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彼女と多くの時間を共に過ごし情が湧いてしまったのは確かだ。しかしそれ以上の気持ちがここに存在することを僕は理解していた。
「こんばんは、バボ。」
モニターの前にいる彼女は今日も悲しいほどに不健康な肌の色をしている。改善に協力すると言っておきながら具体的に何かをしたわけではないのでまだ食べ物を口にすることはできないしあまり眠ることも出来ないままだ。彼女も分かっているだろうがこれはストレス反応だ。彼女をこの状況から救い出すことが出来ればきっと症状は改善する。
今日の為に何日も見たくもない顔を突き合わせて赤井と入念に計画を練ってきたんだ。必ず成功させる。
「名前さん。ちょっとよろしいですか?」
小首をかしげながらソファに腰掛ける。僕の思いつめた表情に何か思いついたように目を開く。
「…ふるや、さん?」
ドクン、心臓がより大きな音を立てた。眉を八の字にしこちらを嘱目する彼女を見て初めて会ったときより表情が豊かになったな、などと冷静に考えている自分もいた。
「いつから、なぜその名前を?」
「最初の方。私クラッカーだよ、調べることは簡単なの。」
「そうか、そうだったな。」
彼女にペースを乱されてしまったが、もう一度はじめから。深呼吸をして話を始める。
「僕の名前は降谷零、警察庁警備局警備企画課に所属しています。僕の協力者になってくれないだろうか。僕の正体を知っていてあえて組織に報告していなかったんだろう?」
名前が報告していたら僕はとっくに組織に入り込んだネズミとして処理されていただろう。
「…。」
彼女は依然として俯いたまま何にも喋らない。彼女が気にしているのはあの件だろう。
「ベルモットのことを気にしているのか。」
びくっと肩が揺れた、それは懸念していたことだった。


―――
「彼女はベルモットに懐いています。それを裏切るという選択が彼女に出来るかが肝になってきます。」
「あの腐ったリンゴのことなら君の方がよく知っているだろう。あの女が大切に思っているなら、なおさら逃げて欲しいと思っているだろう。」
―――

「ベルモットは貴女に組織から足を洗って欲しいと思っているよ。」
「…っなんでそんなこと言える?」
「ベルモットはよく貴女に贈り物をしていた。その中でも頻繁に贈られていたのが靴。その靴を履いて私から離れてください。という意味があるんだ。彼女は名前さんがイギリスにいたとき組織に命じられて家庭教師として貴女の側にいたそうだよ。その内に貴女のことを大切に思い始め、悪の道に引きずり込まざるを得なかったことをひどく悔やんでいた。だからベルモットは名前さんが組織を抜け普通の生活を送ることを願っている。」
長い俺の話を彼女は二つの桑色から大粒の涙を流しながら聞いていた。

「わか、った。協力者になる。」

彼女の了承を得られてからの行動は早かった。ガス漏れを装い家に火を付ける。赤井が手配した身代わりの遺体を部屋に横たえその場を離れた。彼女は身代わりになった遺体に手を合わせ、玄関にあった靴を少しの間強く抱きしめてから公安の車に乗り込んだ。あの家で使っていたものは何ひとつ持ち出すことは出来ない。どこから足が付くか分からないからだ。彼女には申し訳ないがほとぼりが冷めるまで家に籠っていてもらうことになる。
「別に平気だよ、今までもそうだったし。」
赤くなった目で笑顔を見せる彼女は痛々しかったが、どこか吹っ切れているような気がした。