08

手早くホットケーキを作り地下へ行くとすっかり素顔に戻った彼女がソファに座り虚空を眺めていた。一拍置いて僕に気付いたのか雰囲気が柔らかくなった。
「うわぁ、バボすごいね。」
少し厚めに焼いた二つの丸に一欠のバター、シロップは蜂蜜とメープルを混ぜたもの。自分で言うのもなんだが、中々の出来栄えだ。片膝をつき給仕した僕の頭を小さな手で撫でる。
「お褒めに預かり光栄です。申し上げにくいのですがお飲み物はダージリンティーにさせていただきました。」
まだあなたに納得いただける程のエスプレッソは淹れられませんので、と付け足す。
「いいよー。待ってる。でもはあふしてへ。」
もごもごと大きな一片を口に詰めたまま喋る様はまるでハムスターだ。
彼女がソファの端に寄ったので隣に座る許可が下りたのだと勝手に解釈し腰を下ろす。ふぅ、と一息つくと咀嚼音が止まったことに気が付いた。カシャンとナイフとフォークが皿に置かれ、肩に重さと温もりを感じた。
「え、クレオ?どうしたんで……寝てる。」
夜通し仕事をしていた彼女を起こすのは忍びなかったのでそっと抱え二階の寝室に向かいベッドへ降ろす。なるべく音を立てないよう注意しながら寝室を出てすぐにベルモットへと電話を掛ける。
「はぁい、バァボン何かしら。あなたから電話があるなんて今日は槍が降るわね。」
「一つ、お尋ねしたいことがあったので。」
「私の可愛いキティのことかしら。」
疲労が溜まっているときにこの魔女の相手をするのは面倒、というのが本音ではあるがこういう場合はさすが察しが良くて助かる。
「彼女、食事中に突然眠ってしまったのです。ナルコレプシーとかですか?」
「今回は三日かしら。あの子数日眠らないことがざらにあるのよ。だから、限界が来たら電池が切れたように突然眠るの。」
「そういうことですか。知らない間に一服盛られたのかと、寿命が縮まりましたよ。」
一拍置いてあら、そのまま死んでくれてもいいのよ。などと宣う彼女はきっと紫煙を燻らせニヤついていることだろう。
「そういえば、食事中って言ったわね。何を食べさせたの?」
「彼女のリクエストでホットケーキです。」
「あら。そう。あの子がねぇ。」
意味深な物言いに引っかかったが、もう用は済んだわ、と一方的に電話を切られてしまった。用があったのは僕の方なのだが。
キッチンで彼女が残した朝食や使用した道具を片づけていると上からゴトン、と鈍い音がした。


「いやいや、どうしたらクイーンサイズのベッドから落ちることが出来るんですか…。」
床で丸くなっていた彼女を再度ベッドへ寝かす。
「今度は落ちないで下さいよ。」
ポンポンと頭を撫で片付けを再開するべく部屋を出た。
彼女は組織の人間だ、警戒しなければいけないことは重々承知だ。しかし見た目は少女そのもの、言葉遣いも少し怪しいところがある。それに加えたまに見せる無邪気な面。どうも気が抜けてしまう。
「…気を引き締めなければ。」

片付けを終えた降谷は家主が起きる前に一度詳しく家の中を見て回ろうと歩き出した。
あまり広くはないが吹き抜けのおかげで開放感のあるリビングだ。そこにある大きな吐き出し窓は嵌め殺しで開けることはできない。コンコン、二回叩いてみる。恐らくは強化ガラスだ。

玄関の左手、リビングの扉を挟んで向かいが和室。縁なし琉球畳が市松向きに敷かれている。今流行の和モダンの雰囲気が風雅だ。丸窓から差し込む光が心地よい。外観や内装全てにおいてモデルハウスのような完璧さだ。

ぐるっと見て回ったが一階の窓という窓全てが強化ガラスに加え電動シャッターが付いていた。ちなみに言うと盗聴器の類は見つからなかったが監視カメラは相当数見つけた。いつもクレオパトラが見ているモニターの一つに映し出されていたのを知っていた為驚くことはなかったが。
ふむ、気付くといつもの癖で手を顎に添えていることに気付いた降谷は笑みを溢す。バーボンではなく安室になっていたと。
「一般家庭であればこの設備で十分でしょうが組織の要人が住む家となると安全性に掛けるのでは…?」
敢えて安室透で一人ごちた。
階段の途中で寝ぼけ眼の少女に声を掛けられる。時刻は午前十一時、クレオパトラが地下室で意識を飛ばしてからきっかり一時間だった。
「バボ、」
「おはようございます。疲れは取れましたか?」
考え事をしていたとはいえまた気配を感じなかったことに降谷は息を飲んだが喫驚を悟られぬようこれでもかと優しい笑みを浮かべた。
少女は小さく欠伸をしそれを返事とした。
「仕事だって、行こう。」