37

彼女が負った外傷は入院してから数カ月も経過すれば癒えたが、目に見えない傷は多分にあり名前を未だ苦しめているようだ。
幾度となく足を運んだ無機質な病室。彼女に繋がっていたいくつもの管や禍々しい機器達は早朝に取り外したと報告を受けた。完全に身体の異常はなくなったということだろう。
静かに扉を開けカーテンの向こう側にいる彼女の元へ歩を進めた。手際良くサイドチェストの上の花瓶に買ってきた花束を生け、ベッドの脇に佇む椅子に腰掛け一層細くなった彼女の手を握った。
「こんにちは。今日はネリネという花を買ってきたよ。別名ダイヤモンドリリーと言って光に当たると花片がきらきら輝くんだ。君にも見せたいよ。」
大きな仕事が一段落したとはいえ、忙しいことに変わりはない。それでも時間を見つけては名前の元へ足を運んでいる。痛々しい傷を見ること、目を覚まさない彼女に話しかけること、正直何度も心が折れそうになった。でも僕が彼女の側にいないときにいなくなってしまうことだけは絶対に避けたかった。僕の近くにいた大切な人は皆いなくなってしまった。彼女だけがまだ生きているのだ。もう失いたくなない。
それに彼女に報告したいことがたくさんある。言わなきゃいけないことも。だから目を覚ましてくれないと困るんだ。
「名前と出会ってもうすぐ季節が一周するよ。…もう目を覚ましてくれないか。」
彼女の左手を両手で包み、絞り出すように哀願した。あの一件から彼女が意識を取り戻すことを願わなかった日は無い。それでも彼女の前でこんなことを言ったことは今まで一度もなかった。
「ふ、るや、さ。」
掠れた小さな声が耳に届いたので俯いていた顔を勢いよく上げ顔の方に視線を向けた。
「名前!名前…。」
こちらを見る桑色があまりにも儚げで、言葉にならなかった。すぐに担当医を呼び粗方の検査を終え、このまま何事もなければあと一週間で退院出来ると許可が下りた。筋力や体力の低下が著しいためリハビリを行わなければいけないので全快で退院というわけにはいかないが。
「起きたばっかりなのに、検査ばっかりで疲れちゃったよ。」
病室に戻ってきた彼女は先程より心なしか血色がよくなっている気がした。にこやかではあるが疲れも見て取れる。
「名前。たくさん言いたいことはあるがまずは、おかえり。」
「ただいま、降谷さん。今度は私の番、…ごめんなさい。」