君のを写させてもらうよ」という。
「え、数学なの!? 俺と一緒かと思ってたのに!」
「教科書見て気づかなかったのか」
 ウィルががっくしと大袈裟に肩を落としていうので、二人は苦笑した。
「クラシセントは歴史?」
 抱えているノートの間から見える本をみてシャルルが尋ねた。そういえば、ジュネット先生が教えている教科だったっけ。
「そ! 担当のジュネット先生って優しいんだけど、一部の生徒がめんどくさくってさー」
「確かに。騒がしさはユシマ先生の授業に並んでる。気が散るって訳ではないんだけど」
「え、それってどういうこと?」
「見たらわかる」
 首を傾げるシャルルに、うんうん、と頷きウィル。北西の塔についたところで、授業の五分前を知らせるチャイムが鳴り、ニコニコおしゃべりをしていたウィルは、雷に打たれたような表情になって飛び上がる。それに驚いてシャルルの肩も小さく跳ねた。
「やっばい! こっから北の四階まで上がらないといけないんだった! ちょっと俺急ぐ、また昼ねー!」
「き、気をつけてー……」
 走っていく後ろ姿に手を振っているシャルルに、ヴィンスは「僕たちも行こう。オークス先生は時間に厳しいんだ」


 数学の教室は北西の塔、二階にただ一つだけある部屋なので迷うこともない。重たい木の扉を押して開けると、ギシギシと蝶番が音を立ててなり、踏み入ったシャルルに静かな視線が刺さった。赤いネクタイをつけた生徒たちは、二人のステルクス生が教室へ入ってくる様子を
一言すら話さずに見ている。冷たい視線が刺さっているような感覚に居た堪れなくなったシャルルは、教室の一番後ろの席にいるカミーラとアルレットを見つけると、小走りに向かって隠れるように席につく。ヴィンスは静かにその隣へと座った。
「遅かったじゃん。寝坊?」
 カミーラがあくびをしながら、他の生徒たちのことは気にした様子もなく聞いてきた。アルレットは何やら熱心にペンを動かしている。どうも声を出しづらい状況に、シャルルは苦笑いをして小さく首を振る。
「準備に手間取った」
 そうヴィンスが短く返事をすると、一限目の開始を知らせる本鈴がなった。
 黒板の横の扉が開き、先生が教室に入ってきた。白のシャツに教授のジャケット、そして黒いトラウザーを身に纏い、真っ直ぐと伸びた栗色の髪は店に並べられたばかりの人形のようだった。教卓の前でざっと教室を見回す瞳は黒々として監視しているようだった。入ってきた時からの緊張感のせいか、シャルルはこの先生が少し怖かった。
「揃っていますね。今年度も数学を教えるディナ・オークスです。毎回のことですが、確認事項を連絡してから、授業を始めます」
 淡々と告げていく先生に、生徒は身じろぎひとつすらしない。
「時間厳守。出席は当たり前。課題は最低限しか出さないため、必ず期限内に提出すること。評価は課題と学期毎の考査でおこないます。質問がある場合は挙手をすること」
 また少し間を置いてオークス先生は生徒たちに視線を投げる。シャルルは目があった時に、どきりとして肩が縮こまった。
「遅刻三回で欠席扱いです。欠席率が看過できない場合は追加課題を出します。そのほか、授業に関してわからないことがある場合は、速やかに私に聞きにきてください。では、授業を始めます。基礎数学入門の五十八ページを開いてください。前年度の復習から」


 淡々した授業を終えると、オークス先生はさっさと奥の準備室と思われる部屋に戻っていった。相談や質問があるものはノックしてから入るように、と言ったが誰も行くような様子はなく、リブラール生たちは授業前の緊張感はどこへやら、ガヤガヤと話しながらさっさと教室を出ていく。シャルルは右手の鈍い痛みを感じて、自分がペンを握りしめていたことに気づいた。
「びっくりしたでしょ?」
 教科書を薄桃色のトートバッグに仕舞いながらアルレットが笑いかける。確かに色々驚く部分はあったが、授業自体はわかりやすく追いつけないほどではない。シャルルが気になったのは、オークス先生よりも教室の雰囲気だったのだが、そのことを指しているのかわからずに肩をすくめた。アルレットの代わりにカミーラが眉を寄せて答えた。
「赤寮、えーと、リブラールのやつら。あいつらまじで、あたしたちのこと嫌いなんだよね」
