ローズタンドル

昨晩はそれはそれはもう 本当に酷い目に遭った。

朝食のトーストを頬張りながら虚空を眺める。何かを見ているようで全く見えていない。
視界の端にいるアナウンサーのお姉さんの可愛らしい笑顔でも癒すことの出来ない傷を負ってしまったのだ。


「はぁ」

美味しくもないトーストを飲み込んで何度目かもわからないため息をついた。



□ □ □


「いやーおつかれおつかれ」

すらっと伸びた手を叩きながら歩み寄ってきた男に名前は泥だらけの顔を向けた。昼間降った雨でぬかるんだ地面に幾度となく足を取られ三度も転んだのだ。

呪霊は三級と聞いていたがなんてことはなかった。少しだけ逃げ足が速く、そして少しだけ走りにくかっただけである。

「本当最悪。このシミって落ちるの?タイツも破れた…」
「名前は接近戦に特化しているんだね。…でもさぁ」

常に腰に括りつけてある短刀が名前の使う呪具であり父親の形見である。悟は名前の戦い方についてぶつぶつと何かを言っているが名前は制服の汚れに夢中で話を聞いていない。
あっ、 と思い出したように顔を上げた名前は哀訴するように尋ねた。

「それで、試験は合格ですか」
「うん、大丈夫じゃない?アレ、嘘だし」
「はぁ?!」

呪力の一つでもぶつけたくなるほどに腹が立ったが悟はじゃあねーと軽い口調でどこぞのヒーローのようにシュッと消えた。


一瞬でいなくなってしまったせいで文句の一つも言えず、時間を置いても一向に冷めぬ怒りを抱えたまま帰宅する羽目になった。

別の仕事があると言っていた母親は家に居り、顔面まで泥に塗れた娘を見てひとしきり笑ったあと制服は自分で綺麗にしろ、と名前を突き放した。
その後の名前の苦労は言うまでもない。世の中の母親達の偉大さを痛感した深夜2時だった。





以上、回想終わり。
どう考えても私が可哀想…一回目に転んだ時お婆様の顔が浮かんだし、祓うのに夢中だったけどもし呪術師になれなかったらどうやって生きていこうとか、足りない頭でいっぱい考えてたのに。

結果的に祓えてよかったとか、試験じゃなかったならよかったとかそういうんじゃなくて ほら、ね?


「ほーら、しゃきっとしなさい!そういうところはパパ似ね」

丸まった背中を強めに叩かれパンくずで噎せた私を横目に母は気にする素振りもなく話を始めた。
どちらかと言うとネガティブな私とポジティブの塊みたいな母。
そういうところが似てくれたらよかったのに…

「呪術師になったらあんなの日常茶飯事よー?」
「いやわかってるけどさ、心の準備が出来てなかったから疲れが…」

昨晩五条悟が来て試験を言い渡されたことを母に伝えると初耳だったようで少し驚いていた。
……母に頼まれたというのも嘘だったのか。
昨晩で“五条悟”の印象がガラリと変わってしまった。呪術師最強があんな適当だったなんて。

「疲れただけで余裕だったでしょ?」

あなたは二級術師なんだから、と母は前触れもなく爆弾を投下した。私は驚きのあまり口に含んだコーヒーをゴクリと音を立てて飲み下し慌ててカップを置いた。

「二級?!私が?いつの間に?!」
「いつの間にも何も、最初から。名前が消してるアレ、指だけで祓えるんだから。それに一級の私と特級目前だったパパとの子よ?当たり前じゃない。それにね…」

母のパパ語りが始まったので適当に相槌を打ちながら残りの朝食をかき込む。パパの話始まると長いんだよなあ。

私と母が似ていないように母と祖母も全く似ていない。
祖母は私を一度だって褒めてくれたことはないけれど厳格な祖母と違い母は自他共に認める楽天家だ。祖母のストレートすぎる言葉に何回自己肯定感が削がれようとも母がベタ褒めしてくれたおかげでここまでこれた。

母には母のいいところがあるけれど、常に厳しく呪術の何たるかを教えてきたのは母のようになって欲しくなかったからなのだろうと今ならわかる。


楽天家、細かいことを気にしないのは長所かもしれないけど、さすがに自分の等級くらいはもっと前に教えて欲しかったよ…。



「いってきまーす」




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