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眠るといつも見る夢がある。厳密に言うと夢ではなく過去の記憶だ。コロコロと変わる使用人と家庭教師だけが私が関わることが許された人間のすべてだった。
一年のほとんどを家の中で過ごしていた私の中で、勉強机の横の出窓から見える景色を眺めることが唯一の楽しみだった。さながら私は鳥籠の中の鳥。外に出たからといって一人で生きていけるはずがない、私は無力なのだ。しかしいつかは外に出て様々な世界を知りたいと願っていた。
その日も新しい家庭教師が来る予定だった。しかしノックの後入ってきたのはブロンドの長い髪を一つに束ね、全身を黒で固めた女性だった。
「I’ll get you out of here.(ここから出してあげるわ。)」
私が返事をする前にシィっと尖らせた赤い唇の前に指を一本立てた。手を引かれて家を出るところで目が覚める。悪夢ではないはずなのにいつも胸が苦しく目覚めは最悪だ。
コンコン、静寂にノックが響き息を飲む。
「…っ、はい。」
「もう目覚めたんですね。」
入ってきたのはバーボンだった。直前まで見ていた夢のせいで少し動揺してしまったが彼はそれには触れず違う話をし始めた。
「痛みは改善しましたか?ああやって貴女に頼られたのは初めてですが、頭痛はよく起こるんですか?」
「今は大丈夫。割とよく痛くなってたけどバボが来てから酷いのは今回が初めてかな。」
いつもは一人で耐えていたけど家に人がいるという安心感からか彼に甘えてしまった。思い出すと途端に恥ずかしくなり顔を背けた。
「そうですか。クラッカーとして仕方ないことではありますが液晶画面を長時間見ていることも片頭痛の原因でもあります。少し考えた方がいいかもしれませんね。」
リンゴを擂ってきたんです、とガラス製の器を手渡してきた。スプーン一杯を口に含む。しゃりしゃりとした食感と冷たい感覚が口にある。
「おいしい。」
「嘘ですね。それには塩を少し多めに入れてあります。美味しいはずがないんです。」
「…なんで、こんなこと。」
「最初から気になっていたんです。キッチンには大量の調味料、なのに料理はした形跡がない。以前作った朝食も、貴女は気付いていないと思いますがかなり酷い顔をしていました。その後食事をしたところを見たことがない。調味料が数多くあったのはその一つひとつを口に含み味覚を確認していたから。違いますか?そして貴女がよく飲むエスプレッソ、あれは苦みなら感じることが出来るから、ですよね?」
矢継ぎ早に事実を突き付けられ返答に詰まる。知られたくなかった。喉が張り付いてしまったみたいだ。
「…そ、うだよ。」
もう隠しだては出来ない、詰まった喉では肯定の言葉しか発することが出来なかった。嫌われてしまう、気持ち悪いと罵られてしまう、もうここに来なくなるかもしれない。いやだ、いやだ、いやだ。
頬を雫が伝った。
「泣かないでください。辛いことを言ってしまいすみません。」
眉を下げ指で涙を拭ってくれた。辛いことじゃない、味を感じないことは何も辛くない。それによってバーボンが、彼が離れて行くのが怖いのだ。
「…ち、がう。バボがいなくなるのが怖い。みんないなくなる。」
私は恥ずかしげもなく本心を口にした。どうせいなくなってしまうのなら、と。
「どうしてですか?僕は名前さんの側にいますよ。」
暖かく大きな身体が私を包み込む。以前自分から顔を埋めたときよりも大きな安心感と多幸感に包まれる。彼がたとえNOCだとしても、いつかはこの任務が終わりいなくなるとしても今はこんな私を認め離れないと言ってくれたことだけで幸せだ。
「気持ち悪くないの?」
「気持ち悪いなんて思いませんよ。今までよく一人で耐えてきましたね。これからは一緒に改善していきましょう。」
初めて他人に貰った暖かい言葉にわんわんと涙を流し、その日は久しぶりにまた眠ることが出来た。



また、夢を見た。いつもと違う夢。


「ベル、まって。」
小さな私は前を歩く女性を必死に追いかける。手に花を持って。
「はい、これベルに似合うと思って。」
「あらありがとう。私のキティ、愛しているわ。」
私を抱きしめ愛おしそうに目を細める彼女はとっても綺麗だった。手を繋ぎ家に帰る、幸せな記憶。