「え……そうなの?」
 あの妙な視線と空気はそのことだったのか、とシャルルは心に雨雲が掛かったような気分になった。話したこともないのに嫌われるなんてことは、どうしようもできない。きっと僕が転入生で島から来たということも、リブラールの彼らはよく思っていないのかもしれない。
「気になってるみたいに私には見えるけど? 好きな子に悪戯しちゃうのと同じで」
「それもそっか。あと、オークスが赤の寮監督だし」
「寮の先生だと緊張するなんて、まだまだ子供だよ」
 それだけが理由ではないような気がするのだが、と考えながらも曖昧に笑って返して、シャルルは教科書とノートを閉じて腕に抱えた。
「リブラールが嫌ってるのはステルクスじゃない」
 面白げにクスクスと話すカーミラとアルレットを遮るように、ヴィンスの呟きが重たく落ちた。口をつぐんだアルレットは助けを求めるようにカミーラを見やるが、彼女も何も言わなかった。
「じゃあ、誰を……?」
 聞きくつもりはなかったはずが、独り言のようにシャルルの口からこぼれる。静かな教室に残っていたのは四人だけで、誰も彼の質問に答えることはなかった。


 西の塔へと向かいながら、シャルルは少し俯いてヴィンスの横を歩いていた。
「ウィルは昼食を食べようとは言ったけど、場所は言ってなかったね。どこのカフェテリアだと思う?」
 ヴィンスは数分前の出来事など気にしていないような調子で話し出し、ちらりとシャルルを見ると階段の途中で足を止めた。教科書をもつシャルルの手は、強く握り締められていた。
「……気になってる?」
 後ろから声が響いてヴィンスが立ち止まっているのに気づいた。振り返ったシャルルは数段上にある青い瞳。初めて見た時は涼しげだと思った彼の顔が、ひどく冷淡に色を無くして見えた。
「ごめん、気になる……やっぱり、転校生っていうのがダメなのかな」
 また歩き出して隣に並んだヴィンスの速度に合わせ、シャルルも階段を降りていく。
「そういう訳じゃない。ただ、シエロが気に入らないんだ」
「どうして?」
「僕も知りたいくらいだけど、まあ、根拠がない話だ。貴族生まれのシエロは、呪われた虚国の取替え子だという噂があるからさ」
 ため息を吐き出してから、呆れたような笑顔を見せたヴィンスにシャルルは返す言葉がなかった。僕は貴族生まれじゃないことは明らかだろうから、そのことを考えると誰のことを言っているのかは自ずとわかった。
 なんだか申し訳なくなって、シャルルは「あの、僕」と泣きそうになりながらヴィンスを見た。ヴィンスはその様子に目を丸くしてから、首を横に振る。
「謝らないで。悪いのはただの噂だからね」
「そう! 言いたい奴には言わせときゃいい。あと残念ながら一部の人間はシエロなら誰でも嫌ってるようだ。俺とか」
 突然会話に加わった声に、シャルルとヴィンスは勢いよくそちらを向いた。ちょうど廊下を歩いていた奇妙な帽子がトレードマークの監督生、クロエだった。驚いているのは話しかけてきたクロエ本人も同じだったようで、首を引っ込めて肩をすくめている。
「うわ、うちの猫みたいな顔しないでくれ」
 猫みたいなのはクロエだ、と二人ともが思いながら顔を見合わせ、ヴィンスが先に口を開いた。
「それより、来てすぐのシャルルにその話は早いんじゃないですか」
「追々は聞くことになるんだから、早いも遅いもないだろ。とにかく、どこでも少数派ってのは嫌がられるもんなんだよ。何が気に入らないのかは知らんけど」
「あの……いじめられたりするんですか?」
 おずおずと聞くシャルルにクロエは笑って、気にしすぎるな、と答える。
「この学園で他の生徒を攻撃している奴がいれば、そいつは謹慎を喰らう。悪けりゃ即刻退学か追放。まあ陰口を言ってくるやつもいるが、報告してくれれば俺たち監督生なんかが対応する」
 追放という強烈な表現に目を丸くしているシャルルを他所に、ヴィンスは、そういえば、となにか思い出したようだ。
「学生団体も対応するんですよね。確か、評議会?」
「そうそう。んで今日言おうと思ってたんだけど、それに君らが推薦されてんのよ」
 クロエは二人の肩を軽く叩くと、「じゃ、また夕方に会おう」と言って、制服のマントを翻してカフェテリアの方へと向かっていった。
