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リビングの本棚にあったホームズ短編集を読んでいると玄関の鍵が開けられた音がした。手早くしおりを挟み、廊下に出る為引き戸に手を掛ける。思ったよりも軽く開いてしまいよろけたが尻餅をつくことはなかった。瞬間移動でもしたのかというほど早い、扉が軽かったのは彼も同時に開けていたからで、転ばなかったのは彼が支えてくれているからだ。
「…おかえり。」
社交ダンスの決めポーズのような態勢に恥ずかしくなったが笑いを堪えながら帰宅時の決まり文句を言った。
「…ふ、はははっ。なんだこれ、決まったな…っ!」
「な、私我慢してたのに!」
彼はポカンとした顔から一転、少し草臥れた顔を破顔させた。
「…おかえりなさい。」
「ただいま。名前さんは表情が豊かになったね。」
眦を下げ少し涙目でこちらを見つめる降谷さんを眼前に捉え胸のあたりがキュっと詰まった。この感覚は初めてだ、心臓も悪くなったのだろうか。
「お風呂、貯めた、入れ。」
「なんでカタコトなんですか、そんな笑わせないでくれ…っ。」
私を抱え上げソファに降ろした後彼はくすくすと笑ったまま湯浴みへ向かった。時折風呂場の方から笑い声が聞えたので戻ってきたら何をしてやろうかと悪事の計画を立て始めた。
私のいたずらは降谷さんの足にしがみつき邪魔をする、という至極簡単なものにした。以前の家と違いここには私が使えるようなものは何もないのだ。私の頭痛が酷く、年甲斐もなく彼に甘えたときのことを思い出しこの方法に決めたのだ。
私の記憶が正しければ彼は私が予想外の行動を取ると動揺する。
…そう思っていたのに。降谷さんの綺麗な御御足にくっついたはいいものの彼は無反応で、私はそのままベッドへ運ばれてしまったのだ。
「ゆりかごのうたを カナリヤがうたうよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ。」
久しぶりに彼の子守唄を聞いた。
「今日は隣で一緒に寝て欲しい…。」
大人なのに一緒に寝て欲しいなんて恥ずかしいことなのかもしれないが、ずっと隣にいて欲しいと思ってしまった。手だけではなく身体全体で温もりを感じたいと。
「…いいですよ。」
すぐに表情を変えたが喫驚を隠し切れていない。
「ごめんなさい。わがまま言って。」
「そうじゃないです。名前さんは少し無防備すぎですよ。」
なぜ怒られたのかわからなかったので目を閉じ誤魔化すことにした。
「ゆりかごの上に びわのみがゆれるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ。」
見たこともないのに情景が浮かぶ歌声で私は簡単に夢の世界へ足を踏み入れてしまった。