uso to honto
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植物が好きで
植物を育てるのが苦手だ
最初はいい
最初は愛情を持ってそだてるから。
毎日お水をあげてお日様にも当ててあげる。土の様子は〜とか、伸びすぎた枝や枯れた葉を剪定したり。
けれど、それがいつまでも続くわけでもない。育て主の生活の余裕が無くなったり慌ただしくなると、植物にかける時間は消えてゆく。すると露骨に変化が現れて、みるみるうちに植物はしょんぼりと茶色く染まる。私はその過程を見ているのがなかなか辛い。
それと同じくらい、同居人が買ってきたばかりの植物を生き生きと育てる初期から枯らしてしまうまでの過程を見届けるというのもなかなかつらい経験だ。時にそれは虐待された幼児を見てているかのような、あるいは将来の自分への対応と重ねてしまったりなどするからだろう。そして何より、そんな様子をただ見ているだけで元気をなくしてゆく植物を助けようとしない冷たい自分に嫌気が差し、やがて最後に自己嫌悪が襲ってくる。
ちなみに私発端で植物や動物を飼って自ら育てようなんて思った事は、実はほぼ無い。家に連れ帰ってしまったからには責任が生じ、例えば旅行へ行ったとして、家の中に残されたその子たちの事が気になってしょうもないメンタルに磨きが掛かってしまうだろうし。死なせてしまった、枯らせてしまった時の自己嫌悪と罪悪感を恐れ、自ら何かを育てるという選択肢を自分の中で存在しないものとしている。
しかしだからといってその価値観を他人へ押し付けるのは間違っているのは当然なので。
私は同居人の状況/気分次第で育ったり枯れたり、はたまた死ぬ寸前から復活したりする様子を、気にしないフリをしながら横目でチラチラと伺う生活を続けている。
私の母も、沢山の小鳥を飼っている。
いやその数は「飼っている」なんて可愛いものではなく、数十羽という尋常じゃない数の鳥たちの面倒をみている。
それはきっと、ほとんど飼育に近い。
一羽一羽に名前なんてきっともうつけていないだろうから、ピーちゃんとかアオちゃん、キーちゃん、みたいな名前の子が無数に存在しているのだと思う。本人は愛情持って育てているし、ブリードさせて儲けようだとかそういった金銭的な目的で数を増やしているわけでもないらしい。母のインスタグラムからは確かに鳥たちへの愛を感じ取れるが、その裏側でにこれまでに無数の鳥が亡くなっているのも事実だ。鳥たちの死後、母は確かに悲しんでいた。が、悲しみに浸る間もなく次々と卵が還り、新しい命が爆誕する。それを恐ろしく感じる機会が自分の年齢を重ねる毎に増えていった。
自分の都合で連れて帰ってきた生命を、自分の都合で簡単に亡きものにするような人間になりたくない、というのが本音なのだけども。
けれどそういう受け身な人間が何も産まない生物であることはきっと確かで、少子化の世の中にこの類に値するヒトが増え続けているのだろうな、なんて思う。そもそも責任感が強いので、不安定な選択肢は最初から用意しないしそれ故に自分は誰も殺めない、傷付けたりしない。
多分そんな自分が大好きで、こんな文章を書いてしまう自分が大嫌いなのだろうなと思う人生を何度も繰り返すのです。ええ。
no.04