「なんか、すごいね」
「ああいう人だよ……」
 初日にも同じようなやりとりをしたような、と思いながらも、気まずい空気を吹きはらってくれたような寮長に、シャルルは少しだけ感謝した。
「それで、その、評議会って……」
 シャルルがヴィンスに尋ねようとしたところで、また彼らの会話は大声によって遮られる。
「あー! 二人とも! 迎えに行こうと思ってたんだよ」
 前方から急いで走ってくる人影を見て二人はまた顔を見合わせる。ウィルの明るい声にシャルルとヴィンスは手を上げて応じた。


 校舎の中にあるカフェテリアの一つはすでに生徒でいっぱいで、シャルルたちはプレートに乗せた自分達の昼食を持って、五分以上は席を探し歩く羽目になった。壁際の席を見つけた頃には、シャルルがとった焼き立てパンは冷たくなっていた。
「昼休みに図書館行く時間あるかなー。そうだ、数学の授業どうだった? シャルルは得意?」
 パスタをフォークに巻き付けながらウィルが聞いてくる。ヴィンスは手が使えないので、パン一個を食べるのに苦戦しているようだ。
「難しくはなかったかなあ。得意かって言われたら、どうだろう……。ヴィンスは?」
 シャルルがクリームソースのかかった魚を口に運んで、王国はちょっと味付けが濃いものが多いなと思いつつ、首を傾げる。ちょうど食べていたものを飲み込んだヴィンスは頷く。
「僕は割と好きだな」
「うーん、ぽいね! 俺は眠くなっちゃうから数学は苦手なんだよね〜。家庭教師にも毎回怒られてさ」
 やけに芝居かかったように大袈裟にウィルが腕を組んで言う。
「え? 家庭教師って本当にいるんだね。すごい」
「すごいの? シャルルのいたとこにはなかった?」
 シャルルが首を横に振ると、「文化の違いってやつか〜」とウィルは関心したようにつぶやく。
「文化の違いというより、そもそも一般的なものではないな。大抵の家は家庭教師なんか雇っていない。サマセットは伯爵家だから普通かもしれないが」
「あ、そっかぁ! でもヴィンスのとこもいるだろ?」
「まあ、一応は」
 先に食べ終わったウィルとヴィンスの話を聞きながら、なんだかシャルルは気が引けるような心持ちになっていた。二人とも貴族出身なのだな、というのがこんな日常の話から伝わってくるのだから。アルカンナには家庭教師など雇っているような人は聞いた試しがなかった。
 ようやく皿に残っていた一口を咀嚼し、飲み込んだところで、不意にシャルルは辺りを見回した。何か妙な違和感がある。言うなれば、透明な水槽の中にほんの一滴だけ黒いインクを落とした時のような。気のせいといえばそうかもしれないが、気になってしまう違和感を感じた。
「食べ終えた?」
 カトラリーを置いて首を傾げているシャルルにヴィンスが声をかけるので、気のせいと思っておこうとグラスに残っていた水を飲み干してから彼は頷いた。
「うん。待たせてごめんね」
「大丈夫。片付けて今度こそ図書館に行こう」
 シャルルたちは食器を一つのトレイにまとめて返却口に戻してから、カフェテリアを出た。途中空き教室の時計を見て、次の占星術の授業までは三十分はあることを確認した。昼休みを思い思いに過ごす生徒たちが廊下や中庭に見える。アルカンナの教会学校では、シャルルはいつも花壇の近くで本を読んでいたが、まだ生活に慣れきっていないこともあり、彼自身そのような気持ちの余裕は生まれていなかった。
 ヴィンスとウィルについていきながら、北の塔に向かっているとツンと鼻につく匂いがした。シャルルは顔を少し顰めると前を歩く二人に声をかける。
「ねえ、変な匂いがしない?」
「そうか? 君は鼻が効くんだな」
「また誰か悪戯して遊んでるのかも〜」
 歩いていくほどに匂いが強くなっていくが、シャルルしか知覚していないようで、ヴィンスもウィルも首を傾げている。北西の塔の一階についたところでウィルは先ほどの自分の発言に納得したように頷いた。
「ほら、やっぱ誰かなんかやらかしてるよ」
