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約束の日。降谷さんは喧嘩をした日に家を出てから帰ってきていない。風見さんが様子を見に来ているようだが顔は合わせていない。せっかくの決心が鈍ってしまいそうだからだ。当日変装に使用する道具をネットで購入した。警戒心の強いあの人のことだ、通販を利用したことはバレてしまっているのだろうが面倒なのでヘタな小細工はやめにした。
とりあえず今までしたことのない系統の変装を施し部屋を出る。今日はもう風見も帰宅した。辺りを見渡しても私には見たこともない場所だったので大人しくタクシーを利用する。博士の家の手前で降車し少し歩いた。
思えばバーボンと出会ってから私は変わったように思う。死と隣り合わせというのはこんなにも怖いことなのか、最後になるかもしれないもう会えないかもしれないと思うと目頭が熱くなった。すんっと一度鼻を啜ってからインターホンを鳴らす。
「はーい、今開けるからの。」
応答は博士がしてくれた。変装した私に驚いていたがすぐに慣れ今度伝授して欲しいとお願いされた。彼の許容力には目を見張るものがある。少し会話をしてから哀ちゃんは地下にいると言うので一人で向かいノックを二回、許可が下りたので入室する。
「酷い顔ね。」
開口一番、博士にはお褒めの言葉を頂いたのに彼女は何て言い草だ。白衣の下は葡萄色のワンピース、白い肌によく映える。
「変装は完璧よ。でも表情が死んでる。」
「私の表情筋は最近鍛えられていないから。」
腹が立ったのは本当であるし、言ったことに後悔はないがやはりこれまで一緒に過ごしていた人と何日も顔を合わせずいると寂しいのだ。一人でいると笑うこともない。彼女は悲しそうに微笑んだ。
「…本当は渡したくないわ。でも止めても行くんでしょ?」
「うん。何も聞かないで協力してくれてありがとう。」
「私はあなたの味方よ。」
手を握られ渡されたピルケースには小さな白い錠剤が二つ入っていた。
「舌下錠よ、効果はすぐに出るわ。もう一錠は二時間後に飲んで。どうしても持続時間が長く出来なかったの。」
一錠では十分な血中濃度にならずすぐに元に戻ってしまうらしい。とりあえず一錠をここで服用させてもらうことにした。薬を口に含み変化を待つ。数秒で身体が熱くなって骨が痛む呼吸も荒くなってしまう。
「…っはあ、あ、ぅ。」
痛い、痛い。哀ちゃんが心配そうに見守っている、ごめんね強く握って。
瞬く間に大人の体へ変貌した。身長は一六五センチといったところだろうか。服薬の際に変装はといたので顔面の変化を彼女に問うた。
「面影がないといえば嘘になるわね。あまり胸もないようだし男に変装したらどう?」
貧乳は余計だが事実なので彼女の案に乗ることにした。しかし声はどうする、低い声は出そうと思ってもその技術は一朝一夕で身に付くものではない。
「博士に変声機を頼んであるからそれを使いなさい。」
「先のことまで見越して準備してくれていたんだね、さすが。」
天才科学者の名は伊達ではない、無事に帰ることが出来たら彼女に弟子入りしようと思った。