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夜中を迎えると都会の喧騒も一気に緩和される。人口の多い鳥谷町であってもこんな時間に好き好んで外出する人間も少ないだろう。そんな中高架下に大柄な男が二人、止めどなく紫煙を燻らせていた。
「遅いですねぇ。」
「悪い悪い!ちょっと道に迷っちまって。」
ひょろっとした若い男が尋常ならざる人間に近付いた。へらへらと締りのない口元を見せてしまったが運の尽き、長髪の男は静かに眦を裂いた。
「お前、何者だ。」
「嫌だなあ、言ったじゃないか僕は天才プログラマー。」
男の高圧的な態度に臆することなく青年は歩み寄った。あと一歩、という所まで来たところで足を縺れさせ男にしがみ付いた。
「おい、大丈夫か。」
サングラスの男はこの二人の内では良心のようだ。しがみ付かれた男の方は睥睨している、目の前の青年を今にも亡き者にしてしまいそうな程に。
「す、すいません。ちょっとつまずいてしまって。」
さすがの若者も圧倒的な気迫に気を呑まれたようだ。得も言われぬ空気がひっそりとした高架下に漂った。
「…おい、どういうつもりだ。」
男の手には彼の腕と共に黒い牛革の財布が握られていた。その腕をひねり上げ、背を蹴り飛ばした。
「っぐ、」
青年は先刻の雨で増水し、ぬかるんだ地面に叩きつけられ伏臥位のまま唸り声を上げ痛みに悶えていた。捻り上げられた片腕は冷たい川の中にあり熱を冷ましてくれていた。銀髪の男は静かに彼に近付きコンバットマグナムを後頭部に押しつけた。
「どういうつもりだ、と聞いているんだ。」
横にいた帽子の男が改めて彼に問うた。男は怒りというより純粋に疑問を持ったのだろう。一目見て常人ではないとわかるあの男の財布をスろうとするなど通常ならまずしない。
「す、」
痛みを押し殺し口を開こうとした青年の言葉は一発の銃声によって遮られた。
「聞くまでもねぇ。こいつは薄汚ねぇコソ泥だ。」
彼の体内に入ったと思われた銃弾は耳を掠り地面へ留まった。男は脇腹を蹴りあげ大層愉快そうに笑った。その様は快楽殺人者のようだった。
「ぅぐ、っ」
「いい声だなぁ、痛いか?」
更に肩を踏みつけにする。彼の端正な顔はすでに泥で汚れてしまっていた。俺にこんな真似をしてタダで帰れると思うな、そういった男の言葉通り彼は体のあちこちに代償を頂くこととなった。
「…ちっ。行くぞウォッカ。」
「へい。」
青年の愚鈍な行いの報復は再び降り出した雨により終わりを告げた。意識はとうの昔になくなっていたが、あの男の怒りを買い生きていられたのは奇跡と言えるだろう。