 廊下は騒然としていた。生徒たちが集まっていて、何かを見ているようだった。軽いものが壁にぶつかる音が断続的にシャルルの耳に入る。ウィルが「見に行こう」と二人を引っ張って人混みを掻き分けていく。先へと進んでいくにつれて異臭は我慢ならないほど強まっていく。シャルルはジャケットの袖で鼻を覆って、腐敗臭のようなものに耐えて引き摺られるように着いていくと、立ち止まったウィルとヴィンスが同時に叫んだ。
「なんだこれ?!」
 辺り一面、真っ黒な羽の蝶が無数にバタバタと飛び回っている。その中央には蹲った学生が居た。具合が悪そうに呻いては、のたうち回っている。助けようにも黒い蝶の多さにどうしようもない。異様な光景に、人混みの前線で三人は唖然と立ち尽くす。
「おーい! 道開けろー!」
 聞き覚えのある声が後方からしてきて、人混みがざっと開ける。クロエとともに、赤寮監督生と青寮監督生が駆け足にこちらへやってきた。シャルルたちの前に立つと三人は黒い蝶の大群を見て驚き呆れた様子で溜息をついた。
「あちゃー。これまた派手だねえ」
「久々に見るな、このレベル」
「俺たちで何とかする? シュウだけで大丈夫そうなんだけど」
「ちょっと、レオ、僕も要るでしょう!」
「俺らでやろか。てか、アランはなんでそんな楽しそうやねん。遊びとちゃうぞ」
「おお怖……」
「まあまあ、俺は先生呼んでくるから二人とも頼んだ」
 赤寮の監督生が振り返ったところで、彼は「……じっとしてろよ」と言い残してウィルの肩を軽く叩いて行った。無数の蝶の羽音と生徒の呻き声、野次馬で集まった生徒のざわめきをかき消すように、クロエと青寮の監督生が声を張り上げる。
「お前ら、そっから動くなよー!」
「できればちょっと離れててね、みんな」
 シャルルは本能からヴィンスとウィルの服を引っ張って後方へと下がっていた。
「アラン、いくぞ」
 クロエに呼ばれた青寮の監督生アラン・ノーランドは腰に差した剣を引き抜いて構え、頷いて答える。先ほどの優しそうな雰囲気は消え失せ、ぎらり、と眼光が鋭い。クロエは細く息を吐き出すと、短く吸って緑色の石がついた杖の先を蝶の大群に向けた。
青嵐綾せいらんりょう
 そう呟いたと思えば、何かが通ったかのように蝶の群れに穴ができる。ぼろぼろと黒い羽がちぎれて廊下に落ちていく。蹲った生徒の背の上には、黒い羽の生えた何かがこちらをみて怒りをあらわにしていた。呻いているのは生徒ではなく、その「何か」だった。
 蹲った生徒の状態を認めると、ノーランドは一歩踏み出し、束ねた白金の髪を揺らしてバレエでも踊っているかのように宙をまった。絡みついてくる黒い蝶を切り落としながら、見えない空中の道を走り抜けていく。溜息を吐いてクロエがもう杖を一振りすると、また蝶は霧散し大きく空間が開ける。
「地下からの分際で、うちの後輩に悪戯しないでくれるかな」
 低く呟いたノーランドの言葉に憤ったように、黒い何かは金切り声のような叫びをあげる。次の瞬間、ノーランドの剣が化け物を切り裂いて、黒い液体を流してそれは消え失せた。
 ドロドロと流れてくるそれの残骸に、シャルルの喉元まで違和感が、気持ち悪さが迫り上がってくる。悪臭だけではない。これはよくないものだという直感によるもの。恐怖に足を竦ませていたシャルルは、何かに憑かれてい蹲っていたはずの生徒の顔を見て膝から崩れ落ちた。
「シャルル? 大丈夫か?」
 気づいたヴィンスが心配げに声をかけるが、シャルルにはそれが聞こえていない。
 蹲っていた生徒は気を失ったかのように力無く床に倒れている。ノーランドとクロエが近づいて生徒の顔を確認すると、彼らは目を見合わせ、叫ぶ。
「今すぐここから離れろ! 今すぐに!」
 監督生二人の剣幕に、女子生徒が悲鳴をあげる。野次馬たちは彼らが来た方向へと走っていく。
「そこを退け!」
「寮へ帰りなさい!」
 赤寮の監督生とともに先生たちが数人走ってくる。生徒が逃げ惑う北西塔の一階廊下に、シャルルは立ち上がれず、ヴィンスとウィルが困惑したように彼に声を掛け続けている。
「虚国からの侵入者だ」
 騒めきの中から響いてくる誰かの呟きがシャルルの心臓を強く跳ねさせた。虚国からの侵入者。耳が聞こえなくなる感覚に陥った。生徒たちの悲鳴はぼんやりと水中のようにくぐもって聞こえる。誰かの腕がシャルルを抱え立ち上がらせた。揺れる意識の中、もつれる足で彼はその場を後にした。

prev - Return - next