お嬢と猫1

土曜日の黄昏時、ポアロでのアルバイトを終え家路を急いでいると大きな箱のようなものを抱えた女性がこちらへ向かってきた。

逆光で顔こそ見えないものの声を掛けられる前に聞えたくしゃみでその女性が誰なのか簡単に認識できた。箱のようなもの、というのはまさに箱で大きくみかんと表記されていた。

「名前さん、どうしたんですかそんなものを持って」
「えーっと…」

もじもじとし、一向に理由を話そうとしない名前の回答を待たずして、箱の中から聞えてきた甲高い鳴き声により答えを得ることが出来た。

「ちょっと、名前さんは猫アレルギーなんですよ?アナフィラキシーで万が一のことがあったらどうするんですか」

最初に聞えたくしゃみ、現在の鼻声、腕を掻く仕草どれもアレルギー症状だ。もっと早く気付くべきだったと悔やまれる。

「わかってるけど、一人だったし放っておけなくて…」

分かりやすく肩を落とした彼女に心配したとはいえ少しきつく言い過ぎてしまったと反省した。

「呼吸がしづらいとかはありませんか?とりあえずその箱は僕が持ちますから」
「全然大丈夫。でも持ってくれると助かる、ありがとう」
「それで、どちらに行くつもりだったんですか?」
「二丁目の病院が休診だったから五丁目に行こうとしていたところ」
「分かりました。もう遅いです、診察時間が終わる前に急いで行きましょう」

頼み込めば工藤組の為とあらば…なんて言って診てくれるだろうがそれでも彼女を急かしたのは少しでも早く彼女からアレルゲンを離したかったから、端的に言うと心配だったのだ。

自分でも素直でないと思うが本心を伝えたところで彼女を困らせるだけなので憎まれ口を叩いている位がちょうどいい。

なるべく箱を揺らさないようにしながらあくまでも早足で来た道を戻る。彼女少し腕を掻きながら隣を歩いている。跡が残らないといいけど。

「この子達はどこにいたんですか?」
「青虫公園のベンチの下、やばい物かと思ってみたら可愛い子だったよ」

彼女の言う青虫公園というのは通称で、何故か青虫モチーフの遊具しかない公園のため近隣住民や利用者からそう呼ばれ親しまれている。
またそこは幼い彼女と一緒に足繁く通った場所でもある。

「急にブランコに乗りたくなって、景光さん誘おうと思ったんだけど景光さんどころか誰もいなくて仕方なく一人で」
「今日は皆さん用事があると報告を受けています。カレンダーに書いてあったと思いますが」
「そんなのいちいち見てないって」

物憂げにダンボールを見つめている表情から察するに何か心を煩わす出来事でもあったのだろう。何事も明け透けに話してしまう彼女がそれを口に出そうとしないのだから深く追求することは野暮だ。

「そういえばブランコから一人で降りられたんですね」
「いつの話?昔だって零があんなとんでもない高さとスピードを出さなければ余裕で降りられたから!」
「そうですか。では今度一緒に行きましょう。また背中を押してあげます」

焦る名前を見ながら先程の湿っぽい顔が何処かへ消えたことに安堵し口角を上げた。
そうこうしているうちに目的地である鳥山動物病院に到着した。あまり新しい建物ではないが綺麗に保たれている。

院長である鳥山医師は名を竜馬と言い、姓名で動物が三匹も含まれている。獣医師になるべくしてなったと言っても過言ではないと密かに思っている。
院内には患者や他のスタッフは居らず、メガネを掛けた初老の男性が何か書きものをしていた。

「こんにちは。そのダンボールの中には猫さんがいるのかな」

老眼鏡を外しこちらを一瞥し開口一番、用件を言い当てられたことに驚きを隠しきれない名前さんもぽかんと口を開けている。

「そう怯えなさんな。なに、さすが兄妹だと思ったまでだよ」
「どういうこと?」
「お嬢のお兄さんとは懇意にしているんだ、それはもう昔からね」

古びた事務椅子からゆっくりと腰を上げこちらに向かってきながら昔話を始めた。

名前さんが小学生になった頃、新一くんが泣きながらここを訪ねてきたのだという。今の彼女と同じくダンボールを抱えて。

「彼の箱はリンゴだったかな」

彼はしゃくりあげながら妹が猫アレルギーだからこの子達を連れて家に帰ることが出来ないが見捨てることも出来ない。どうしたらいいか、と獣医師を頼ったそうだ。

名前さんの猫アレルギーが発覚したのは僕が組に入る前で庭にやってきたノラ猫に対し発症したのが始まりだったそうで、その時はだいぶ症状が重かったらしい。そんな状態を目撃した彼はさぞ怖かっただろう。

「それは初耳です」
「家の者には言わないで欲しいと口止めされていてね。だがもう時効だろう?」

鳥山院長はいたずらっ子のように笑った。思い出話が終わったところで僕の抱えた箱を診察台に運び、慣れた手つきで診察を終えた。

「生後一から二週間といったところかな。命に別条はないだろう」
「よかった。ね。一郎主任、次郎課長、三郎部長」

ほっと胸をなでおろしたのも束の間あまり良いとは言えない名付けのセンスに思わず顔を歪ませてしまった。

「なんですか、その名前。なんで役職一つ飛ばし…」
「だって係長は長いし、次長は可愛くないから」

次長がかわいくないという感覚は持ち合わせているのに、他はいいのか。名前の感覚は正直よくわからない。


「言葉を挟むようで悪いが、この子達は女の子だよ」

医師の言葉にその場が居た堪れない状態になったのは言うまでもない。


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